妖精の指先 その7
WEST作
※この文章は巨人が小人を様々な手段で弄ぶ表現が含まれています。
残酷な表現等が含まれますので、18歳未満の方は読まないで下さい。
7.古代妖精の対決
昔々、妖精達は暇つぶしに一つの世界を作った。
また、世界を作るついでに、自分達の玩具や食べ物にする為、自分達の姿に似せた小さな可愛い生き物を作った。
それが、ファフニーの住む世界の始まりであり、人間の始まりだった。
古代妖精の女の子達は、人間を玩具や食べ物として考えていた。そういう風に作ったからだ。
人間を奴隷として扱い、好きなように弄び、踏みにじり、食べたりして楽しんだ。それが妖精達の常識だった。
1人だけ、人間を食べたり踏み潰したりしないで、何となく友達になったりする妖精がいた。変わった妖精である。
やがて他の妖精達がこの世界を去った後も、その妖精は、人間の物になったこの世界に残り続けていた。
それから1000年が過ぎた。
ファフニーが尋ねて行った時、彼女は、小さくて弱い人間の為に魔物と戦ってくれると言った。
遠い昔に傷ついた心と、長い時間の流れで弱った体をそのままに。
…などと、ファフニーは、リーズの経歴を良い方向に解釈して並べてみた。
こうして考えると、何だか偉い人にも思える。
改めて、目の前に居る古代妖精の女の子を眺めてみた。
「ん、じーっと見つめて、どうしたの?」
リーズが、ファフニーの顔ほどもある大きな瞳をパチパチとして、地面の近くに居る彼の事を見つめ返した。
彼女が地面に膝をついて座り込んで居ても、ファフニーを見るには、下を向かないと見えない。
「いえ…別に」
「ふーん…ま、何でもいいや。
ねぇ、ところで、ファフニー?
君の好みを聞きたいんだけど、いいかなぁ?」
地面に座り込んだリーズは、彼の上に覆いかぶさるようにして、手をついて体を乗り出す。真上から彼の事を見降ろした。
彼女は身長30メートル程の元の姿に戻った時、そうして上から彼を見るのが好きだった。
「はい、どうぞ…」
ファフニーは彼女に答える。リーズの着ている黒いローブが、空全体を覆っているかのようだ。
リーズは、にやにやと笑っている。きっと、僕を弄ぶつもりなんだ。もう、見慣れた笑顔だ。
「ファフニーって、右手の指と、左手の指と、どっちでぐりぐりされるのが好き?」
地面についている両手の人差し指を立てて、彼に尋ねた。
リーズは、彼を指で突いて地面に押し倒し、ぐりぐりと指先で地面に押し付けて弄ぶのが大好きだった。
ファフニーにとっては、何度やられても、痛くて苦しい…
「右手の指って答えたら…どうなるんですか?」
「右手の指で、ぐりぐりしてあげる」
リーズは、ファフニーの問いに、にっこり微笑んだ。
「左手の指って答えたら…どうなるんですか?」
「左手の指で、ぐりぐりしてあげる」
リーズは、ファフニーの問いに、にっこり微笑んだ。
「両方好きだって答えると…」
「もちろん、両方の指で一緒にぐりぐりしてあげるよ?」
にやにやと、両手の人差し指を立てて楽しそうに笑う。
彼の胴よりも太いリーズの指で地面に押し付けられると、彼女の気分次第で骨位は簡単に折れてしまう。一応、折れても魔法で治してくれるが…
…まあ、こんなものである。
リーズの経歴は、あくまで経歴だ。実際は、こんな感じだ。
もし、知らない人がリーズの経歴を聞いたら、きっと勘違いするんだろうな。ファフニーはため息をついた。
「念の為、聞きますけど、どっちも嫌だっていうのは…」
「どっちも嫌だとか、答えないとか、そんなふざけた態度だったら…踏んづけちゃうよ?」
リーズが待っていた質問だった。
彼女は少しあごを上げて、怖い目つきで見下ろすような仕草をした。
「じゃ…右手で良いです」
とりあえず、ファフニーは答えた。真面目に答える意味は無い。
彼が答えると、問答無用で右手の人差し指が迫ってきた。
一応、彼女の指に押し倒されないように抵抗してみる。力いっぱい、自分の胴より太い指をどかそうとしてみる。見ている人が居たら、一目で無駄な抵抗とわかる光景だ。
「…あれ?
ファフニー、ちょっと強くなった?
なんか、いつもよりも抵抗が…」
リーズは自分の指の下で抵抗している小さな生き物が、少し力強くなった気がした。
「そうですか?」
あ、ほめられたのかな…?
少し釈然としないが、まあ、女の子にほめられたら、嬉しい。
「うん。強くなったよ。
…でも、残念だなぁ。
まだまだ全然、あたしの方が強いんだよね?」
リーズがにやっと笑って、指にもう少しだけ力を入れると、ファフニーは耐えられなくなって地面に倒された。
「んー、あたしの指一本位には、がんばって勝って欲しいなー。
…ま、無理だろうけど」
リーズは、勝ち誇ったように言う。
そうやって、彼を力づくで弄ぶのが、楽しくて仕方無い。
最近、昼間にファフニーから剣術を習うようになって、彼女は気づいたのだ。体の大きさが同じ位なら、彼が普通に強くてカッコイイ事に。
それに気づいてから、余計に彼で遊ぶのが楽しくなった。
…どんなに強くたって、あたしが本気になれば、この通りだもんね。
いつもよりファフニーが抵抗したから、いつもより彼をつつく指に力を入れた。
彼女の細い指が、ファフニーの体を地面に押し付ける。
「う、うわ、ちょっと…」
満面の笑みを浮かべるリーズが、この時ばかりは可愛く見えない。
胸の骨がきしむのがわかり、ファフニーは必死に抵抗した。
リーズが加減を間違えると、骨くらいは軽く折られてしまう…
…んー楽しいなぁ。
リーズは、小さなファフニーをぐりぐりと地面に押し付けて幸せだったが、ファフニーには迷惑な話だった…
「じゃ、ファフニー、今日は頑張ったから、サービスで左手の指でも一緒にぐりぐりしてあげるね。
えへへ、あたしって優しいね!」
そう言って、リーズはファフニーに左手の指も伸ばす。
「最初から、そうするつもりのくせに…」
ファフニーは、苦しそうに呟いた。
一見、選択肢があるようで、結末に変化は無い。全てリーズの思う通りだ。そういう遊びである。
こんな風にして、ここ最近は、彼は毎日リーズの玩具にされていた。彼女に剣術を修行させる代償だったのだが、そもそも、リーズはファフニーに剣術を教えてもらう事を普通に楽しむようになっていた。なので、ファフニーが一方的に騙されているようなものである。
さすがに、途中でファフニーも気づいたが、約束をしてしまったものは、仕方が無い。
まあ、彼女に玩具にされるのも慣れたし、正直、そこまで嫌な事でも無い。世界を救う代償と考えれば、安すぎる位だ。
そんな、二人の幸せな旅…特にリーズにとって…は、しばらく続き、やがて二人は目的地の村に着いた。この近くに、ファフニーの国を襲っている竜の魔物の住処があるはずだ。
二人は、宿を取って、久しぶりに建物の中で休む。
「…なんか、ここまで来ちゃったね」
「来ちゃいましたね」
のんびりと話でもする。
話しかけるのは、大概、リーズの方からだった。
「ねえねえ、さっき思ったんだけど、ちょっと聞いてくれる?
「何ですか?」
何でも聞いて下さい。とファフニーは言った。手のひらに乗せられて、痛いことや苦しい事をされるよりは、よっぽど良い。
「あたし、竜の魔物を倒したら…その後、どうしたらいいの?」
リーズは首を傾げた。
「どうしたらって…リーズの好きにすれば良いんじゃないですか?」
急に、真面目な話をされても困る。ただ、彼女の気持ちは、わかった。
「人間の世界で…暮らしてみたいですか?」
「うん、そういう風にも思うんだけど…ちょっと怖いな」
リーズは、素直に不安な事を認めた。
人間の世界に適応して生活する能力は、今の彼女には無い。あるとしても、せいぜい、見かけ通りの子供のレベルだ。
また、人間を食料として考えていた種族が、人間に紛れて暮らす事には、色々障害も多い事だろう。
「まあ、あのダンジョンに戻るなら、僕、いつでも会いに行きますし…
リーズが人間の世界に紛れて暮らしてみたいなら、それこそ僕が役に立つと思いますから」
ファフニーは言った。どうするか決めるのは、彼女自身だ。
「ふーん…まあ、どっちでもいいか」
「そんな、投げやりな…」
自分の行く末に興味を無くしたように言うリーズの態度を、ファフニーは咎める。
「だって、どっちにしても、ファフニーは一緒に居てくれるんでしょ?
だったら、別に、どっちでも良いんじゃない?」
当たり前の事のように、リーズは言た。
「それは…まあ、はい」
…そういえば、そうだな。
彼女が今後どうするにしても、結局、自分は側に居る事になりそうだ。
いつの間にか、それが当たり前だと考えるようになっている。別に嫌な事ではないが、ファフニーは少し恥ずかしくて、苦笑してしまった。
「ねえ、明日、また大きくなった時、キスしていい?」
「嫌だって言っても、するんですよね?」
「…ファフニーって、性格悪いよね。
ま、いいや。そんな君で色々と遊ぶのが、最近、楽しいから…ね?」
「それは…最近じゃなくて、最初からじゃないですか?」
「あ、ばれた?」
リーズは微笑みながら、頷く。
独特の距離感を持ちながら、二人は、少し先の事を考え始めている。
ただ、それが目の前の片付けるべき出来事から目を背けている行為だと、二人は気づいていなかった。
翌日、二人は、しばらく村を歩く。適当に歩いて、飽きたら村を離れようと思った。
昼過ぎの出来事だった。
二人は、村はずれで、ぼんやりと空を見上げていた。
特に何も考えていない。二人で、ただ、ぼんやりとしていた。
ぼーっと、時間が流れる。
「…あ、竜だ」
気の抜けた声でリーズが空を指差した。気の抜けた顔をしている。
「え?」
竜と聞いて、ファフニーは、ぼんやりしていられない。彼には何も見えなかったが、人間とは質が違う視力を持ったリーズには、何か見えたんだろう。
「ああ、ごめん。ぼーっとしてた!
竜が飛んでる!あたしより大きいかも!
…た、多分、あれだね!
探してたのって!」
リーズが興奮して空を指差すが、ファフニーには見えない。
「こっちに向かってるんじゃ無いみたいだけど…どうしよう?戦う?
もうちょっと近づいたら、魔法で戦えると思うけど…」
このままだと、竜は村から少し離れた所を通り過ぎるように、リーズには見えた。
まさか、ここで竜の魔物を見つけるとは思わなかった。
…どうしよう?
ファフニーも悩む。リーズが、『戦うね!』と言わないで、聞いてくる理由はわかる。人が住んでいる村が近いからだ。
もし、リーズが彼女と同じ位に大きい魔物と戦った時、足元に小さな生き物が居たら、ただでは済まない。村が戦いに巻き込まれたら…
「リーズ、村を巻き込まないで戦えますか?」
「やってみないと、わかんないよ…」
いらいらと、リーズは呟く。
わからないから、彼女は、どうしたら良いのかファフニーに聞いている。
もう少し、ファフニーは悩む。
不意を突いて襲えば、有利なのは間違いない。
まさか、今時、古代妖精が地上から魔法で攻撃してくるとは、竜も思っていないだろう。チャンスな事は確かだ。
「なるべく、村を巻き込まない方向で…お願いして良いですか?」
「ファフニーが、そう言うなら…やるよ」
リーズが低い声で言った。少し位、村が巻き込まれて、人を踏み潰す事になっても仕方無い。と、ファフニーの言葉を受け取った。
…世の中、きれい事だけじゃない。
ファフニーは悩んだが、そういう風に結論をだした。
そもそもリーズが普通に戦って勝てるという保障も無いのだ。竜を倒したいという気持ちより、彼女に傷つかないで欲しいという気持ちがファフニーは強かった。見ず知らずの村人より、リーズが大事だった。
「あれ、結構大きいから、踏み潰すのは無理だと思うけどね」
少し乾いた声で、リーズは笑った。
なんだかんだ言っても、彼女は、本当に人を踏み潰した事は無い。一度だけ、人を食べた事ならあったが。
…本当に、これで良いのかな?
リーズの顔を見たファフニーは、自分の判断に疑問を持った。
最悪、村を戦いに巻き込む事になったとして、実際に人を踏み潰す事になるのは僕じゃない。彼女だ。
「リーズ、やっぱり…」
ファフニーは言いかけたが、リーズは首を振った。
「じゃ、ファフニー、足元でちょろちょろしないでよね?
間違えて、踏み潰しちゃうから」
彼女が言うと、辺りが薄い光に包まれる。リーズは、本来の大きさに戻った。
「大丈夫だよ、村は巻き込まないようにするから…ね?」
足元に居る小さな生き物に、優しく微笑んだ。
「すいません、お願いします…」
元の姿に戻ったリーズに、そんな風に優しく微笑まれると、何も逆らえない。ファフニーは彼女の微笑みに頷いた。
それから、リーズはファフニーに背を向けて、村を離れるように歩く。10歩位歩いて、数百メートル程、村から離れた。ファフニーも、近づき過ぎないようにしながら、一生懸命に後を追う。
…あたしが人間を踏み潰したら、ファフニーも一緒に辛い思いをするんだ。だから上手くやらないと。
リーズは心に重圧を感じていた。今回は、小さい生き物を踏み潰すのではなく、本気で戦わなくてはならない。村を巻き込んでは、だめだ。もちろん、ファフニーを戦いに巻き込むのは論外だ。考える事が多い。
…ファフニーが、小さい時のあたしを護って戦う時って、こんな気持ちなのかな?
何かを護りながら戦うのって、少し楽しいけど、ドキドキする。責任感を感じる。リーズは、近づいてきた竜の魔物を見上げた。
そもそも、戦いなんて初めてだ。
トロルみたいな小さな魔物を踏み潰した事はあるけど、自分と同じ位の大きさの相手と戦った事は無い。
…大丈夫。元の姿に戻った古代妖精が負けるはずがないもん。この世界は全て、あたし達が作った玩具だもん。
自分を励ますようにしながら、手のひらを胸に当てる。少しづつ、魔法の力を集める。
遠い昔に、友達だった魔法使いの少年に教えてもらったやり方だ。
彼を食べた時の事は、今でも鮮明に覚えている。とてもおいしくて、悲しかった。
「マリク…
ファフニーをあなたみたいには…しないからね」
自分が食い殺した魔法使いの少年の事を思い出す。とても大切な人だった。
リーズは集めた魔法の力を、竜が苦手な氷の力に変えた。
そのまま、竜の魔物が近くに来るのを待ち、一番近くに来たところで、リーズはそれに向けて氷の力を発動した。
一条の光が、竜の魔物に飛ぶ。
空を飛んでいた竜の魔物は、一瞬にして氷に包まれた。
ふらふらと軌道を変えて、リーズの方に近づくようにしながら高度を下げる。
それは、リーズの頭を通り越して、村に少し近い所に落下しそうになる。丁度、彼女の様子を見に来たファフニーが居る辺りに…
「リ、リーズ、こっちに落ちてくるけど!」
ファフニーは、あわてた。
逃げると言っても、ファフニーの足で少し位逃げても、落下物が大きすぎる。彼は素直にリーズに助けを求めた。
「だーかーらー!
足元でちょろちょろするなって言ったでしょ!」
リーズが引きつった顔で怒鳴った。竜の下敷きになるより先に、踏み潰してやろうかとも思った。その方が彼も喜ぶだろう。
ファフニーは100メートル位、離れた所に居る。それは、リーズの感覚では、単に数歩の距離だ。
大股で地響きを起こしながら、ファフニーの方に急ぐ。
黒いローブをまとった彼女が近づいてくると、彼女の足元で見上げるファフニーにとっては、空が黒くなるようだった。
リーズが、彼のすぐ目の前に足を踏み降ろす。
ずしん。
彼女が近くに足を踏み降ろして地面を揺らすと、ファフニーは立っている事が出来ない。
「ファフニー!
絶対、そこから一歩も動いたらだめだよ!
ほんとに、どうなっても知らないよ!」
リーズはそんな彼の方を見もせずに不機嫌そうに言うと、後ろを振り向く。空から落ちて来ようとしている、竜の魔物を見上げた。
全く、『足元でちょろちょろするな』と言っておいたのに。と、腹は立つ。とはいえ、彼を放っておくわけにもいかない。様子を見に来てくれたのは、まあ嬉しいんだけど…
「ごめんなさい…」
ファフニーはおとなしく、リーズの影に隠れる。自分の事をかばおうとして、竜の魔物と向き合っている彼女は、可愛いけれど心強かった。
リーズが心配で様子を見に来たのだけれど、これでは完全に足手まといだ。自分は、何をやっているんだろうかと、後悔した。
リーズは、もう一度、小さく魔法の力を集める。
それを風の力に変えて竜の魔物に向けた。
暴風のような風が、竜の魔物に向かう。
風を当てて、それが落ちてくる軌道を変えれば十分だった。
彼女の起こした風に飛ばされながら、竜の魔物は地面に大穴を開けて落下した。
リーズと同等か、それ以上に大きな竜が地面に落ちた衝撃と音に対して、ファフニーは地面にうずくまって耳を押さえるようにして耐えた。リーズが怒鳴ったり足を踏み降ろした時よりも、大きな音と衝撃だった。そのリーズも、少し耳を押さえている。それ位の音だった。
…これで、倒せたかな?
幾ら古代種の生き物でも、あの高さから落ちれば無事では済まないはず。リーズは、竜が落下して作った穴に近づく。
すると、場違いな声が聞こえた。
「いたた…
もう!何かと思ったら、リーズじゃない!
ひどいわね」
女の子の声だ。
あんまり苦しそうな声では無い。友達とじゃれあって、頬でもつねられて文句を言ってるかのような、無邪気な女の子の声だ。
声の主は、竜の魔物だった。
それは、ゆっくりと起き上がり、コウモリのような翼を広げた。立ち上がって背筋を伸ばす。その魔物の大きさは、リーズよりも、さらに一回り大きい。
女の子の声が、全く似合わない。
「ラウミィ…ちゃん?」
リーズが、きょとんとした声で言った。リーズは、その女の子の声に聞き覚えがあった。
辺りが薄い光に包まれる。
「久しぶりね、リーズ。
まだ、生きてたのね」
また、女の子の声がした。ファフニーの頭より、随分高い所だ。リーズの声と同じ位に高い所から聞こえる。
先ほどまで竜の魔物が居た所に、女の子が居た。
随分と軽装である。革靴を履き、下着のように薄い衣服を纏っているだけであった。胸がリーズより明らかに大きいのが、ファフニーには、気になった。そんな胸と腰の辺りを、薄い布で覆っている。
男性を挑発しているような服装であったが、彼女に魅せられた人間の男性が手を伸ばしても、胸にも腰にも、ふくらはぎにすら手が届かないだろう。もしも届いたとしても、それが彼女の気にそぐわない事であれば、彼女に踏み潰されるか握りつぶされるか、どちらかにされてしまうだろう。
彼女はリーズと同じ位の大きさ、身長30メートル程の巨人だった。
リーズの知り合い…古代妖精?
ファフニーは、リーズと同じ位の大きさの女の子を見上げて固まった。蛇に睨まれた蛙と同じようなものだ。
天敵。
決して勝てない相手。
リーズから聞いた古代妖精と人間の関係を、ファフニーは思い出す。
人間は古代妖精達が作った、玩具であり食料。
古代妖精達は人間にとっては創造主。
そして、このラウミィと呼ばれたリーズの友達は竜の姿をして、数百人単位で人間を殺し、街を壊している。
多分、おやつを食べながら玩具で遊ぶような感覚なのだろう。人間は、彼女達にとってそういう存在なのだ。
ファフニーは、この子を人間の敵だと思った。
彼の目の前で、遠い昔に人間の世界を離れたはずの古代妖精達が二人、向き合っている。
今の時代では、あるはずのない光景だった。
ファフニーはラウミィと呼ばれた妖精の姿を観察する。
彼女は全てが細かった。
手足や指先まで、細くて優雅である。特に指などは、ファフニーの胴よりも少し太い程度の太さしかない。
細くて切れ長の瞳と、少し長くて尖った耳は、現代にも残っている妖精達の特徴でもあった。
何よりも妖精らしかったのは、背中に広げた光り輝く、蝶のような薄い羽根だった。もしかすると、それは実体が無いものなのかもしれない。光の羽根を透過して、空が見えた。
可愛い。
人間は古代妖精達をそう思うように作られた生き物だ。
ファフニーは、それが歪んだ感情だと知りつつも、その容姿から目が離せず、彼女を見つめた。
「リーズ、心配してたのよ?
こんな、ゴミ共の世界に残ってるから…」
ラウミィは、リーズの足元に居る小さな生き物には全く気を止めていないようだった。少し潤んだ瞳をリーズに向ける。
「ありがとう、ラウミィちゃん…」
リーズは、彼女の目を見ていられなくて、目を逸らす。
ゴミ共の世界。
ファフニーは、確かに聞いた。
リーズは人間の世界をゴミ共の世界と言い切る相手と、親しげに話している…
「でも…ラウミィちゃん…?
今更、人間の世界に来て、竜の姿に変身して…何をやってたの?」
リーズが、声を低くして言った。責めるような意思が、言葉に込められている。
「リーズを探してたに決まってるじゃないの…
それで、まあ、暇つぶしに遊んでたのよ、昔みたいに。
この姿より、竜の姿に変身した方が、ゴミ共が怖がるかなーって思ったんだけど、どうかしら?」
ラウミィは陽気に言った。やっと懐かしい友達に会えて、嬉しいといった様子だ。
「あたしを探しに来てくれたの?
…ありがとう」
リーズは複雑な表情で頷いた。
「でも…ゴミ共とか、そういう風に言っちゃ駄目だよ…
それに、そういう遊びは、もう終わりにするって、みんなで決めたんでしょ?」
ラウミィが人間をゴミ共と言う事を、リーズは気に入らなかった。少し怒っている。
そういう風に古代妖精の仲間に怒ってくれるリーズが、ファフニーには嬉しかった。
「あら、リーズ、怒ってるの?」
「うん…ごめんね、ひさしぶりなのに…
でも、ラウミィちゃんも知ってるでしょ?
あたしが人間をどういう風に思ってるか…」
リーズは、ファフニーをラウミィから隠すように、彼の前に足を動かす。彼を…人間をラウミィの前に晒すのは危険だ。
「…もう、リーズ!いい加減にしなさい。
まだ、そんな事言ってるの?
大体、そんな黒いローブ、いつまで大事に着てるのよ」
「ずっと着てるよ…
あの人が…マリクが、くれたんだもん!」
二人の古代妖精は言い争いを始めた。
それから、激しい声が飛び交う。
時折、ヒステリーを起こしたように地面を蹴ってみたりする。
そんな二人の巨大な女の子のうち、一人が確実に自分の味方である事がわかっていなかったら、ファフニーは気がおかしくなりそうだった。少なくとも、人間の世界の光景ではない。
「…相変わらず、口で言っても無駄みたいね。
でも、意地でも連れて行くわよ?
その為に来たんだもの、こんなゴミ共の世界に」
「ラウミィちゃんこそ、もう、いい加減にしなよ!
ここは、もう、あたし達の世界じゃないんだよ!」
結局、二人の古代妖精は、話合いで解決する事をやめた。
リーズの方から、ラウミィに近づいていく。
そうするしかなかった。
足元にファフニーが居るからだ。
このまま魔法の撃ち合いになったり、ラウミィが近づいてきてケンカになったりしたら、足元のファフニーが無事では済まない。
大事なのは、ファフニーだ。
戦う相手が変わってしまったけど、ファフニーの為に戦うって約束は、果たすつもりだった。今更、神話の時代と同じ価値観で、人間を虐げる友達にも腹が立った。
子供のケンカのように、リーズはラウミィを掴もうとする。ラウミィも彼女を捕まえようとする。
ローブを着ているリーズの方が、掴まれる所が多い分、不利にも見えた。ローブの胸とお腹の間辺りをラウミィに掴まれた。彼女もラウミィの首の辺りに手を伸ばそうとしてるが、上手くいかないようだ。
…こんな事なら、剣術よりも素手の護身術でも教えてあげればよかった。
まるで、子供のケンカみたいだと、ファフニーは思った。
ただ、勝負は、すぐに決着が着いてしまいそうだった。力の差が大きいように見えた。
リーズとラウミィの体の大きさは同じ位に見えるが、リーズが伸ばす手は簡単に跳ね除けられて、ラウミィがリーズを掴む手を、彼女は振りほどけないでいる。
すぐに、リーズはラウミィによって、地面に組み伏せられた。
リーズは地面に倒される時、ファフニーが居る方に倒れないようにするので、精一杯だった。
巨大な生き物二人分の体重が地面を揺らした。飛び散った土砂に、ファフニーは埋もれてしまい、必死にそれを掻き分ける。
「こんな風に取っ組み合いなんて、私達に似合わないわね。
妖精がやる事じゃないわよ」
ラウミィがリーズに馬乗りになって、彼女の肩を押さえる。
「ほら…リーズ、もう、全然、力もないじゃないの。
相変わらず、何にも食べてないんでしょ?
さっさとゴミ共でも2〜3匹食べて、一緒に帰ろうよ…」
諭すように、リーズに言った。彼女を押さえつけて、哀れみの目線を向ける。
…リーズ、そんなに弱ってたの?
ファフニーが土の中から這い出てきた。
確かに、ずっと食事をしていないし、体も弱ってるんじゃないかとは、思っていたけれども…
呆気なく仲間の古代妖精に組み伏せられたリーズの体が、ファフニーは心配だった。本当は、二人は同じ位の力があるはずなのだ。
「やめて!離してよ!」
リーズの言葉に応じて、纏っているローブが光を放った。
「きゃ!」
ラウミィが小さく悲鳴を上げて、飛びのく。リーズが体中から、魔法の力を放出したのだ。ラウミィは体が少し痺れた。ただ、ダメージが大きいのはリーズの方だった。
リーズは魔力を直接ぶつけてラウミィを跳ね飛ばした隙に立ち上がるが、そのまま膝をついた。
「リーズ、そんな無茶な魔法の使い方をしたら、体に良くないよ…」
むしろ、ラウミィは心配そうにリーズに言った。もう、決着は、ついている。
その言葉を受けたように、膝をついたリーズの体が薄い光に包まれた。
「リーズ…
もう、元の大きさで居るのも辛いの?」
光が収まった時、ラウミィが言った。優しい声だ。
彼女の足元には、黒ローブを着た、小さな生き物が居た。
魔法の力を沢山使ったリーズは、10分間、元の姿を維持する事が出来なかった。
ラウミィは、少し困ったように、足元の小さな女の子を見る。あまりにも手ごたえが無い友達が、心配になった。ここまで弱っていたら、そのうちに衰弱して自然に死んでしまうんじゃないだろうか?
…やだ、苦しい…
リーズは息が苦しくて、立てなかった。心臓の鼓動もおかしい。
確かに、長い間ご飯を食べてないし、体も弱ってた気がしたけど、こんなに弱ってたとは…
リーズは、自分でも思った以上に体が弱っていた。
何も出来ず、目の前に居る、巨大な生き物を見上げる。
「ファフニー、怖いよ。助けて…」
ガタガタと体が震えるのは、弱っているせいでは無かった。
自分の体の何十倍もある生き物に見下ろされたのは、初めてだった。例え、それが友達だとしても怖かった。
「さ、リーズ。
一緒に行きましょう…」
ラウミィは、リーズに手を伸ばす。
「やめて、行きたくない!」
自分に近づいてくる大きな手は、例え仲間の古代妖精の物でも恐ろしかった。
リーズは彼女と一緒に行くつもりも、無かった。
…ファフニーってやっぱり強いんだな。
唐突に、彼の事を思い浮かべた。
毎日、毎日、自分の何十倍も大きな生き物に、こうして手を伸ばされて、玩具にされてるんだ。
それで、怖がりもせず…いや、結構怖がってるか。
文句も言わず…いや、結構、言ってるか。
ともかく、それでも、あたしを嫌いにならないで、一緒に居てくれる。
そんなファフニーの事を、護ってあげたかったんだけど…
「ごめんね、ファフニー…」
自分に近づいてくるラウミィの巨大な手を見て、リーズは無力な気持ちだった。
出てきた言葉は、小さな友達に謝る言葉だけだった。
だが、ラウミィの手がリーズに届くよりも早く、割って入る影があった。
「やめろ!
リーズに手を出すな!」
ファフニーは、かろうじて彼女の所に間に合った。彼は、リーズが小さな姿になったと同時に駆け出していた。
剣を掲げて、目の前の古代妖精を見上げてみる。どう考えても、全く勝てる気がしない。
…殺されちゃうかな。
敵は、愛らしい顔をしていて、細身の体が美しい妖精だ。
でも、大きすぎる…
リーズが自分を踏み潰そうと思えば踏み潰せるように、この古代妖精も同じように僕の事を踏み潰す事が出来るんだ。
問題なのは、その価値観である。
「ファフニー、やめて!
その子、人間を踏み潰しちゃう事、何とも思ってないから!」
リーズは、自分をかばおうとしているファフニーに向かって警告した。
彼女は人間を簡単に踏み潰す力はあるけれど、踏み潰そうとする気持ちが無い。
でも、ラウミィは、力がある上に、平気で人間を踏み潰す心を持っている。
むしろ、それを楽しい事とさえ考えている。
だからこそ、街を壊したり、何百人も殺したりしているのだ…
…でも、リーズを見捨てる事なんて出来ないよ。
ファフニーは怖くて体が震えたが、それでも、リーズを庇うようにして剣を構えて、ラウミィと向き合った。
目の前に並んでいる、リーズと同じような革靴。
それに虫けらのように踏み潰される光景を、ファフニーは、どうしても想像してしまった…