妖精の指先 その12

WEST(MTS)

※この文章は巨人が小人を様々な手段で弄ぶ表現が含まれています。
 残酷な表現等が含まれますので、18歳未満の方は読まないで下さい。

12.古代妖精とフレッド
 
 人間は、彼女の人差し指位の大きさしかない、小さな生き物だ。
 妖精の女の子は、人間の何十倍も大きい。
 リーズ達、妖精の女の子にとっては、人間は小さくて無力な存在である。
 だから、人間を踏み潰したり、食べたりしても特に問題は無いはずだ。そもそも、人間はそうやって妖精達が人形遊びの玩具のようにして楽しむ為に作られたのである。
 それでも、彼女は涙が止まらなかった。
 フレッドに『化け物』と呼ばれて、泣きながら逃げ出して妖精の住処に帰っても、まだ、彼女は泣いていた。
 全てが鮮明な記憶として残っている。
 口の中に彼を放り込み、完全に自分の物にしている事を感じた時の喜び。
 彼を歯の上に乗せ、噛み砕いた時の歯ざわり。
 最後に飲み込んだ時の美味しさ。
 全てが快楽だった。
 自分が妖精であるという事を、彼女は初めて意識した。
 マリク…彼女の一番大事な友達は、手のひらに握りしめて、口の中に入れられる位に小さかった

 人間は、自分達から見ると、そんなにも小さいのだ。 
 そうして、マリクは、リーズの前から姿を消した。
 リーズは、妖精の友達と遊ぶのをやめた
 妖精は人間を食べる。美味しくて、気持ち良いと感じる。
 リーズは、そんな妖精が嫌になった。
 1人で、住処に閉じこもった。
 『化け物!』と、人間の友達に浴びせられた言葉も頭に残る。
 赤いローブを着た、カワイイ友達だった。
 そう言われても当然だと思った。
 …私は化け物なんだ。
 リーズは、暇さえあれば泣いていた。
 鮮明に残る記憶は、いつまでたっても薄れない。
 …マリク、ごめんなさい。
 リーズは人間に会うのをやめた。
 恥ずかしくて、人間に会う気にならなかった。
 妖精にも会おうとせず、人間にも会おうとせず、リーズは1人ぼっちになった。
 時間だけが過ぎていく。
 人間とは時間の感覚が違う妖精は、1年経っても、2年経っても、鮮明な記憶を忘れられずに居た。
 そうして、5年が過ぎた。
 彼女が閉じこもっている間にも、妖精の住処の外では色々な事があった。
 今までの1000年間で起こった事よりも多くの事が、5年の間に起こった。
 妖精達が、人間達の取り扱いについて考えるようになったのだ。
 その様子は、リーズにも伝わった。
 赤いローブを着た魔法使いが、妖精達の前に現れるようになったという。
 小さな体で妖精達の足元に現れた彼は、人間を奴隷のように扱うのをやめるように、妖精達を一人づつ、口説いて回ったそうだ。
 …フレッド、元気にしてるんだね。
 友達の元気な様子を聞いて、多少、リーズは元気になった。
 でも、彼が心配になった。
 いくら強くなったといっても、所詮、彼は人間だ。妖精達の巨大な手の中に捕らわれたら成すすべは無い。
 虫けらのように握りつぶされるか、ごちそうとして食べられるか。
 いずれにしろ、彼女達に捕まれば、フレッドもこの世から居なくなってしまうだろう。
 彼を助けてあげなきゃいけないと思ったが、それでも、リーズは外に出る気にならなかった。
 彼女の心の傷は、浅いものではなかった。
 リーズを心配した妖精の仲間達は、頻繁に彼女の所に顔を見せて、そうした外での出来事を色々と話した。
 妖精達は人間にとっては巨大な化け物だったが、仲間同士での繋がりは、とても深かった。
 彼女達は、仲間の妖精同士で殺しあうような事は決して無かったし、仲間に何かあると、すぐに集まってきた。
 飽きっぽくて気まぐれな妖精達だったが、みんながリーズを心配していた。。
 その日も、1人の妖精がリーズの所に姿を見せた。
 リーズはマリクに送られた黒いローブと革靴を身に着けている魔道士スタイルだ。
 一方、彼女を訪ねてきた妖精は、薄い下着のような布だけで体を覆い、編みサンダルを履いた典型的な妖精スタイルだ。
 二人とも人間を指で摘み上げられる位に大きな妖精だったが、その服装は、それぞれの立場を表しているように異なっていた。
 「リーズ、良いお知らせを持ってきてあげたわよ」
 リーズを訪ねてきた妖精は、少し不機嫌そうに言った。
 リーズにとっての良い知らせは、彼女にとっては、あまり良い知らせでは無いようだ。
 「ラウミィちゃん、結局…どうなったの?」
 リーズは、友達の妖精に訪ねた。
 先日、妖精達は人間の扱いをどうするか、この世界をどうするかについての話し合いをした。
 その結果が、出たのだ。
 リーズはその集まりも顔を出さずに居た。
 「妖精のみんなで、この世界から元の世界に帰る事が決まったわよ。
  ゴミ共を皆殺しにする事はしないで…この世界はゴミ共の世界にするんだってさ?
  それで、また新しい玩具の世界を作り直すんだって。
  …あーあ、納得いかないな。でも、リーズには良いお知らせよね」
 少し妬むように、ラウミィは微笑んだ。
 「ラウミィちゃん、そんなに人間が嫌いなの?」
 「嫌いよ。
  リーズをそんな風にしたのよ?
  …今すぐにでも、全員、踏み潰してやりたいわ」
 ラウミィの言葉は冗談ではない。
 彼女の優しさは妖精の仲間に向けられる事はあっても、虫けらのように小さな人間達に向けられる事は無かった。
 「まあ、いいわ。
  今日は、お土産を持ってきてあげたの」
 ラウミィは懐から何か小さな人形のような物を取り出すと、浮かない顔でいる友達に、それを放った。
 少し荒っぽく投げつける。
 それは、赤い色をした人形のようにリーズには見えた。見覚えがあった。
 彼女は真っ青な顔をして、それを受け止めようとして、手のひらを広げた。
 絶対、受け止めなくてはいけないと思った。
 ラウミィに投げつけられたそれは、最初は強い勢いで空を飛ばされていたが、段々と勢いを弱め、軌道を変えた。最後には、ふわりとリーズの手のひらに舞い降りた。まるで生き物のようである。
 「今ので俺が死んだら、ラッキーだとでも思ったか?」
 リーズの手のひらに乗った人形は、自分の足で立つと、自分を投げつけた妖精の女の子に向かって嘲笑うように言った。
 彼は、自分が乗っている手のひらの主、リーズには、目もくれない。
 小さな体に恐れを抱く様子は無く、ラウミィと向き合っていた。
 「ええ、思ったわ」
 ラウミィも、彼に向かって嘲笑うように言った。
 一触即発の空気が、リーズの友達同士の間で展開された。リーズは手のひらの上の人間と目の前の妖精の事を、きょとんとしながら見つめていた。
 「…まあ、いいわ。
  今日は特別な日だものね」
 引いたのは妖精の方だった。
 「うふふ…約束通り、リーズと二人きりにしてあげる。
  最後の時間を、せいぜい楽しむといいわ。
  私…楽しみにしてるわよ」
 一段と、ラウミィの嘲笑が大きくなった。
 リーズに近づくと、彼女の手のひらに乗っている小さな生き物に顔を近づけて、高い所から覗き込んだ。
 「さようなら、フレッド」
 ラウミィは、フレッドに向けて軽く手を振った。
 「そんなに小さい体で、今まで、よく私達に歯向かってきたものね。
  本当にご苦労様。
  最後だし…褒めてあげる。
  サービスよ?」
 ラウミィは、右手の人差し指を口元まで持っていくと、ぺろりと舐めた。
 フレッドを見下すような笑みを浮かべたまま、その指先を彼に近づける。
 「お、お前に褒められても何も嬉しくない」
 フレッドは、少しあわてたが、リーズの手のひらの上で逃げ場が無い。
 魔法を使う事は出来るはずだったが、フレッドは、ラウミィの指から逃げる事はしなかった。今まで、何度も彼を潰そうとして恐ろしい指だ。
 ラウミィの唾液が付いた指先が、フレッドの顔に触れた。
 「こんな下らない色仕掛けが通じるって、もっと早くに知ってればね…」
 ラウミィは嘲笑う。
 それから、フレッドの顔を人差し指で少し撫でた後、親指も使って、二本の指で彼の頭を挟みこんだ。
 彼の事を見下すような笑顔は、変わる事がない。
 「こ、この…」
 フレッドは彼の頭を摘んでいる巨大な指を両手で掴むが、彼の力では妖精の女の子の指はびくともしない。
 みしみしと、自分の頭蓋骨がきしむ音を、フレッドは聞いた気がした。だが、どうしようもなかった。
 「やめて!ラウミィちゃん!」
 妖精に力ずくで対抗出来のは、同じ妖精だった。
 それまで、成り行きを見守っていたリーズは、ラウミィの腕を掴むと、フレッドの頭を摘むのを止めさせた。
 「うふふ、冗談よ。
  そんな顔しないで。
  …でも、悔しいわね。
  こういうやり方が通じるって知ってたら、もう何度も、この男の体なんて…ね」
 ラウミィは親指と人差し指で空気を掴み、指の間で掏り合わせるような仕草をした。
 「いい加減にしてよ…
  怒るよ…?」
 リーズが彼女の事をにらむ。
 ラウミィはリーズから目を逸らした。
 「そんな顔しないでよ…
  後でまた来るわ。
  …じゃあね、フレッド」
 リーズとフレッドの事を交互に見た後、彼女は背を向けて、歩き出した。
 後ろを振り返る事も無く、彼女はリーズとフレッドの前から去った。リーズと、彼女の手のひらの上のフレッドだけが、その場に残された。
 そこで、初めて、フレッドはリーズの顔を見上げた。
 少し恥ずかしそうに、彼は微笑んだ。
 …あれ?結構、落ち着いてるのね。
 ラウミィに頭を握り潰されそうになった割には、余裕があるように見えた。彼が意外と元気そうなので、リーズも微笑んだ。
 「久しぶりだな、リーズ。
  ふふ…また、お前に庇ってもらったな」
 リーズの手のひらに乗っているフレッドは、自嘲気味に彼女に言った。
 …まるで、マリクみたい。
 自分の何十倍も大きな女の子に対して、怖がる様子も見せずに笑うフレッドの様子が、彼の兄に似ているとリーズは思った。
 リーズの知っている5年前のフレッドは、もっと険しい顔をしていて、すぐにムキになるような男の子だった。
 二人で一緒に騒ぎながら遊んでいた。
 あの頃、マリクは高い所に居たけど、フレッドは自分と同じ所に居てくれた。
 少し、彼の様子があの頃とは変わったように見えた。
 「う、うん。
  …ごめんね、もっと、早く助けてあげた方が良かったよね?」
 ラウミィに摘まれた頭は、大丈夫かな?
 リーズは心配そうに、彼のフードに隠れた頭を見る。
 「…いいさ。
  しかし、ラウミィは恐ろしいな。
  結局、あいつとだけは、最後まで、まともに話す事が出来なかったぞ」
 まだ頭が痛い。フレッドは、ラウミィに摘まれた辺りを手でさすっている。
 「ラウミィちゃんとは、何度か会ったの?」
 「会った回数だけなら…一番多いな」
 睨むような強い目線で、フレッドはリーズの方を見た。
 …あ、やっぱりフレッドだ。
 この目つきには覚えがある。小さな体で、何回も自分に向かってきた可愛い生き物の目だ。
 「へー、そうなんだ」
 返事をした後、改めて彼の事を見直した。
 少し変わったけど、やっぱりフレッドだ。
 嬉しかった。
 「…フレッド、本当にごめんね?
  あたし…」
 フレッドに会ったという事をリーズは実感して、最後に彼と会った時の事を思い出した。
 言葉が出なくなった。
 彼の兄を食い殺して、彼に『化け物』と呼ばれた時の絵が頭に浮かぶ。
 いつまでも彼を人形みたいに手のひらに乗せている事が悪い事のような気がして、彼を地面に降ろした。
 フレッドは地面に下ろされると、リーズの顔が益々高いところに見えた。
 「リーズ…お前は、本当に大きいな?」
 フレッドは目を降ろして、彼と同じ高さにある、リーズの革靴を眺めた。
 彼女の革靴の甲の高さは、彼の膝よりも高い位置にある。靴の幅は彼の身長よりも少し長い。
 「空を飛ばないと…お前の靴しか触ってやれないな」
 フレッドは寂しそうにしてる。
 「はは…抱いてやるにしても、手の長さが足りないな」
 彼女の靴を抱きしめるにも、フレッドは小さすぎた。
 下を向いているフレッドの声が、涙声にも聞こえた。
 「ごめんね、フレッドを上から見下ろしたりしたら…だめだよね。
  小さくなるね…?」
 手を広げて自分の靴を抱くようにしている小さな生き物の仕草が、とても哀れで惨めな姿に見えた。
 フレッドのそんな姿を、今は見たくなかった。
 「いや、そんな事はするな。
  それがお前の姿なんだから、そのままでいいじゃないか。
  …リーズ、悪かったな。
  お前の事を、また化け物なんて言って…」
 フレッドは少しうつむく様にして、リーズの革靴の甲を撫でる。
 彼女の靴を撫でるフレッドの声は小さかった。
 リーズは何も言わずに、下を向いているフレッドの背中を上から摘みあげた。
 「あたし…やっぱり、君達にとっては化け物だよ?
  人間なんて片手で摘んで食べられるし…食べたんだよ?」
 落とさないように、彼を両手の間にしっかりと収めて覗き込む。
 自分の足元で、まるで奴隷みたいに振舞うフレッドを見るのに耐えられなかった。
 「…頼むよ、仲直りしてくれないか?」
 フレッドは、泣きそうにしているリーズに優しく言った。
 そうやって優しく言う余裕が、今の彼にはあった。5年前の彼には出来ない事だった。
 …フレッド、やっぱり変わったね。5年って、やっぱり人間には長い時間なのかな?
 リーズは、この5年の間に聞いた彼の噂を思い出す。
 マリクとリーズが彼の前から消えた後から、フレッドは吹っ切れたように妖精たちの前に姿を現すようになったと、リーズは妖精の友達から聞いている。 
 『俺を捕まえたら食べていいぞ』
 そう微笑んで、フレッドは人間を主食とする巨大な妖精達の前に姿を見せた。
 妖精の女の子達は、生意気な態度の小さな生き物を嘲笑った。
 『私に食べて欲しいの??
  だったら、食べてあげるね』
 そう言って、小さな彼を造作も無く握りつぶせる手のひらを伸ばした。
 手の中に掴み取って、フレッドを食べようとした。 
 …うふふ、この子はマリクの真似をしてるのかな?馬鹿な子ね。妖精を馬鹿にするとどうなるか、小さな体にたっぶり教えてあげないとね。
 今まで、妖精達が玩具にする事が出来なかったマリクさえ、ついに妖精の手のひらに収まり、食べられる日が来たのだ。
 マリクとリーズの経緯をしらない妖精達は、フレッドの事をマリクの分まで玩具にしてしまおうと思っていた。
 だが、妖精達はフレッドを捕まえる事が出来なかった。
 フレッドは言う。
 『捕まえられないなら、俺と話をしてくれないか?
  俺は妖精…お前たちと、話がしたいんだ』
 多くの妖精は、不思議そうな顔をしながら、捕まえる事が出来ない人間と話をした。
 そうやって、フレッドが多くの妖精と話をしたから、妖精達が人間をゴミのように扱うのをやめて、自分の世界に帰る事を決めたんだとリーズは思っている。
 …あたしがいじけてる間に、フレッドは全部やっちゃったんだよね。
 『妖精と人間が仲良くする事って出来ないのかな?』
 フレッドに言ってみたのは自分だ。彼は、本当にそれをやってしまった。
 …これ、本当に、あたしがお尻に敷いて玩具にしたりしてた、あのフレッド…だよね?
 リーズは初めて出来た人間の友達が、随分遠くに行ってしまったような気がした。
 「俺は…お前の仲間達と…何百人も人間を食べたり踏み潰したりしてきた妖精たちと、話し合って来たんだぞ?
  お前に言われた通りに、妖精を殺したりもしてない。
  たまに、『力を見せてみろ』って言われて、本気で戦いもしたが、誰も殺したりしてない。
  だから…頼む。そんな顔、しないでくれないか?」
 フレッドは、5年前と全く変わらない、哀しげな顔をしているリーズを見ているのが痛々しかった。妖精の心を時間で癒すには、5年では短すぎる事を理解した。
 「人数の問題じゃ…ないよ。
  フレッドには悪いけど、あたし、人間を食べた事は、そんなに悪い事だとは思ってないの。
  人間は妖精が食べる為に作ったんだし、それがルールだもん。
  …でもね、あたし、友達を食べたんだよ?
  美味しくて、気持ち良いって思って、マリクを食べたんだよ…」
 リーズは、フレッドに答えを求めるように、泣きそうな目で彼の方を見た。
 彼女が自分のした事を理解していて、深く傷ついている事がわかった。フレッドは、そんな彼女と仲直りがしたかった。
 「確かに…美味しいからって、楽しみで友達を食べるなんて酷い。
  でも…もういい。もう、いいだろ?
  お前が、例えばメリア辺りを無理矢理に食い殺したって言うなら、確かに許せない。本当に化け物だ。
  だけど相手はマリクなんだろ?
  …俺が言うのもなんだが、あいつは特別だ。あいつは…俺の兄だけど、多分、神様か何かの化身だと思う。
  あいつは、俺たちとは最初から違ったんだよ…」
 5年前に怒りに任せて魔法を放ち、リーズを殺そうとした後、頭を冷やしたフレッドは、すぐに後悔した。
 マリクが自分で望まない限り、リーズがマリクを捕まえて食べるなんて事が出来るはずが無い。
 人間から見れば遥かに大きくて強いリーズでも、マリクだけは別なのだ。
 「それは…そうだよね。
  マリクが普通じゃないのは、わかるよ。
  でもね、あたし気づいたんだ。自分が妖精なんだって。人間を食べたいって思ってるって…
  今でも…フレッドの事を食べちゃいたいって、少し思うよ。
  フレッド、小さいけど、優しくて強くて大好きだもん。だから、フレッドを食べたら美味しいんじゃないかって思うの。
  …でも、怖がらないでね。絶対、食べたりしないからね」
 リーズは首を振った。自分の中にある本能が嫌だった。
 「誰でも、色んな事を思うのが当たり前だ。それは仕方無い。
  俺だって…今すぐ、お前のローブを脱がして、まあ…色々な事をやってしまいたいって気持ちが少しある。
  でも…そんな事はしない」
 フレッドは、少し恥ずかしそうに言った。
 「あはは…あたしのローブを脱がすなんて…無理だよ?」
 リーズは悲しげに笑った。
 彼女のローブは人間を何十人かまとめて包んでしまえる面積がある。
 ほんの少しだけ、リーズは笑顔を見せた。フレッドも、釣られて少しだけ微笑んだ。
 「リーズ、色んな事を考えるのは…自由だよ」
 フレッドは言葉を続ける。
 「大事なのは、その中から自分で選ぶ事だ。
  …お前は、もう、人を食べないって言うんだろ?なら、いいじゃないか」
 フレッドは、大きな体をして泣きそうにしているリーズに優しく言葉を続ける。
 「あたしだって…許してくれるなら、フレッドとも、他のみんなとも仲直りしたいよ…」
 フレッドの言う事は、リーズにもわかった。
 「ああ。俺も、メリア達も、誰もお前の事を『化け物』だなんて思ってない。
  …いや、誰にもお前の事を化け物だなんて、絶対に呼ばせない。
  俺…この5年間、お前とマリクの為に頑張ったんだぞ?」
 フレッドの言葉も震えている。
 「もちろん、『七人の子供達』の連中は、いつも一緒だったさ。
  けど、結局…お前もマリクも居なくなったから…もう…誰も居ないじゃないか。
  俺しか…俺がやるしかないじゃないか…?
  なあ、もう、許してくれよ。俺の…俺達の所に、帰ってきてくれないか?」
 …この人も、一人ぼっちだったんだ。
 リーズは、フレッドも苦しかった事を理解した。
 『化け物』
 その言葉は、言った方も言われた方も傷つけていた。
 リーズは、もう我慢が出来なかった。
 彼を両手で大事に抱えたまま、自分の胸に押し付けて抱きしめた。
 少し力を入れすぎている。
 フレッドはリーズの手のひらと胸の間で抱きつぶされそうになるが、何も言わずに我慢した。
 しばらくして、リーズは少し力を緩めた。
 「フレッドも…一人ぼっちだったんだね。
  ごめんね…約束した事をフレッドに全部任せて、あたし…
  ねえ、本当に仲直りしてくれる?
  また…あたしの玩具になって遊んでくれるの?」
 出来る事なら、リーズは胸の中に捕まえている小さな生き物をずっと手放したくなかった。
 「玩具…まあ、それも…な」
 フレッドは肯定も否定もしなかった。
 楽しい気も、そうでも無い気もした。
 「じゃあ、仲直りだな?」
 「…うん」
 二人は頷いた。
 話したい事は、山ほどあった。
 リーズは、この5年間の事、人間と妖精達がどういう風に変わっていったのか、フレッド達がどうしていたのかを彼から直接に聞きたかった。フレッドも、それをリーズに話したくて仕方が無かった。
 いつまでも、話は終わらなかった。
 5年という時間は、人間にとっては少年が青年になる時間で、妖精にとっては、少しぼーっとしていると過ぎてしまう時間であった。
 それでも、同じ5年には違いなかった。
 「結局、仲良く一緒に住む…ていうのは、無理だったんだよね」
 一通りの話を聞いた所で、少し残念そうにリーズは言った。
 妖精と人間が仲良く暮らす世界というのは、結局、実現は出来なかった。
 「ああ…妖精達は人間の事を認めてくれたが、この世界に留まるのはやめておく事にしたらしい」
 フレッドも少し残念そうに言った。
 「この世界は人間にあげて、妖精のみんなは、また、新しい玩具の世界を作るのね…
  まあ、確かに、あたし達ってそんな感じだしね」
 玩具が欲しい。
 小さくて可愛い、人形のような生き物で遊びたい。
 無力な物を玩具にして遊びたいというのは、妖精の本能だった。
 人間を玩具にするのをやめて、新しい玩具の世界を作るというのが、妖精達の選択だった。
 「結局のところ、妖精達は俺達を見逃してくれただけなのかもしれないな…」
 フレッドは、少し寂しそうに言った。
 そもそも、妖精達は、原因は不明だが、この世界で徐々に力を失っている。
 以前は何も食べなくても、自然に溢れる力だけで十分だったのだが、いつしか数年に1度は食事を取らなくては力を維持出来なくなり、今では、それが数ヶ月に1度は食事…特に主食にしている人間を食べないと、本当の力を振るう事が出来なくなっていた。 
 「そうなのかな…」
 リーズは首を傾げた。
 この世界が妖精達にとって魅力が無くなってしまった事が、妖精達がこの世界を去る事を決めた理由の一つである事は間違いない。
 リーズは子猫のような目で、人形のように小さな青年を見つめている。
 …きっと、俺の事を指で突き回したくて、うずうずしてるんだろうな。
 フレッドは、悪戯を我慢しているリーズが可愛くて仕方なかった。
 彼女と一緒に居ると、人間が妖精の女の子達の玩具になるために作られた存在だという事を、はっきりと認識する。
 フレッドのように妖精を殺す事も出来る力を持った人間も居るが、それは、特例である。
 妖精と人間の力の差は、やはり圧倒的だ。
 彼を手のひらに乗せている妖精の女の子は、人間を軽々と手のひらに乗せられる位に大きい。
 彼女と同じように大きくて、人間に比べて圧倒的な力を持った妖精達が世界には少なくとも数百人は居る。
 力の強さという事になると、妖精に抗う力を持っているのは、世界中でフレッドを含めても数人しかいない。
 結局、妖精達の気分次第で、人間は一週間もたたずに世界から消える存在だ。
 妖精と人間の関係で、結局、選択権を持っているのは妖精なのである。
 「あたし達…人間に比べて強すぎるもんね」
 すまなそうに、リーズは言った。
 小さな人間を対等の存在として、一緒に暮らす事を快く思わない妖精も少なくなかった。
 「まあ…いいさ。
  妖精達には人間達を食い尽くしてから、この世界を見捨てる選択肢もあったが、それをしないでくれた。
  それで、十分さ…」
 彼女達が人間を認めてくれただけで、フレッドは十分だと思っていた。
 確かに、今でも人間をゴミのように思っている妖精も居るが、一方で、リーズのように人間に心を開いてくれる妖精も居た。
 妖精にも色々な妖精が居る。
 巨大な彼女達の足元に現れて話をするうちに、フレッドはその事に気づいた。
 本当にみんなが納得する答えなんて、なかなか出るものではない。
 「でも…フレッド、すごいな。
  あたし、フレッドが本当に妖精に負けない位に強くなるなんて思ってなかったんだよ?」
 可愛いのに偉いね。と、リーズがフレッドの頭を指先で撫でてあげた。
 「ねえ、何かご褒美あげようか?
  えへへ、また、あたしのおっぱいの上で昼寝でもする?
  お尻の下に敷かれるのは、あんまり楽しくないんだよね…」
 フレッドが喜ぶ事をしてあげたいと、リーズは思った。
 男の子が女の子に何をされると喜ぶのか、いまいちわからないが、そういうのが好きらしいと、メリアに聞いた事がある。
 自分はフレッドより遥かに大きいから彼を玩具にする事が出来るが、逆に、彼が望む事を何でもしてあげる事出来る。
 フレッドには、何でもしてあげなきゃね。
 リーズは、手のひらの上の生き物が可愛くて仕方なかった。
 あたしだけじゃなくて、マリクの分まで頑張ってくれたんだもん。
 彼女はフレッドの体を指先で優しく撫で続ける。
 五年分の思いが、指先に込められた。
 「ふふ…そうだな」
 なぜか、フレッドは寂し気に笑った。
 「じゃあ…俺を食べてくれないか?」
 笑顔のまま、フレッドは言った。彼を撫でるリーズの指が止まった。
 「そういう冗談は…やめて欲しいよ」
 彼の笑顔が彼の兄に似ている気がして、リーズは気分が暗くなった。
 彼女に答えずに、フレッドがふわりとリーズの手のひらから飛び立った。
 フレッドは飛行の魔法で、リーズの顔の前、口の前辺りまで飛んだ。
 「冗談でなんか…言えるか
  俺は本気だ。
  …ちゃんと理由があるんだ」
 フレッドは両手を広げて、彼女に言った。
 リーズは、背筋が寒くなった。
 彼はフレッドだ。マリクではない。マリクの仕草とも違う。
 ただ、自分に食べられる事を当たり前だと思っているような様子が、マリクにそっくりだった。
 目の前を浮いている小さな生き物を、幽霊でも見るような目で、リーズは言葉も無く眺めた。
 「だって…お前が妖精の国に帰るには力が要るだろう?」
 フレッドの言葉にリーズは頷いた。
 「お前だけじゃない。
  妖精達が異世界にある自分達の国に帰るには、大きな力が必要だろ?
  …人間を食べなきゃ、今のお前達は本当の力を出せないんだもんな」
 こんなに優しく微笑むフレッドを、リーズは見た事が無かった。
 「生贄…って言ったら、言い方が悪いが、妖精がこの世界を人間にくれるって言うんだ。人間も代償を払わないとな。
  …泣いてくれた妖精も居たぞ?
  今までは何にも感じずに、何百人も人間を食べていた妖精が、あんな風に泣いてくれたんだ。
  俺も…もう、思い残す事は無い。
  お前を仲間と一緒に妖精達の世界に帰してやること。それが…俺の最後の仕事さ。
  お前も…俺だったら、食べてもいいだろう?」
 フレッドは長い間追いかけていた、妖精の少女に向かって言葉を続ける。
 リーズは、大きな体で小さく震えながら、彼の話を聞いている。
 初めて会った時、自分の渾身の魔法を受けても平然と笑っているリーズを見て、フレッドは怖かった。
 彼女の圧倒的な大きさと力を前にして、悔しかった。死にたくないと思った。
 でも、今は彼女になら食べられても良い。
 目の前に居る巨大な女の子は、自分の命を賭けるに値する相手だ。
 「マリクの気持ちが…少しわかる。
  俺とあいつは、正反対だった。
  俺はいつも怒ってて、あいつは、いつも笑ってた。
  俺は妖精の殺されたくなくて、殺してやろうと思ってたけど、あいつは…多分、本当に妖精に食べられたい、殺されたいって思ってたんだろう。
  それが…元々の人間だもんな。
  俺も…お前になら食べられてもいい。
  …ふふ、安心しろ。化け物だなんて思わないから。誰にも、言わせやしないぜ?
  お前は…俺にとって、他のどの妖精よりも大きい。美しい。一番の妖精だ…」
 フレッドの顔がマリクとダブった。
 「ありがとうね、フレッド…」
 フレッドの優しさがリーズにもわかった。
 リーズは彼を手に取ると、静かに口を開けた。
 悲しげに微笑んで、彼を口の中に入れた。
 赤い色の口内に、白い歯が壁のように並んでいる。
 …この中に入ったら、二度と出られないんだよな。
 大きく開いたリーズの口の中を見て、少しフレッドは怖かった。
 不思議なものである。
 こういう風に、妖精達に捕まって食べられないように、今まで彼女達の手をかいくぐって逃げたのである。
 化け物のような女達に食い殺されたくはない。何とかして、彼女達と話をするんだ。
 そうやって気を張っていたが、今は、食べられたい気持ちでいっぱいだ。
 リーズの口の中に入れられたフレッドは、彼女の口が閉じるのを見た。
 光の入らない暗い洞窟。もう出る事は出来ない。
 柔らかくて、ぬるぬるとした物が、体に触れてきた。とても温かい。
 リーズの舌だ。
 彼女の舌が、フレッドを口の中に転がす。
 フレッドは勇者である。長年続いていた人間と妖精の関係を変えるきっかけになった、人間の世界の勇者だ。
 でも、リーズの口の中に居る今は無力だった。
 自在に動き、彼の体ほどに大きい、女の子の舌に玩具にされるだけの存在だった。
 それでもフレッドは幸せだった。
 …そういう風に出来ているんだよな、人間は。
 妖精達の舌に触れて舐めまわされると、強力に魅了されて彼女達の奴隷になりさがる。
 そういう宿命に、フレッドは逆らおうとしなかった。
 彼女の体の奥に送られるのが、少し楽しみになった。
 ずっと思い描いていた、ここが彼の旅の終着点。
 それで良いと、思った。
 やがて、光が差し込んだ。
 リーズの口が開いたのだ。
 彼女の舌が動き、彼を口の外へと吐き出した。
 「気持ちだけ、もらっとくね。
  …出来ないよ。食べるなんて」
 フレッドを再び手のひらに乗せて、リーズは微笑んだ。
 「…そうか」
 フレッドは残念そうに首を振った。
 正直、こういう風になるんじゃないかとも思った。
 自分の知っているリーズが、また人間を食べるとは思えなかった。
 「辛い事…思い出せて、ごめんな」
 「んーん、いいよ。
  …うふふ、でも、口に入れて遊ぶのは楽しいしね」
 フレッドにはリーズの笑顔が、今にも泣きそうに見えた。
 「だが…本当に良いのだな?
  妖精の世界に帰れなくなるぞ」
 「みんなと一緒に行きたいけど…でも、もう嫌なの」
 リーズは首を振った。
 彼女の決意は固いものに、フレッドには見えた。
 「お前らしいな。
  …マリクめ、どうせリーズに食われるなら、今、食われれば良かったのにな」
 「もう…その話はしないでよ」
 リーズは少しふくれた顔をした。
 それから、もう一度、彼を摘みあげる。
 「ねえ、フレッドの事…もう一回舐めてもいい?
  食べないけどね、君の事、もっと舐めて遊びたいの」
 ドキドキとしながら、フレッドに言った。
 …こんな時に、こんな事を言ったら変な子みたいだな。
 恥ずかしかったが、言うだけ言ってみた。
 リーズの困惑したような顔は、フレッドにとって刺激が強かった。摘み上げる指に逆らう気にもならない。
 「あんまり玩具にすると…お前の舌に噛み付いてやるぞ?」
 「うん。別にいいよ?
  あたし、そんな事されても何とも無いもん」
 むしろ、フレッドの可愛い歯で噛まれるのって、くすぐったくて気持ち良いかもしれないな。
 リーズは彼の小さな体が可愛いと思った。
 「服…脱がせてもいい?
  服の上から舐めても、ちょっとつまんないよ…」
 「脱がせたかったら、力づくで脱がせてみろよ?」
 フレッドが言うと、リーズは少し恥ずかしそうに、にやっと笑った。
 服を脱がせても良いっていう意味だと、受け取った。
 「えへへ、じゃ、いくよ?」
 リーズはしゃがみこんで、フレッドを膝の上に乗せた。
 それから、両手をゆっくりと彼に近づける。
 もちろん、リーズが力づくでかかってきたらどういう事になるか、フレッドにはわかっている。
 不安定な彼女の膝の上に乗せられて、簡単に自分の事を握りつぶす事も出来る彼女の指に、以前は何度も玩具にされていた。
 彼女の両手が、フレッドのローブの肩の辺りを掴んだ。
 フレッドは一生懸命に体をよじって、彼女の指から逃れられようとする。
 「えへへ、無駄だってわかってるくせに。
  優しいなぁ、フレッドは」
 リーズの指は、容赦なくフレッドのローブを摘んだ。
 「いっぱい、がんばりなよ?
  君は人間の世界の勇者なんでしょ?
  ほら、がんばれー」
 彼女の指が容赦なくフレッドを襲った。
 久しぶりに聞く、リーズのからかう声だ。
 別に、巨大な女の玩具にされる事が楽しいわけじゃないと思う。
 楽しいのは、相手がリーズだからだ。
 自分の体ほどもある大きな指に、無駄な抵抗をする事が楽しい。彼女の気分次第で何をされるかわからない。
 でも、相手がリーズだから
 こうやって無駄な抵抗をしてやった方が、リーズが喜ぶ事も知っていた。
 リーズにしてみると、フレッドがどんなに暴れても玩具の人形のような物だが、彼と彼のローブを傷つけないで服を脱がす事は少し難しかった。
 扱いを間違えたら、彼の小枝のように細い手足の骨など簡単に折れてしまうし、肉や服を思いっきり摘んだら引きちぎってしまう。
 小さな心遣いが居る作業だ。
 「あー!もう、嫌!」
 そうした繊細な作業に音を上げたリーズは、フレッドの胸の辺りを押して、膝に押し付けた。
 「お、おい、やめろ…」
 フレッドは苦しくてもがいた。
 リーズが指を離すまで、彼は呼吸が出来なかった。少ししてリーズに開放されたフレッドは、ようやく空気を吸い込んだ。
 呼吸を整えるまでの間、フレッドは何も出来なかった。
 「ごめんね、ちょっと飽きちゃったの…」
 その隙に、リーズは申し訳無さそうに彼に謝ると、無抵抗な彼のローブを摘んで、脱がしてあげた。
 「全く…お前らしいが…」
 それでも、今日はフレッドもあまり怒らなかった。
 「えへへ、ちょっとずるかったね」
 リーズに反省の色は無く、それから、フレッドを何度も口に放り込んで舐め回した。
 人間と妖精の間を取り持った勇者も、リーズの前では飴玉のように扱われる玩具だった。
 しばらくして精魂尽き果てたフレッドは、体を拭いてからローブを着ると、リーズの膝の上に寝転んだ。
 リーズは膝の上の生き物に指を伸ばし、優しく撫で続ける。
 「ほんとは…マリクとも、こうやって遊びたかったな。
  何で…あの人、あたしに食べられたんだろう?
  あたし、やっぱりわかんないよ…」
 フレッドと遊んで満足した後、彼女は、ため息をついた。
 結局、一番遊びたい相手とは、遊べない。心からマリクが居なくなる事は無かった。
 確かに、フレッドは自分の事を許してくれた。
 他の『七人の子供達』の仲間も許してくれたのだろう。
 マリク本人に至っては、そもそも怒ってすら居ないはずだ。
 おそらく世界でただ一人、リーズ自身だけが、未だに自分の事を許せなかった。
 「あいつの考える事なんて、俺達に理解できるはずが無い。
  …でも、お前の為にやったんだと思うぞ。
  あいつは、多分、俺以上にお前に入れ込んでた」
 「人間を食べる事がどういう事なのかは…確かに、わかったけど…」
 彼が、とても大事な事を教えてくれたのはリーズにもわかる。
 「でもさ、他に方法はあったんじゃないのかな?
  無茶苦茶だよ…自分が食べられるなんて。
  …ごめんね。あたしに…そんな事を言う資格はないよね」
 「いや、お前の言う通りだ。
  無茶苦茶だよ、あいつは。
  でも、それが俺の兄貴で、お前の一番仲良しのマリクさ」
 フレッドには、もはやリーズを責める気持ちは一欠けらも無い。
 「結局…マリクが居なくても、妖精達と人間達の間で話し合いはついたんだ。
  リーズも…本当に苦しい場面には出くわさずに済んだ。
  お前の友達同士が殺し合う場面に、お前が居なくて良かったと思う。正直、お前が耐えられる光景じゃなかった。
  あいつは…多分、こうなる事まで予想してたのかも知れないな」
 マリクを恨む気持ちも、フレッドには無かった。
 「それって、あたし、マリクにもフレッドにも甘えっぱなしになっちゃったって事だよね。
  あたしにも…それ位、わかるよ。
  甘えさせてくれて嬉しいけど、子供扱いされるの…やだな。
  でも、あたし子供だもんね。マリクに言われた通り、良い事も悪い事もわかんなくて…」
 「さっきから言ってるだろ?
  もう、忘れろ。終わった事だ…」
 フレッドの言葉に、しかし、リーズは頷く事が出来なかった。
 「まあ…お前の気持ちはわかった。
  お前に、無理して人間を喰えとは言えない。
  ともかく、妖精の仲間と行かないなら、俺達の所に来いよ?
  みんな…心配してるぞ?」
 人間を食べたくないという妖精の女の子に強要する事は、フレッドには出来なかった。
 なら、せめて、人間の輪の中に入って欲しいと思った。そうでなけれ、彼女は一人ぼっちになってしまう。
 「それも…出来ないな。
  あたしには、そんな資格無いよ。
  妖精のみんなが、人間の前から姿を消す事にしたの…あたし、よくわかるもん」
 リーズは首を振った。
 今更、人間達の前に友達面で現れる事は出来ない。
 「そうか…」
 彼女の心の傷の深さを考えると、フレッドは憂鬱だった。
 その原因は彼にもあるからだ。
 マリクを食べた事で動揺していた彼女を、『化け物』と呼んでしまった。
 「俺とマリクが、お前を傷つけてしまったんだな…」
 フレッドは沈んだ声で言った。
 「そんな事無いよ!」
 リーズは、あわてて首を振った。振ったが、妖精の住処を離れて彼のところに行く事には納得しなかった。
 「もし…気が変わったら、いつでも来いよ?」
 「うん…」
 彼女を説得する事は不可能だと感じたフレッドは、それ以上は何も言わなかった。
 「でも、あたし…約束するね」
 それでも、そんなフレッドの気持ちが、リーズにとって嬉しい事なのは確かだった。
 「妖精のみんなは、もう人間をいじめないと思うけど…
  でも、もし、他の何かが人間をいじめる事があったら…
  今度こそ、あたしがみんなの事、護ってあげるね。
  …フレッド、ちっちゃいのに沢山がんばってくれたんだもん。今度こそ、あたしが助けてあげる。
  あたし、人間より大きくて強いんだから…ちゃんとしないとだめだよね」
 少し思いつめている様子だが、リーズの目からは力を感じた。
 それを、彼女の成長の証だとフレッドは感じた。
 「ああ…頼むな。
  お前は、この世界で一番大きくて優しいんだ。
  だから…待ってるぞ」
 フレッドは頷いた。今のリーズからは強さを感じた。
 …マリクは、リーズのこんな姿を見たかったものなのかも知れないな。
 マリクの考えていた事は、多分永久に理解出来ないが、それでも、少しだけわかった気がした。
 後は、早くリーズが自分の事を許せる日がくれば良い。
 だが、それは時の流れという力を借りるしか無いのかもしれない。
 「じゃあ…そろそろ帰る。
  また、来るからな」 
 フレッドは、ひとまず帰る事にした。
 リーズも、彼を見送った。
 フレッドの一番の望み…リーズと仲直りする事。
 それは、彼女を『化け物』と罵った日から5年を経て、ようやく達成する事が出来た。
 しかし、彼女は妖精の仲間と共に自分達の世界に帰る事も、自分達と一緒に人間達と暮らす事も両方拒んだ。
 一人でいじけ続ける事を選んでいる。
 フレッドの悩みは尽きなかった。
 妖精の住処を出て、フレッドは外の陽光を浴びた。
 明るい陽の光は、心地良い。
 だが、フレッドは心が休まる間が無かった。
 妖精の住処を出た目の前に、入るときには無かった、二本の白い柱が立っているのを見たからだ。
 思わず、見上げてしまう。
 何度も見慣れている光景だった。
 それでも目の前に突然妖精が現れると、彼女達の足を柱か何かと見間違えてしまう。彼女達の巨大な体を建物か何かと思ってしまう。
 どうしても、彼女達が生き物だと認識するまでに、時間がかかってしまった。
 妖精の住処の外で、妖精の女が一人、白い柱のような足を地面に立てて、フレッドの事を見下ろしていた。
 「こんな事だろうと思ってたわ。
  リーズが…お前を食べるはず無いものね」
 ラウミィは、不機嫌そうにフレッドに言った。
 「済まないな…
  お前を裏切ってしまった」
 彼女が不機嫌なのも当然だ。彼女達の所に、リーズを返してやるのが、彼女とフレッドが交わした約束だった。
 「仕方無いわね。
  …お前、どっちにしろ、このまま帰れるとは思ってないわよね。
  リーズに食べられなかった代わりに…私が食べてあげようか?」
 ラウミィは舌なめずりをしながら、フレッドを見下ろす。彼の事を本気で責める目線だ。
 他の妖精達の多くが人間達に対する考え方を改めるようになっても、この妖精だけは、少しも考えを変えていなかった。
 人間を食べる事に、何のためらいも感じていなかった。
 「お前との約束を破った報いを受けるべきだとは思う…
  だが、俺は、これからもリーズの事を見ていてやらねばならない。
  お願いだ…殺さないでくれ」
 フレッドは、自分を見下ろす妖精の冷たい目線が辛かった。
 死ぬわけにはいかないから、彼女に命乞いをした。
 「うふふ…『殺さないでくれ』ですって?」
 ラウミィの口元が歪んだ。
 そのまま両膝をついてしゃがむと、前かがみになって、フレッドに顔を近づけた。
 フレッドは、目を逸らさずに彼女の事を見つめる。
 「まあ…ゴミくずが私達に這いつくばって、命乞いをするのは当然ね。
  もっと、ひざまずくといいわ」
 ラウミィはフレッドをにらむ。
 「…でも、確かにお前の言う通りね。
  悔しいけど、お前を殺す事は出来ないわね」
 悔しそうにラウミィは言った。
 「いい?
  お前は…これから、一生をかけてリーズを見ていなさい。
  これは命令よ。
  もし、リーズを泣かすような事があったら、すぐに人間達をこの世界ごと消し去ってやるわ…」
 低い声でラウミィは言った。
 「今度こそ、約束する」
 フレッドは、すまなそうに頷いた。
 「結局…お前とは平行線のままだったな」
 それから、寂しげにラウミィに言った。
 妖精の中でただ一人、彼女だけが、人間を玩具や食料として扱うのを止める事に納得してくれないままだった。
 「ええ、そうね。
  悪いけど…私には人間は虫けらかゴミくずにしか見えないわね」
 吐き捨てるようにラウミィは言った。
 「…でも、安心しなさい。
  妖精のみんなで決めた事には従う。
  この世界からは…去ってあげるわ」
 少しだけ、彼女は足元の小さな生き物に優し気な目を向けた。
 「これで…お前ともお別れか」
 「そうね。
  見逃してあげるから…早く行きなさい」
 今まで、何度も殺しあった妖精と人間は、少しだけ複雑な思いだった。
 フレッドは何も答えずに、ラウミィから目を逸らして歩き始めた。
 これで、おそらく妖精達と会う事は無いだろう。
 ただ一人、この世界に残る事を選んだリーズを除いて…
 フレッドは、少し頭の中が空っぽになった。気が抜ける。
 一瞬、頭の上に気配を感じた。
 何か大きな物が、頭の上で影を作っているのをフレッドは感じた。
 それを避けるには、フレッドは油断をしすぎていた。
 ずしん。
 無慈悲な地響きを立てて、ラウミィの足が振り下ろされた。
 「うふふ、本当に…甘いわね」
 彼女は笑った。
 全く警戒せずに自分に背を向けたフレッドの事が楽しくて仕方なかった。
 ぐりぐりと、踏みしめた足を地面に押し付けて、踏みにじった。
 何て愚かな生き物なんだろう?
 本当に、私が何もせずに見逃してやるとでも信じていたのだろうか?
 「そんなに甘いと…いつか本当に踏み潰されるわよ?」
 彼女は自分足元を見ながら言った。
 「甘いのは…嫌いか?」
 目の前に下振りろされたサンダルを履いた白い踵は、壁のようだった。
 それが、自分の上に落ちてきていたら…
 まるで、彼に見せ付ける様に、ラウミィの足は地面をえぐり、踏みにじっている。
 お前なんて踏み潰せるけど、見逃してやったのよ?
 そんなラウミィの圧力を感じた。
 フレッドは、自分の事を跨いで楽しんでいる巨人の女を見上げた。
 「うふふ…お前が、どうしてもって言うなら、お前とは友達になってあげてもいいわよ?」
 ラウミィは、いつものように嘲笑って言った。
 だが、彼女の人間を見下す声が少しだけ震えているようにフレッドは聞こえた。目が泳いでいる。
 「…もう、人間をゴミのように扱わないと、約束はしてくれないのか?」
 「それは…」
 フレッドの質問に、ラウミィの顔が曇った。
 「出来ないわ」
 険しい顔でラウミィは首を振った。
 「前から1度聞きたかったのだが…何故、そんなに人間が嫌いなんだ?」
 確かに、他の妖精達も少し前までは、その巨大な足で躊躇無く人間を踏み潰していたが、ラウミィはそんな妖精達と比べても特別だと思った。
 他の妖精達のように遊び半分ではなく、恨みでも持っているかのように、ラウミィは人間をゴミ扱いにしている。それが、フレッドには理解できなかった。
 「何で…かしらね?
  上手に言えないけど…とにかく、気持ち悪いのよ」
 問われると、ラウミィも悩む。悩むが、フレッドには答えてやろうと思った。
 確かに、自分は仲間と比べても人間を嫌い過ぎてる気がする。
 人間を玩具にして遊ぶのではなく、憎しみを込めて弄んでいる自分を感じる。
 「私達と同じような姿をした小さな生き物が、地面をうじゃうじゃと這いずり回っているのが…耐えられないの。
  人間を見ると、片っ端から踏み潰してやりたくなるわ…たっぷり玩具にしてね。
  …許せないの。あたし達の玩具として作られたゴミなのに、生意気にするのが。
  そんな人間が…リーズを傷つけたのよ?」
 低い声でラウミィは言う。
 人間に対する気持ちを、低い声で語った。
 やはり、彼女は人間にとっては恐ろしい存在である事をフレッドは確認した。
 確認したが、彼は少し嬉しそうに頷いた。
 「やっと…まともに話をしてくれたな。嬉しいぞ」
 彼女の考え方がどうあれ、自分の胸の内を話してくれた事がフレッドには嬉しかった。
 ラウミィは、そんなフレッドの優しげな目線に、胸がむかむかとした。
 「…ねえ、フレッド?
  お前が私を殺せるのに見逃した数と、私がお前を殺せるのに見逃した数、どっちが多かったかしら?」
 「そんな事、数えた事は無い」
 「お前が私を見逃した数の方が…多かったわよ」
 この男は、こうやってリーズや他の妖精達を騙してきたのだと、ラウミィは思った。
 「あの子には、心を癒す為の時間が必要ね。
  でも、妖精の時間は…長いわよ?
  時間があの子を助けてくれるまで、お前が生きてる事なんて出来ないわ」
 「…そうかもしれないな」
 せいぜい、自分は、これから100年位しか生きられないだろう。フレッドは命が短い人間である事が悔しい。
 「さっきも言ったけど…」
 ラウミィは、仲間の妖精を見るのと同じような目でフレッドの方を見た。
 「お前は、一生かけてあの子に尽くすの。
  尽くしたら、安心して死んでしまうといいわ。
  …その後の事は私に任せておきなさい」
 「リーズの事…約束してくれるか?」
 彼女が約束してくれるなら、フレッドは肩の荷が一気に降りる。
 「いつか…また来るわ。
  それまでに、世界の壁を越える方法も考えておくわよ。
  …人間を食べなくても、この世界と妖精の世界を行き来する事が出来るようにね」
 「ありがとう…ラウミィ」
 今だけは、ラウミィの事が巨大な女神のようにフレッドには見えた。
 ラウミィは何も言わずにしゃがみ込み、フレッドの前に手のひらを広げて置いた。
 「私の手のひらに…乗る勇気はある?」
 そうして手のひらに乗ったら、握られた事もある。
 「お前には…負けた。
  そこまで言われたら…握りつぶされても、諦めてやる」
 フレッドは、彼女の手のひらに乗った。正直、握りつぶされるんじゃないかと思った。彼女はそういう女だ。
 ラウミィは彼を顔の前まで持ち上げる。
 「うふふ、甘い男ね。
  …カワイイは」
 ラウミィは大事な物を見るように、フレッドの事をじっくりと見た。
 「…でも、私が認めたのはお前だけ。
  もし、今度、私が来た時に、まだ人間がゴミのようだったら…容赦しないわよ?」
 ラウミィは冷たく笑った。それも彼女の本心だった。
 「お前が…その優しさを人間達にも向けてくれる事を願っている」
 「ご期待に…答えられるかしらね?」
 その時が来てみないと、ラウミィにはわからなかった。
 見定めてみようという気持ちはあった。
 ゴミくずのように扱うか…
 この男のように、友として扱うか…
 いつか再び出会う人間の事を、少し楽しみに考えた。
 「本当に…お前はカワイイは。
  カワイイ上に…馬鹿ね」
 勝ち誇ったように笑った。
 それから、フレッドを乗せた手を少しづつ握り締めた。彼女の5本の指が柱のように立ち上がり、それから内側に向けて丸められていく。
 手のひらも、フレッドを掴むために、内側に向かって丸まっていった。
 フレッドはラウミィの笑顔を見つめたまま、彼女に握り締められた。
 「このまま…お前を握りつぶす事は容易いわね」
 手の中に握り締めた小さな生き物に、ラウミィは微笑みかけた。
 「…でも、見逃してあげる。
  さっき、お前の頭を潰さないで見逃してあげたし、踏み潰すのもやめてあげたわよね。
  …これで、私がお前を見逃した数が、お前が私を見逃した数に並ぶわね」
 満足そうにラウミィは微笑んだ。
 …何だそれは?
 「子供か、お前は…」
 フレッドは呆れた。
 彼を握り締めるラウミィの手に、少し力が入った。フレッドは全身を締め付けられる。
 「状況を考えて、口を慎んだ方がいいわよ?」
 微笑んだままラウミィは言って、彼に口を近づける。
 「これは…本当にサービスだからね?
  ゴミくずの為にこんな事するなんて…ふん、何でもないわよ」
 彼女の笑顔から、フレッドは目を逸らせなかった。
 彼を丸ごと咥えられる口が開き、中から現れた舌が、彼の事を一度だけ舐めた。
 ゴミくずの心を弄ぶ為に舐めるのでは無い。彼が愛おしいから唇を合わせて舐める。
 ラウミィは人間が大嫌いだったが、フレッドと二度と会わなくなる事は寂しい事だと思った。
 …リーズに見られたら、怒られるな。
 少し、フレッドは恥ずかしかった。
 それから、ラウミィは彼を地面に降ろした。
 「引き止めて悪かったわね。
  これで…本当にお別れよ」
 まだ、名残は惜しかったが、彼女は光で出来た羽根を広げた。
 「ああ…
  リーズの事、しばらくは俺に任せておけ。
  その後は頼む」
 「ええ、約束するわ」
 そう言って、ラウミィは飛びたった。
 それが、5年間、戦いを続けていた人間と妖精の別れになった。
 フレッドは肩の荷が降りた気がした。
 仲間思いの妖精が約束してくれた。
 自分が死んだ後のリーズの事は考えなくても良いのだ。
 …これで、終わった。
 彼は、誰も居ない、何も無い草原に寝転んだ。
 「メリア…帰るからな」
 フレッドは、一言つぶやいた。
 …いや、だめだ。
 まだ考えておく必要がある事をフレッドは思い出した。
 ラウミィは、いつの日か、この世界にやってくるだろう。何があってもやってきて、何があってもリーズを連れ帰ろうとするだろう。
 その時、人間は、どうなる?
 ラウミィは最後には自分に気を許してくれたが、人間全体に対して考えを改めたわけじゃない。
 どうやら、彼女は本能レベルで人間を嫌悪している。
 彼女はリーズの事は何とかしてくれるだろうが、人間の事は、気まぐれに踏み潰してしまうかもしれない。街ごと。世界ごと。
 …まあ、何とかなるか。
 そもそも、その時の人間が、進歩した姿をラウミィに見せてやれば済む話だ。
 今は…休もう。
 フレッドは、ひとまず休む事にした。
 彼の妖精との戦いは、そうして終わりを告げた。
 数日後、全ての妖精はこの世界を去り、その後、彼女達は古代妖精と呼ばれる事になった。
 妖精と人間の間の経緯は、『七人の子供達』のメンバーを含めた極少数の者しか知らず、古代妖精の姿は歴史の中に埋もれていく事になった。
 それから、100年程が過ぎたある日、フレッドは再びリーズの元を訪れた。
 彼を含めた『七人の子供達』の仲間達は、事ある度にリーズの所を訪れていた。
 彼女の心を癒す事が、結局、フレッドを含めた彼らの一番の望みだった。
 彼らは魔法使いの集まりを広げ、『七人の子供達』は魔道士協会として世界中に根を広げていったが、リーズの事を忘れた事は無かった。
 リーズは彼らによって、魔法で隠されたダンジョンに移され、厳重に人間達からは隠されていた。
 今のリーズを人間達の前に晒すわけには、いかないと思ったからだ。
 魔道士協会の中でもリーズの事は秘密にされ、かつてマリクと共に集まった5人以外はリーズの存在すら知らなかった。
 だが、そんな仲間達も、時の流れに流され、少しづつこの世を去っていった。
 結局、最後に残ったのはフレッドだった…
 「あはは、フレッドも、すっかりお爺ちゃんだね」
 リーズは100年程前と全く変わらない巨大な姿と笑顔で、フレッドの事を迎えた。
 フレッドの方は、大分姿が変わっていた。
 赤い髪こそ、かつてのままだったが、顔には深いしわが刻まれ、目と耳も大分弱っていた。杖なしでは、リーズの所まで歩いて来る事も出来なくなっていた。
 「当たり前だ。100年経てば、人間は老いる」
 ただ、その目線と口調は若い頃のままだった。
 「…メリアも、先月死んだぞ。
  最後まで、お前の事ばかり心配していた」
 「そっか…」
 今日は、メリアが死んだ事を伝えに来るのがフレッドの一つ目の用事だった。
 悲しい知らせは何度も聞いたが、メリアの死は特にリーズには辛い知らせだった。
 「もう…ここを知ってるのもフレッドだけになっちゃったね?」
 リーズは寂しそうだ。
 フレッドと、彼の妻…メリアは、いつも一緒にリーズの所に姿を見せてくれた。
 『七人の子供達』の仲間の中でも、この二人だけは特別だった。
 「他の者には、どうしてもここを教えて欲しく無いのか?」
 「うん…みんなにしか、会いたくない」
 寂しいが、マリクと一緒に集まっていた仲間としか、リーズは会いたくなかった。
 ラウミィと同様、彼女もまた、人間全体を友達と思っているわけでは無かった。
 「まあ…もう何も言わん。
  だが、もう一つ、悪い知らせがある」
 フレッドは、少し苦しそうな顔をして言った。
 リーズの様子が心にこたえて、それがそのまま体にも来た。
 彼の体も、大分弱っていた。
 …これ以上、どんな悪い知らせがあるんだろう?
 リーズはあまり聞きたくなかった。
 「俺も…そろそろメリアと一緒に行く。
  さすがに限界だ」
 ふふっと、フレッドは不敵に笑った。死ぬ事は怖くない。
 「多分、お前の所に来れるのも、これで最後だな」
 フレッドの気がかりも、リーズの事だけだった。
 彼女にとっての100年という時間は、それ程意味は無かったようだ。
 「そっか…」
 もう一度、寂しそうにリーズは呟いた。
 目の前に居る老人は、もう、玩具にして遊ぶ事も出来ない位に弱々しく見える。
 「…ごめんね、あたし、ワガママばっかり言って、閉じこもってて」
 「謝る必要は無いが…本当に一人ぼっちになってしまうぞ?」
 「うん…もういいよ。
  天国でもメリアさんに会えるといいね…」
 リーズは、もう十分だった。
 フレッドやメリア達を見送る事が出来たし、満足だった。
 「あたしも…もう、ここで寝てるね?
  生まれ変わったり出来たら、今度は、あたしも人間がいいな…」
 自分がこの世を去るまでには、まだまだ時間がかかりそうだった。妖精の体が妬ましかった。
 「そんな事は言うな。
  お前は、そういう事を言うには、まだ早い」
 フレッドの言葉に、リーズは元気が無さそうに頷いた。
 もう、これで会うのが最後だと思うと、あんまり言葉も出なかった。
 何か話しておきたいけれど、何を話しても、もう終わってしまうと思うと声があまり出なかった。
 「何度も言ったが、もし、その気になったら、いつでもあの家に来い。
  俺の…俺とメリアの子供達は、少なくとも、お前に優しくしてやるから」
 「うん…あの家だね」
 マリクとフレッドが居て、他のみんなも居たあの家。
 行ってみたいという気持ちは、確かにあった。
 言葉は多くなかったが、長い時間、二人はしばらく話を続けた。
 「ねえ…ほんとに、ほんとに、今まで、ありがとうね、フレッド…」
 最後に、そう言ってリーズはフレッドの事を見送った。涙で顔がくしゃくしゃになっている。
 「ああ…」
 フレッドは小さく頷いた。
 彼女のおかげで、とても楽しかったことは確かだ。
 結局、彼女の心を癒せなかった事だけが気がかりだった。
 …後はラウミィ次第だ。
 彼は、二度と会う事が無かった妖精のライバルの事を最後に考えた。
 そうして、フレッドは彼女の前から永遠に姿を消した。
 …あーあ、一人ぼっちになっちゃったな。
 リーズは、いつまでも彼の事を見送っていたが、やがて寝転んだ。
 …みんなが居なくなって、あたしもいつか居なくなるんだ。
 『人間と友達になっても、みんな、君より先に死んでしまうよ?』
 マリクの言葉が頭を過ぎる。
 わかってはいたけど、やっぱり辛い。
 …もう、このまま寝てしまおう。
 リーズは静かに目を閉じた。
 それから、リーズは長い間、眠るように過ごした。
 たまに、誰かがダンジョンの入り口付近に来ると、魔法の警報が鳴って目を覚ました。
 人間達がダンジョンの入り口を探しているらしい。
 フレッド達が魔法で隠しているから、人間がダンジョンの入り口を見つける事は出来なかったが、少し怖かった。
 人間に見つかるのが怖い。もう、元の妖精の姿に戻る事も難しくなっていたからだ。何も食べていないから、力が弱まっていくのがわかった。
 自分達は人間達を奴隷のように扱い、食べたりしていた。いつか、心無い人間達に見つかったら殺されてしまうかもしれない。
 …このまま、静かにしていたいのに。
 誰かがダンジョンの入り口付近に来る度、リーズは怖かった。
 そうして、1000年程が過ぎた。
 ついに、人間がダンジョンの入り口を見つけてしまう日が来た。
 フレッド達がかけた魔法が弱くなってしまったのだろうか?
 それとも、それを上回る力を持った人間が来たのだろうか?
 リーズは心臓が張り裂けそうだった。
 魔法の道具で、ダンジョンにやってきた人間の様子を伺う。それは、剣を持った少年に見えた。
 彼は、すぐにダンジョンの奥、リーズの所までやってみた。
 久しぶりに、元の大きさ…身長が30メートル程の妖精の姿に戻って、少年の事を試してみた。
 正直、ただの無力な人間に見えた。ちょっと指で弾いたら、世界の果てまで飛んでいきそうな位、小さく見えた。
 実際、彼は、本当にただの少年だった。
 何の力も無い、無力な人間。
 ちょっと遊びで、彼を指で地面に押し付けてやったら、死にそうになってしまった。あまりの無力さにリーズは驚いた。
 ただ、彼は、とても優しかった。
 自分に殺されかけたのに、許してくれて、優しくしてくれた。
 彼は、助けて欲しいと言った。
 大きな魔物が彼の国を脅かしていると。
 リーズは迷った。
 もう、10分位しか、元の姿に戻る事も出来なくなっていた。
 果たして、自分に戦う力が残っているのだろうか?
 それでも、自分は、この人間に比べれば圧倒的に力を持っている。たかだか竜位なら、互角位に戦う事が出来るだろう。
 『今度こそ、あたしがみんなの事、護ってあげるね』
 フレッドとの約束をリーズは思い出した。
 …そうだ、今度こそ、小さな人間達を護ってあげなきゃ。
 自分がやらなきゃいけないんだ。リーズは、少年を助けてあげようと思った。
 そうして、ファフニーと名乗る少年に連れられて、彼女は久しぶりに外の世界に出たのだ。
 リーズは昔の事を考えるのをやめた。
 彼女の心が、現在に帰ってきた。
 今、彼女は人間達の敵意を持った目に囲まれていた。
 何よりも恐れていた光景だ。
 ファフニーも側には居ない。
 しばらく悩んでいたが、彼女は意を決して、周りを囲んでいる人間達を見渡した。
 …怖いけど、あたしが、ファフニーの事を護ってあげないとだめだよね。
 あたしは、本当はファフニーなんかより、ずっと大きくて強いんだもん。
 「ねえ、誰か話を聞いて下さい!」
 リーズは叫んだ。
 「あたし…確かに化け物だけど、お願いします!
  出来たら、人間を食べたりしたくないの!
  だから、話を聞いてよ!
  お友達が連れて行かれちゃったの…お願い、誰か助けて!」
 ファフニーの命に比べれば、他の人間の命なんて軽いものだ。
 いざとなったら、食べてやるんだ。人間を食べさえすれば、弱った体に力も戻るから。
 「お願い…誰も食べたりしたくないの!」
 でも、それは本当に最後の手段だった。
 リーズは助けを求めた。
 1000年前は、助けを求める事さえ思いつかなかった。
 彼女の言葉に、彼女を囲んでいる村人達は、さらに動揺しているようだった。
 …やっぱり、ダメかな。
 最後の手段をとるしか無いんだろうか?
 例え、後でファフニーに怒られても、この世から居なくなったフレッド達に怒られても、ファフニーを見捨てるわけにはいかなかった。
 リーズは辛い事を決断しようとしていた。
 だが、その前に、彼女を囲む人間達の中から声があがった。
 「あなたは…自分を化け物だというのか?
  俺には、そうは見えない。
  俺も、あなたと話がしたいんだが、聞いてくれるか?」
 強い声だった。
 声の主は、人間達の輪の中から前に出てきた。
 「俺も…今来たばかりで、よくわからないんだ。
  わからないんだが…もしかしたら、あなたは俺の姿に見覚えがあるんじゃないか?」
 少し戸惑うように、声の主はリーズに言った。
 …嘘だ。居るわけ無いよ。
 確かに、声の主には見覚えがあった。だが、彼がここに居るはずが無い。
 その赤い髪と、着ているローブは、昔見慣れたものだった。年は20歳位だろうか。
 だが、そんな事よりも、真っ直ぐに自分の事を見つめてくる彼の目線。それは、彼以外の人間とは思えなかった。
 「フレッド…なの?」
 何かの魔法の幻だろう。
 彼は大昔にこの世を去ったのだ。居るはずが無い。
 でも、リーズは彼がそこに居ると信じたかった。
 赤ローブを着た青年は、何も言わずに、険しいでリーズの事を見つめている。
 「そのローブを…あなたに送った人の名前を教えてくれないか?」
 緊張して、何かを確認するかのように赤ローブの青年はリーズに言った。
 「これ…マリクがくれたローブだよ?
  あたしが…食べちゃった人がくれたの…
  君…フレッドとメリアさんの…?」
 少し冷静になったリーズは、目の前に居るのが誰なのか気づいた。
 人間は100年もしないで死んでしまう。
 でも、大好きな相手と子供を作って、子供に自分達の事を伝えていく。
 リーズは、そういう風にフレッドに教えてもらった事がある。
 そういえば、目の前に居る赤ローブの青年からは、メリアのような優しさも感じられた。
 彼を見ていたら、リーズは涙が溢れてきた。
 「マリクの名前を知っていて…俺のご先祖様の事も知っている。
  あなたは…リーズなんだな?」
 彼の言葉に、リーズは何も言わずに頷いた。
 「俺は…あなたの知っている『フレッド』じゃないが…でも、フレッドの名前は受け継いでる。
  あの方の心と力も…受け継いだつもりだ。
  しかし…本当にリーズなんだな…」
 現代のフレッドは、何ともいえない目で、リーズの事を見た。
 彼女が存在するという事は、代々伝えられていた。彼女がもしも人間の前に現れたら、何があっても助けてやるようにと、祖先から伝えられていた。
 ただ、もう1000年も昔の話である。本当にリーズが存在するのか、彼は半信半疑だった。
 今、彼の一族の中で伝説になっていた妖精が、目の前に居る。
 「正直、話したい事は山程あるが…
  …本当に済まない」
 まず、フレッドは謝った。
 「嫌な思いをさせてしまっているな。
  まずは、この場を収めよう」
 祖先からの言い伝えが無くても、この子の事は助けてやる必要があると、彼女の様子を見たフレッドは判断した。
 優しく言って、彼はリーズを囲む村人達を見渡した。
 リーズは頷いた。
 話し方も声も、フレッドに違いない。
 「この子を化け物って言った奴…前に出ろ」
 何十人かの村人に向かって、フレッドは言った。
 静かだが、迫力のある声だ。
 最初にリーズの事を化け物と呼んだ男の子が、人間達の輪から前に出た。
 フレッドは彼に歩み寄ると、何も言わずに彼を殴り飛ばした。
 手加減無しに殴られた男の子は、地面に倒れる。
 「悪いが、フレッドの名前に誓って、この子を『化け物』と呼ばせるわけにはいかないんだ。
  …この子の事は俺が保障する。
  だから、誰も『化け物』などと呼ばないでくれるか?
  文句があるなら、相手をしてやる。
  …安心しろ、魔法は使わんから拳で来い」
 フレッドは男の子に目もくれず、他の村人達に向かって言った。
 うわ…やっぱりフレッドだ。
 頼もしいけど、ちょっと怖いな。
 リーズは成り行きを見守った。
 「い、いや、フレッドが保障してくれるなら、誰も文句は言わないさ」
 まさか、フレッドが巨大な化け物の女に味方するとは思わなかった。
 村人達は、あわてているようだ。
 「すまない、みんな。後で、事情は説明する」
 そう言ってフレッドが頭を下げたから、村人達は帰るしかなかった。
 後には、リーズとフレッドの二人だけが残された。
 「ありがとう…
  あなた、フレッドじゃないけど…やっぱりフレッドね?」
 「そんなに、俺はあなたの知っているフレッドに似ているか?」
 「うん…そっくり」
 リーズには目の前の男が、かつてのフレッドとは別人である事がなかなか理解しにくかった。
 親しげに、彼の赤い髪を撫でる。
 「あなたのお父さんも、おじいちゃんも、こんな風に赤い髪なの?」
 「いや…これは、俺だけだ」
 フレッドは首を振った。
 彼の一族の中でも、こんな風に赤い髪をして生まれてきたのは、祖先を除けば、彼が初めてだという。 
 「生まれ変わりなんて事が世の中にあるなら、俺は、あなたの知ってるフレッドの生まれ変わりかもしれないな…」
 そんなものがあるのかどうか、フレッドにもわからなかったが。
 しばらく、リーズは懐かしい顔をした人間と話していたが、それどころで無い事を思い出した。
 「お願い…助けてくれる?
  ファフニーが…お友達が捕まっちゃったの」
 自分には、助けなくてはならない相手がいる事を思い出した。
 彼女はフレッドの胸を掴んで、すがるようにして頼んだ。
 「ああ…
  話してくれないか?
  とりあえず、村へ行こう。
  大丈夫だ。誰にも、お前に手出しはさせない」
 リーズには、よほどの事情があるのだろう。
 フレッドは彼女の手をしっかりと握って答えた。
 リーズの体には、まだ力は戻っていない。
 歩くのが辛くて、フレッドに体を支えてもらう。
 でも、何としてもファフニーを助けようという気持ちだけは強くなった。
 心には力が戻ってきた。
 …ファフニー、ラウミィちゃんに虐められてるのかな?
 おそらく、妖精の玩具にされているであろう友達の事を、リーズは考えた。
 彼女はフレッドに連れられて、近所の村へと戻った。
 弱った体で無理矢理に元の大きさに戻った代償は小さくなかった。体は正直で、彼女は満足に歩く事が出来なかった。すぐにベッドに横たわる。
 何よりも、まず、彼女には休息が必要だった。
 やがて、夜が訪れた。