妖精の指先19

 WEST(MTS)

※この文章は巨人が小人を様々な手段で弄ぶ表現が含まれています。
 残酷な表現等が含まれますので、18歳未満の方は読まないで下さい。

 19.リーズとファフニー

 『それにしても、随分大きくなっちゃいましたね』
 結局、少年は微笑んでしまった。
 黒くて太いロープのような物が、無数に身体に纏わりついてきた。
 『ご、ごめん!わざとじゃないの!』
 女の子があわてて首を振ると、なびいた彼女の髪が少年の命を脅かしてしまう。
 人の胴体と同じ位の太さがある彼女の黒い髪は、人間のように小さな生き物にとっては危険なものだった。
 『まあ、とにかく一緒に帰りましょう。
  みんなで…ね?』
 少年は、目の前にある、女の子の瞳を見つめて言った。
 『…うん』
 心の中で頷いて、女の子は言った。
 大きくて黒い彼女の瞳が、少年を見つめている。
 涙を浮かべて潤んだ女の子の瞳は、見習い騎士の少年が勤めるお城と同じ位の大きさがあった。
 …大きくなりすぎですよ、さすがに。
 雲を股の下に見下ろす彼女の大きさと、それでも彼女の事を可愛いと思ってしまう自分。
 少年は、ため息をつくしかなかった。
 以前、少年は女の子と2人でふざけていて、彼女の瞳を剣で突いてみた事もあった。
 人間が普通に使っている剣では、彼女の瞳すら傷つける事が出来ない。
 彼女の大きさと、それに見合うだけの力を理解するだけに終わってしまった。
 その時でも、彼女は人差し指の指先で少年を地面に押し倒す事が出来る大きさだったが、今の彼女は、その時の何百倍も大きい…
 見詰め合う少年と女の子。
 それは、雲を遥か下に見下ろした、高い所での出来事だった。
 彼女の膝の下に白い雲が広がっている。
 『まずは、左足をどけてあげませんか?
  可哀想ですよ。いつまでも、ラウミィを踏んづけたままじゃ…』
 寂しげに言う、少年。
 『…うん、そうだね』
 女の子は、妖精の友達を踏み潰した足を静かに上げる。
 身長が30メートル程しかない妖精の友達は、女の子にとっては、触った事すら感じない程小さかった。
 確かに、女の子は小さな妖精の友達を踏み潰したが、ゴミでも踏み潰すみたいに、あっさりと踏み潰してしまったので、実感があまり無かった。
 ずしーん。
 女の子が友達の上から足をどけて、隣に下ろした。
サイズが1000メートルを越える足が地面を軽く踏みしめて、地震を起こした。
 『さ、これでラウミィは大丈夫。
  フレッドが何とかしてくれますよ』
 少年は、目の前に広がる女の子の瞳に微笑む。
 …多分、その瞳には、小さすぎる僕の事はわからないよね。少し、寂しいな。
 寂しいから、少年は微笑んだ。
 『うん…そうだよね』
 女の子は心の中で頷く。少年が言うんなら大丈夫だろうと思った。
 小さすぎて見えないけど、目の前に居るはずの小さな生き物は、間違いなくファフニーなのだ。
 『さ、次はリーズの番ですよ?』
 『うん…
  ねえ、早く助けて…
  君、ファフニーだけど、マリクなんでしょ…?』
 小さくて見えない少年に、女の子は助けを求めた。
 よくわからないが、目の前に居るのは、ファフニーだけどマリクだという事を感じる。
 『それは、無理です…
  僕も助けてあげたいですけど、これは、リーズの事なんだから、自分で何とかしないと…』
 ファフニーは首を振った。
 リーズの瞳が、悲しそうに細まった。
 「出来ないよ…」
 呟くリーズ。
 嫌だ。
 せっかくファフニーやマリクに会えたのに、このまま自分だけ居なくなるのは、嫌だ…
 思わず、口に出してしまう。
 ファフニーは、リーズの声が震わせた空気に飛ばされた。
 『まあ…出来なくてもいいですよ』
 もう怒る気にもならないので、リーズの声に吹き飛ばされたまま、ファフニーは答えた。
 『そうしたら、僕もリーズと一緒に居なくなります
  リーズ、僕と約束した通り、ここまで一緒に来てくれましたからね。
  これからは…僕がリーズの行く所には、どこでも行きますよ?』
 ふわふわと、ファフニーは吹き飛ばされながら微笑んだ。
 数十メートル飛ばされた位じゃ、今のリーズからは離れた気がしない。
 相変わらず、目の前にはリーズの大きな瞳が見えた。
 『そんな事したら、だめだよ…
  ファフニーは、ちゃんと、おうちに帰らないと、だめだよ。
  妹さんも、心配するよ?』
 リーズは、ため息をついた。
 彼女の息に、また、ファフニーは飛ばされる。
 リーズは、自分がこの世界から居なくなると、ファフニーも一緒に居なくなってしまう事を理解した。
 『だから、まあ、そんなに深刻にならなくてもいいですからね?』
 ふわふわと、ファフニーはリーズの方に再び近づいた。
 その姿が、リーズの目に入った。
 とても小さな彼の姿。
 『…あ、ファフニー、見えたよ?
  あはは、ちっちゃ過ぎるよ。髪の毛より細いや』
 髪の毛よりも細くて小さいけど、かろうじて見る事が出来た。
 『ねぇ、そんなにあたしに近づいたら、危ないよ…』
 小さすぎる彼の事が心配になる。
 自分の髪の毛に絡まっただけで、多分、彼は死んでしまうだろうと思った。
 …小さくて可愛いな。
 指で摘んでみたいと思ったけど、それも出来ない。
 体の大きさが違いすぎる。
 ここまで体の大きさが違うと、もう、彼を玩具にして遊ぶ事は出来ない。
 『妹は…まあ…
  とにかく、もういいですよ、別に…』
 リーズの瞳の前に戻ったファフニーは、再び微笑んだ。
 『だめだってば、危ないよ?
  ほんと、ファフニーって、ちっちゃいのに、あたしの側でちょろちょろするの好きだね…』
 『いや、別にそういうわけじゃないですけど…』
 『もう…いいから、離れててよ!』
 リーズは少し背伸びして、目の前辺りに居たファフニーに強く息をを吹きかけた。
 近くに居られると、気になって集中する事が出来ない。
 「ちょ、ちょっと!」
 直接、息を吹きかけられると、さすがに勢いが違う。
 台風どころではない風。
 抗議の声を上げる暇も無く、ファフニーは、どこまでも飛ばされた。
 …さ、ちゃんとやらないとね。
 ファフニーの姿が、目の前から消えた。
 リーズは、自分の中で弾け回っている力と、もう一度向き合ってみようとした。
 ファフニーが、ずっと一緒に居てくれると言った。
 気は楽になった。
 マリクやフレッドが教えてくれた。
 魔法とは力の向きを変える事だと。
 人間や妖精で、得意な魔法は違うけれど、不可能な事は無いはずだと。
 …ファフニーって、ずるいな。
 見えなくなってしまった彼を、指で突き回したくなった。
 やり方が卑怯だと思った。
 自分自信を人質に、リーズに生きる為の努力をさせようとするファフニー。
 そんな事をされたら、リーズは必死になるしかない。
 マリクやフレッドに教えてもらった思い出を頼りに、リーズは自分の中の力を感じようとする。
 胸に手を当ててみた。
 激しく波打つ、自分の心臓の鼓動を感じた。
 それから、自分の中に流れている力に意識を集中する。
 世界中の全てを踏み潰して回る事も容易い、今の自分の力。
 この妖精達が作った玩具の世界の全てが歯向かってきても、今なら全て踏み潰すことも出来るだろう。
 でも、そんな力は要らない。
 そういえば自分が欲しい力…そもそも、自分の望みって、何だろう?
 リーズは考える。
 まず、ファフニーといつまでも一緒に居たい。
 それが最初だ。
 それから、小さな彼を守りたい。
 それが第二だ。
 あとは、時々彼を玩具に出来ればいいかな?
 …あれ、それだけだ。
 なんだ、元の自分に戻れれば、全て解決じゃないか、やっぱり。
 『あはは、やっぱり、あたしって馬鹿みたいだね』
 ラウミィと戦うにも、ここまで無理な力は必要なかった。
 こんな風に命がけにしまったのは、全部、自分のせいなのだ。
 『馬鹿でも何でも良いから、お願いしますね、ほんと…』
 ファフニーの声が聞こえた。
 ふわふわと、ファフニーは再び彼女の目の前まで行く。
 『うん…
  だから、ファフニーも泣かないでね?』
 『あ、泣いてるの、ばれちゃいました?』
 『わかるよ…』
 それ位は、リーズでもわかる。
 『マリクみたいに、ずっと笑ってるなんて、やっぱり僕には無理ですね…』
 『あはは、いいんじゃないの?別に』
 その方が、可愛いとも思う。
 何とかして、彼の所に帰るんだ。もうしばらく、一緒に居るんだ。リーズは心から願った。
 彼女の体が、さらに強く輝いた。
 体の中を滅茶苦茶に流れる力が、1つの方向へと向かっていく。
 静かに意識が消えていくのをリーズは感じた。
 先ほどまでの精神の高揚も急激に収まっていく。
 身体からも心からも、力が抜けていく。
 リーズの身体を包む光。
 『なるほど…でも、ちょっと困ったなぁ』
 その光に、やがてファフニーも飲み込まれていった。
 リーズの黒いローブも、光に隠れて見えなくなった。
 彼女の足元では、もう一組の妖精と人間が、一部始終を見上げている。
 瀕死のラウミィは地面に寝たまま、様子を眺めている。
 「ちょっと…どうなってるのよ?」
 ラウミィが不安のあまり、手を握り締めた。
 「や…やめろ、この馬鹿」
 彼女の手に握られていた人間が、苦しそうに悲鳴を上げた。
 フレッドはラウミィに握り潰される恐怖を感じた。
 身長が30メートル程ある妖精の女の子は、たとえ悪気が無くても人間を握り潰す事など造作も無い事だ。
 「…あ、あら、お前、まだそんな所に居たの?」
 ラウミィは、あわてて手の力を緩めた。
 でも、彼を逃がさないで問い詰める。
 「ね、ねえ、どうなってるの!
  お前、フレッドなんでしょ?何とかしなさいよ!」
 少し頭が冷えてみれば、ラウミィにとってリーズは友達だ。
 彼女は手に握ったフレッドを睨みつけて、何とかしろと問い詰める。
 「何とか…って言われても、お前の手から逃げる事さえ出来ない…
  なあ、もう頼むから、いい加減、俺を手の中から出してくれ…」
 フレッドが弱音を吐いた。自分を見つめるラウミィの相手をするのが、正直辛い。
 こうしてみると、似たような表情を見せる人間の女を何人か見た事があるのに気づいた。
 伝説の名を受け継ぐフレッドに憧れる、若い女性の魔法使いは、彼の魔道士協会の中にも多かった。
 その中でも、特に精神的に未成熟な少女が、ラウミィのような顔を見せた。
 幼くて、周りが見えなくっている少女程、扱いにくいものはないとフレッドは思っている。
 甘えた少年だったら殴り飛ばしてしまえば良いが、少女ではそうもいかない。
 もっとも、ラウミィが相手では殴ったとしても効くはずがないが…
 「…嫌だ。逃がさないわ」
 ワガママを言って口を尖らせるラウミィが、フレッドには子供にしか見えなかった。
 「全く…何人の人間を握り潰してきた手だ、この手は?」
 「ん…私、握り潰すのって、あんまり好きじゃないから、1000匹は潰してないと思うけど…?
  …さすがに、今は、お前を握り潰す気分じゃないわよ。
  だから、そんなに怖がらなくていいわ」
 ぼそぼそと言うラウミィ。こんな時だけ素直に答えられても困る。
 …全く、一体なんなんだ、この状況は?
 フレッドは、ラウミィの手の中で、ため息をつくしかなかった。
 そんな彼らの目の前では、光が渦巻いていた。
 「リーズが自分の中の魔力をどうにかしてるんだ。
  このまま光の中に消えるか、それとも、元に戻るか…
  どっちかだろう」
 ラウミィの手の中で、彼女に事情を説明した。
 だが、彼女は、さらに口を尖らせてフレッドを握り締めた。
 「どっちかなんて…そんなの許さないわ!
  何とかしなさい!これは、命令よ!」
 ラウミィは、フレッドを怒鳴りつける。。
 でも、何とかする前に、フレッドはラウミィに握り潰されてしまいそうだ。
 …だから、なんなんだ、これは?
 ラウミィの目には、涙が浮かんでいる。
 小さな人形サイズの生き物を握り締めて、必死に懇願する妖精の姿。
 まだ、にやにやと嘲笑を浴びながら踏み潰されようとしていた、先ほどの方が気が楽な状況だ。
 「わかった…
  何とかしてやるから、俺を放せ。
  リーズ達の所へ行かせろ」
 フレッドはラウミィの顔を正視出来なかった。
 もちろん、リーズを助けたい気持ちは本当だ。
 自分の為に、そして、哀れなリーズやファフニーの為に。
 ただ、同時に…いや、それ以上に、弱々しく訴えかけるラウミィの為にリーズを助けてやりたい。そう考え始めている自分に腹が立った。
 「わ、わかったわ。
  でも…いい?
  お前も…ちゃんと帰ってくるのよ…」
 ラウミィは手を開いた。
 やっと、フレッドは解放された。自由に息が出来るようになった。
 「わかった。もう、何でも約束してやる」
 言いながら、フレッドは光に向かって歩いた。
 ラウミィは何も言わずにそれを見送る。
 『おい!どうなってる!聞こえるか!』
 フレッドは、歩きながらファフニーとリーズにテレパシーを送ってみた。
 何がどうなっているのか、詳しいところはフレッドにもわからなかった。
 『ああ、フレッド…
  ちょっと手伝って頂けませんか?
  もうちょっとで何とかなりそうなんですけど…僕、魔法の事がよくわからないんですよ』
 帰ってきたのは、ファフニーの声だ。
 マリクの力を受け継いでいても、ファフニーは知識や記憶は受け継いでいない。具体的にどうして良いのか、彼は、あまりわからなかった。
 『そんな、簡単に言われてもな…』
 フレッドは、目の前の光の柱を眺める。
 おそらく、リーズの魔力が光になって溢れているのだろう。
 そういう事ならば、自分にも何とか出来るかもしれない。
 リーズの体の中で起きている事は、フレッドにもどうしようもないが、彼女を離れて外に出てしまった力なら手出しが出来る。
 『この光を、リーズの中に戻してやれば良いんだな?』
 『ええ、多分そうだと思います。
  すいません、僕、そういうの、全然わからないんで…』
 『ああ、わかった。そこまでは何とかしてみる』
 フレッドは言った。
 彼にも大して力は残っていない。
 ラウミィを復活させたり、その後彼女に玩具にされたりしていて、力をほとんど使い果たしている。
 だが、単に力の向きを変える位の事なら、今の彼にも出来た。
 力を元の場所に戻してやる事なら、多分、何とかなるはずだ。
 フレッドはリーズを包む光に意識を集中する。
 大きいけれど、どっちにも向いていない純粋な力だ。
 なるほど、それを持ち主に返してやるだけなら、何とかなりそうだ。
 リーズを包む光が薄くなっていく。それは、彼女の中へと吸い込まれるように還っていく。
 彼女の中で混沌と化していた力が、一度、全て光になった後に魔力へと戻って彼女の中へと還ってきたのだ。
 光を失った、リーズの巨大な姿が浮かび上がる。
 その時、黒いローブが雲を突き抜けてどこまでも伸びているのを、国中の人間が見る事が出来た。
 「リーズ、もうちょっとです。
  あと、もうちょっとだけ、がんばって下さいね」
 いつの間にか、リーズの耳元に居るファフニーは、直接、彼女に囁いた。
 耳たぶの内側、耳の穴の入り口に、ファフニーは乗っている。リーズの耳の奥は、洞窟のように暗くて何も見えない。
 『…うん』
 もうろうとする意識で、リーズはテレパシーを返した。
 今は、自分の身体の中で渦巻く力の状態が大体理解できる。
 ほとんどが、純粋な魔力のようになっている。
 これなら…何とか。
 これを、元の命の力に戻すんだ…
 リーズは、その事だけを考える。
 そうすれば、自分は居なくならなくてもいい。
 まだ、この世界に居続ける事が出来る。
 ファフニーが居て、フレッドが居て、ラウミィが居て。そして、マリクが居る。
 …私だけ違う所に行くのは嫌だ。
 もっと、みんなと一緒に居たい…
 集中力が上がっていく。
 今、リーズは、自分の中を流れる血の一滴まで感じていた。
 溢れていた魔力が命へと戻っていく。
 『ラウミィの事なら大丈夫だ。
  だから…あなたも行かないでくれ』
 フレッドの声が聞こえた。
 …この人には、一番助けてもらったよね。
 神話の時代、一番最初にリーズと話した人間もフレッドという名前だった。
 あれから、どれだけ過ぎた事だろう?
 『ほんとに、長い間ありがとうね、フレッド。
  あと…これからも宜しくね!』
 まだまだ、彼と話したい事は山ほどある。
 これからも、彼と一緒に居たかった。
 『僕の事、いくら玩具にしても良いから、さっさと帰って来て下さい。
  …約束してくれますね?』
 ファフニーの声が聞こえた。
 『んー、本当にいいの?』
 いくら玩具にしても良いっていうなら、いくらでも玩具にしたい。えへへ、でも、本当に良いのかな?
 どういう風に彼を玩具にするか、リーズは考え始めた。
 …大丈夫だ。あたしは帰れるよ。
 リーズは、自分の中を流れる力を全て理解して、制御していく。
 やがて、彼女の体が薄い光に包まれた。
 随分と長い間、辺りは薄い光に包まれる。
 雲を突き破っていた女の子の巨人の姿が、次第に消えていった。
 少し離れた所で、ラウミィは、その光景を見ている。
 「ちょっと…どうなってるのよ?」
 ラウミィは立てない。
 苛立ち紛れに怒鳴ろうとしたが、それも出来なかった。
 見ている事しか出来ない、自分の瀕死の体に腹が立った。
 ラウミィは、消えていく薄い光をいつまでも見つめていた。
 「フレッド…!早く帰って来なさいよ!」
 弱々しく、怒鳴った。
 目の前には、巨大化した自分とリーズが地形を変えてしまった地面が、どこまでも広がっている。
 思えば、随分と暴れたものだ…
 ラウミィがじーっと見ていると、やがて、虫けらが3匹、ふわふわと浮いているのが見えてきた。
 真ん中に居る黒ローブを着た女の子は、ぐったりとして動かない。それを、左右から2人の男が支えるようにして飛んでいた。
 赤いローブを着た青年と、黒いローブを着た少年の表情は満足そうである。
 その表情を見ていると、リーズが無事な事はわかった。
 彼女は何も言わずに、すねた様な表情で3人を見ている。
 左右から男達に支えられて飛んでいる妖精の友達を見ると、ラウミィは嫉妬に似た感情を感じた。
 リーズを支えて飛んでいるファフニーとフレッドは、彼女を連れてラウミィの顔の前辺りに降り立った。
 二人は、目の前で死にそうな顔をして横たわっている巨人の女の子がよく見えるように、リーズを地面に降ろした。
 「さ、リーズを連れて帰ってきてやったぞ」
 ラウミィには笑顔を見せず、フレッドが言った。
 「…お礼は、言わないわよ」
 相変わらず寝転がったまま口を尖らせて、ラウミィは答えた。
 「でも…妖精を助けてくれたのは、嬉しいわ。 
  お礼は言わないけど、ありがとう…」
 言葉を続けるラウミィ。
 「言ってる意味が全くわからんが…」
 フレッドは何と答えて良いかわからない。
 ファフニーは、そんな2人には構わず、リーズを抱きかかえたまま、その様子を心配そうに見ている。
 「あたし、ラウミィちゃんの事は許したつもり…ないよ?」
 リーズはファフニーに身体を支えてもらって身体を起こしながら、言った。
 その顔に笑顔は無い。
 「リーズ…もう、いいじゃないですか
  ラウミィの事、踏み潰してくれたんですから、僕は、もういいですよ?」
 「何度でも、踏み潰すよ?
  ファフニーを虐めたら…」
 妹をなだめるように言うファフニーに、しかしリーズは首を振った。
 ラウミィが、困ったような表情を浮かべる。
 「ねえ…もう許してよ。意地になりすぎた私が悪かったわ。
  私だって、もう、こんな虫けら共の世界に関わるのは嫌だし…
  妖精の世界に帰って、もう、こんな世界には、2度と来ないって約束するわ。
  …だから、一緒に帰りましょう?」
 人間達に話す時と違い、ラウミィはリーズには素直に謝った。
 「虫けらとか、こんな世界とか言わないでよ…大嫌い」
 リーズが低い声で言う。
 やはり、2人の価値観は違い過ぎる。
 「リーズ、いい加減にして下さい。
  まず、ラウミィに言う事があるでしょう?」
 ファフニーはリーズを抱く腕に力を込めて言った。
 リーズはファフニーを一瞬にらんだ後、彼から目を逸らす。
 「ラウミィちゃんの事、虫けらみたいに踏み潰しちゃって…ごめんね。
  でも、あたし、ファフニーと約束したから…」
 小さな声でリーズは言った。
 「もう、いいわ…」
 ラウミィは、リーズの事を別に怒っていなかい。
 「全く…
  お前、本当に妖精と話す時と人間と話す時で態度が違うな」
 フレッドが横から口を出す。
 「うるさいわね!」
 ラウミィは、出せるだけの声を出して怒鳴り、フレッドに手を伸ばした。
 「こ、こら、またか!」
 逃げようとしたが、妖精がその気になったら、その手からは走って逃げられるものではない。
 魔法で逃げる力も、もう残っていない。
 フレッドは、再びラウミィの手に捕らえられる。
 …でも、今のは彼が悪いよね?
 ファフニーとリーズも、今回はフレッドを助ける気にならなかった。
 「ねえ…リーズの体は大丈夫なの?」
 ラウミィはフレッドを握り締めたまま、ファフニーに尋ねる。フレッドはラウミィの手の中でもがいている。
 「無茶をし過ぎました。
  正直、リーズは、あまり長くは生きられないでしょうね…」
 ファフニーは悲しげに言って、リーズの髪を撫でる。
 怯えたような目で、リーズはファフニーを見つめ返す。
 「リーズの命は、ほとんど消えてしまいましたからね…
  無理な力の使い方をした代償ですよ、仕方ありません」
 ファフニーの中のマリクは、リーズの弱々しくなってしまった命を感じていた。
 「そう…」
 先ほどまで、彼女を踏み潰してしまおうとしていた事も忘れて、ラウミィがうなだれた。
 「後、どれ位、リーズは生きられる?」
 ラウミィの手の中に居るフレッドが元気の無い声で言った。
 少しの沈黙。
 「僕にもわかりません…
  多分、明日や明後日に、リーズが消えてしまう事は無いと思いますが…
  他の妖精達みたいに、何千年も生きるっていうのは、絶対無理だと思います」
 小さくファフニーは言った。
 それでも、生きていただけ、マシだとは思うが…
 「まあ、いいんじゃないの?」
 リーズが口を開く。
 「ファフニーやフレッドなんて、放っておいても100年位で勝手に死んじゃうんだしさ。
  あたし、ずっと昔から居たんだし。
  もう…いいよ…」
 「リーズ、泣きながら言っても、説得力無いですよ?」
 ファフニーに抱きかかえられたまま、彼の肩に頭を寄せて泣きじゃくるリーズ。
 あまり長くは生きられない事は、幼い心が残っている妖精にとってはショックな事だった。
 ラウミィは、無様に泣いている妖精の友達が、とても可哀想だと思った。
 「私の羽根も、リーズにむしり取られたしね。
  …妖精同士でケンカしても、何も良い事なんて無かったわね。
  ごめんね、リーズ…」
 虫けらと同じ大きさで、虫けらに抱きかかえられている小さな生き物が、やはり大事な友達である事を彼女は感じた。
 多分、一番悪いのは自分だ。
 他の妖精達が、この世界の人間に対する考え方を改めてから1000年も経つのに、自分だけは昔のままだった。
 「意地を張り過ぎて悪かったわね…
  人間なんかと約束をする事は、やっぱり出来ないけど…あなたには約束する。
  もう、この世界には2度と来ないって約束するから…」
 フレッドを握っていない方の手をリーズに伸ばす。
 「だから、妖精の世界に一度帰りましょう?
  あっちの世界で少し休んで、妖精のみんなにも会っておくべきよ…」
 人間には決して向けない、優しい顔と声。
 「…やだ。
  ファフニーと、ずっと一緒に居る。
  いつまで生きてられるか、わかんないんだもん。ずっと、ファフニーと居るよ…」
 リーズは、それを拒絶する。
 彼女の気持ちは、ファフニーにとって嬉しいものだが。
 「やっぱり、一度、帰った方がいいですよ…」
 このまま彼女と一緒に居たい気持ちを我慢して、ファフニーは我慢して言った。
 「ファフニー…一緒に来てくれる?」
 「それは無理ですよ。妖精達は、それを望んでません。
  人間と妖精は、友達というわけでは無いですから…」
 行けるものなら、このまま妖精の世界まで一緒に行ってしまいたいとファフニーも思う。
 だが、妖精達が自分の世界で人間を受け入れるはずがないだろう。
 可愛いペットといえど、家の中で飼うには、心の準備が要るものだ。
 「大丈夫ですよ、今日や明日にリーズの寿命が無くなる事は無いですから。
  リーズだって、自分でわかるでしょう?
  …また、会えますよ」
 ファフニーの言葉を聞いて、しばらくリーズは考える。
 確かに、今日や明日に命が尽きてしまうような感じはしない。
 「わかった、帰る…
  …でも、また来るからねね」
 妖精の世界で自分を心配する仲間に姿を見せる事と、休息を取る事が自分には必要な事をリーズは認めた。
 「じゃ、ラウミィちゃん、もう行こうよ…」
 ラウミィに声をかけながら、リーズの眼が彼女の右手に釘付けになった。
 「ちょ、ちょっと、フ、フレッドは大丈夫なの?」
 そういえば、先程から彼の言葉を聞いていない。
 ラウミィの手に握り締められている人間は、無事なのだろうか?
 会話に集中していたラウミィの手は、いつしか強く握り締められていた。
 何百人かの人間を握り潰した手が、いつものように中に人間を収めて、その圧倒的な力を込めたのだ。
 ぴくりとも動かない、赤い塊がリーズには見えた。
 「…あ、あら?」
 ラウミィは、すっかり忘れていた。
 あわてて手を開く。
 フレッドが、動かない。
 「お、お前!何とかしなさい!」
 それから、彼を乗せた手をファフニーの方へ持ってきた。
 「いや…まあ、気絶してるだけですよ」
 死んだわけでは、ないだろう。
 ファフニーは、すぐに答えた。
 しかし…
 ファフニーとリーズは呆れた顔で、何も言わずにラウミィの方をじーっと見た。
 「な、何よ…
  べ、別に忘れてたわけじゃないわよ?」
 痛い視線をラウミィは感じる。
 「私の体を傷つけた事の報いを受けさせただけよ。
  い、一応、私を蘇生してくれたみたいだから、握り潰すのだけは許してやったの」
 これ程、説得力が無い言葉があるだろうか?
 ファフニーもリーズも、ラウミィにかける言葉が無かった。
 「…と、とにかく、リーズ。
  この首飾りを付けなさい。世界を渡れる力を込めてあるわ。
  これも、作るまでに1000年位かかったのよ」
 「はいはい…」
 フレッド、大丈夫かな?
 気を失ったフレッドが心配だったが、リーズはラウミィからアイテムを受け取る。
 「世界を渡る事が出来るアイテム…ですか」
 複雑な魔法を使わずとも、アイテムさえあれば世界を越える事が出来てしまうという事か…
 「ふふ…マリク程では無いが、妖精は道具を作るのが得意よ?」 
 首飾りを神妙な様子で見つめるファフニーに、ラウミィは自慢気に言った。
 「あの…あたし、フレッドにもお別れを言いたいんだけど…?」
 リーズがフレッドの方を見ている。
 「い、いいから放っておきなさい、こんな奴。
  あたなは、また、こっちに帰ってきてから会いに行けばいいじゃない?」
 遠慮がちに言うリーズの言葉をラウミィは否定した。顔が真っ赤だ。
 …さすがに、恥ずかしいんだね?
 ファフニーとリーズは、フレッドに会わせる顔が無い、彼女の気持ちを尊重する事にした。
 気を取り直すようにしながら、ラウミィは、さらに口を開いた。
 「お前、フレッドが起きたら、言っておきなさい。
  二度と、この世界には来ないから安心しろと…」
 ラウミィは、気を失っている小さな赤いローブの生き物を見つめる。
 もう、今度こそ二度と会う事は無いかもしれない…
 「別に、また来れば良いじゃないですか?
  人間を玩具にして殺したりしなければ、良いんですから…」
 まだ、そんな事を言うのかとファフニーは呆れた。
 「私が、どれだけ虫けらを殺したと思ってるの?
  こんな世界、二度と来たくないわ。
  そもそも、この世界に干渉しないようにするっていうのが、昔、妖精のみんなで決めた事だし…」
 ラウミィは色々と理由を並べる。
 理屈を並べて、自分を誤魔化そうとする少女には、ファフニーは言葉をかけたくなったが、
 「もう…いいから、行こうよ」
 ため息をつきながら、リーズが言った。
 「ラウミィちゃんには、あたしから言っとくね」
 「お願いします」
 この先は、リーズに任せた方が良いかとファフニーは思った。
 リーズはラウミィから受け取った首飾りをかけながら、ファフニーの手を離れ、ラウミィの方に歩み寄った。
 ラウミィは、相変わらず寝たきりで起きられないようだ。
 「じゃあ、帰ろうね。
  ラウミィちゃん…」
 「…うん」
 疲れた妖精達は、静かに言った。
 彼女達が、玩具の世界から、自分達の世界へと帰る時が来たのだ。
 「またね、ファフニー…」
 リーズは、ファフニーの方を振り返って手を振った。
 「うん、またね…」
 ファフニーは、妖精達に向かって手を振る。
 それから、2人の妖精の姿が、薄い光に包まれた。
 そして、彼女達の姿は、すぐに見えなくなった。
 妖精達が、この世界を去ったのだ。
 ファフニーは、フレッドに回復魔法を使いながら、急に見晴らしがよくなった周囲を見渡してみる。
 先程まで巨大な妖精達がはしゃぎ回っていた地面は、平坦な草原だった地形が変わっている。
 かつて、妖精達が住んでいた古い住居も、リーズが踏んだ為に粉々になっていた。
 地面に残る、長さが1000メートルもある足あとの形や、色んな形に窪んだ地面を見ていると、確かに、ここに妖精達が居た事を感じる事は出来る。
 でも、もう行ってしまった…
 「俺を無視して…行ったのか。
  許せんな…」 
 目を覚ましたフレッドは憮然としている。
 ラウミィに握り締められて気絶しているうちに、気づいたらラウミィもリーズも、この世界から居なくなってしまったのだ。納得いくはずがない。
 「あはは、まあまあ。
  それより、いつか、妖精の世界にこっそり行ってみませんか?」 
 「あいつらの世界にか…」
 こっちから妖精の世界を訪ねてみるという事は、フレッドは考えた事がなかった。
 人を踏み潰したり食べる事を快楽と考える、巨大な化け物の女達の国へ行く事など考えた事もなかった。
 だが、少し身体が大きい無邪気な妖精達が暮らしている世界であれば…
 「ははは、妖精達に寄ってたかって踏み潰されるかもしれないな」
 フレッドは笑った。
 「だが…確かに、俺たちの方から行ってやった方が良いのかも知れないな。
  結果だけを見れば、ラウミィは数千人の人間を虐殺して回った化け物に違いない。
  あいつも、根はいい奴だから…また、こっちの世界に来る事は辛いだろう」
 いつか、一度は、こっちから妖精の世界へ行ってみようとフレッドも考える。
 フレッドは、リーズに…何よりラウミィに会いたいという気持ちを素直に認めている。
 彼はラウミィ程には、自分を誤魔化す子供でも頑固者でも無かった。
 「それより、君は、どうする?
  さすがに、大きな事件に関わり過ぎた。
  そのまま見習い騎士として、騎士団に戻るのは難しいだろう…」
 フレッドはファフニーの今後の事を心配した。
 「その気があれば、『七人の子供達』の幹部の席は空いている。
  神話の時代から空席だった『マリク』の席だが、君には、その席に着く資格があると思うが?」
 『七人の子供達』に幹部が七人揃う事は永遠に無いと、フレッドを含めた歴代の幹部達は考えていた。
 だが、『マリク』が帰ってきたのであれば話は別である。
 「あはは、それは、お断りしますよ。
  僕は見習い騎士のファフニーですから」
 ファフニーは、即答した。
 マリクの名前は、自分には重過ぎると思った。
 あくまで、彼の力の一部だけを受け継いだのである。記憶も知識も、ほとんど無い。
 自分は、やはり見習い騎士のファフニーなのだ。マリクでは無い。
 「そうか…」 
 フレッドは残念そうに言った。
 「まあいい。とにかく帰るか。
  あいつらの足あとばかり眺めていても、虚しくなる…」
 妖精達の巨大な足あとをいつまでも見ていても、仕方ない。
 ファフニーとフレッドは、近所の村へと歩き始めた。
 近所の村…いや、国中のどこからでも、雲よりも大きくなったリーズの姿は見えたはずだ。
 彼女やラウミィが地面を踏みつけた事で起きた地震も、国中を襲ったはずである。
 色々と、彼女達のケンカの後始末は大変な事になりそうだと、フレッドはため息をついた。
 忘れる気は無いが、忘れようと思っても、当分、彼女達の事を忘れることは無理だろう。
 人間を何十人、何百人かまとめて踏み潰せる、妖精達の足あとの間を、ファフニーとフレッドは歩いていた。