妖精の指先18

 WEST(MTS)

※この文章は巨人が小人を様々な手段で弄ぶ表現が含まれています。
 残酷な表現等が含まれますので、18歳未満の方は読まないで下さい。

 18.ファフニーとマリク

 何も無い場所。
 目を開けても無。
 閉じても無。
 気づけば、少年は、そんな場所に居た。
 光は無い。
 暖かさも何も無い。
 そんな、何も無い場所に、少年は1人で居た。
 とても、寒い…
 本当に何にも無いの?
 これでは、あんまりだ
 そもそも自分の姿すらも、どこにもない。
 こんなのは…嫌だ。
 少年は、無の世界の中に、それでも何か無いのか、必死に辺りを見ようとしてみた。
 すると、遠くの方に光が見えた。
 明るくて大きな光。そこからは、暖かさを感じた。
 …そうだ、あの光の中に行けば良いんだ。
 初めて来る、この場所。何も無い世界。
 でも、ここで何をするべきか少年にはわかった。
 人間は死んだら…あの光の中に行くんだ。
 何も無い空間をゆっくりと漂い、少年は暖かさを感じる光へと向かった。
 次に、少年は音を聞いた。
 「ファフニー、君は、あの光の中へ行きたいのかい?」
 何も無い世界を漂う少年とは別の、もう1人の少年の声。
 「はい…行きたいです。
  あそこへ行く事が…きっと、正しい事ですから」
 ああ、そういえば、僕の名前はファフニーと言うんだっけか?
 少年は声に答えた。
 「うん、そうだよね。
  それが正しいと、僕も思う。
  じゃあ、心残りも、もう無いんだね?」
 もう1人の少年の問いかけ。
 心残り?
 佇んでいた少年は、首を傾げる。いつの間にか、傾げる事が出来る首が、彼にはあった。彼は自分に姿がある事に気づく。
 心残りってなんだろう?
 そういえば、何か大事な事を忘れている気がする。
 少年は、考える。
 僕は、このまま行ってしまって良いんだろうか?
 暖かさを感じる光の向こうへ、このまま1人で…
 『居なくなったら、嫌だよ!踏み潰すよ!』
 少年の頭に浮かぶのは、女の子の声と、顔。
 黒いローブを着た妖精の姿が見えてきた。
 人間より少し大きくて、指一本で人間を虫みたいに潰せる妖精の女の子を思い出す。
 …そうだ、このまま光の向こうへ行ったら、きっと、リーズに怒られてしまう。
 少年は、大事な事を思い出した。
 ついでに、自分に問いかける声の主の事も思い出した。
 「あなたは…マリクですね?
  ここは、あの世…僕は…死んだのですか?」
 ファフニーは、声の主に問いかけた。
 「さて…どうだろう?
  でも、僕は君の友達でも何でもないから…詳しく説明する義理は無いと思うけど…」
 声は困ったようにファフニーに答えた。
 「なるほど…それも、そうですね」
 マリクの言葉に、 ファフニーは頷いた。
 「では、マリク。
  今から、僕と友達になりませんか?
  僕は…ずっと、あなたに会いたかったんだ、きっと」
 「僕と君が…友達に?」
 少し驚いたような、マリクの声。
 「うん…それは面白いかもね。
  君は僕に興味がある。
  僕も君には興味がある。
  そうだね、何も問題は無いね。
  …うん、僕達は今から友達だ」
 少し考えた後に、マリクは言った。
 「では、友達の姿位、見えた方が良いね。
  今の君は、多分何も見えないよね?」
 「はい…」
 マリクの問いに、ファフニーは頷く。
 ファフニーにとって、ここは未だに無の世界に等しい。暖かい光が見えて、マリクの声が聞こえる以外に、何も無い。
 「見ようとすれば、いいのさ。
  君が無だと思うから、無なんだよ…」
 「は、はい…」
 よくわからないが、言われた通りにしようとファフニーは努力する。マリクの事を見ようとした。
 彼の声が聞こえるんだから、彼は居るはずだ。居るんだから、見えるはずだ。
 ファフニーは、マリクを見ようとした。
 そうすると、彼が見ようとしたものは、すぐに姿を現した。
 「あなたが…マリク?」
 ファフニーは思わず、微笑んでしまった。
 目の前に、黒いローブを着た少年の姿が見えた。
 無邪気に笑う、黒ローブの少年。
 初めて会うが、彼がマリクだという事がわかった。
 「おや、僕の事が見えるようになったの?
  おめでとう、ファフニー…」
 マリクは微笑みながら、ファフニーに右手を差し伸べる。ファフニーは、その手を握り返した。それは、とても温かかった。
 「では、マリク。
  もう一度聞かせて下さい。
  僕は…死んだのですか?ここは…あの世なんですか?」
 マリクと握手を交わした後、改めてファフニーは尋ねた。
 「難しい質問だね…
  『死』とは何だろう?
  『あの世』とは何だろう?
  とても、難しいね…」
 難しいのは、マリクの言い回しだとファフニーは思った。
 「では、言い方を変えましょう…
  僕は…もう、リーズには会えないんですか?」
 大事なのは、その事だ。
 「会えないかもしれないね…。
  ここに来たら…あの光の中に入るのが、人間の定めだよ…」
 マリクが神妙な顔で言った。
 「そうですか…」
 まあ、仕方が無い。
 自分がリーズの胸の下敷きになった事は、覚えている。
 僕は…もう死んだんだ。
 その事実は、変えようが無いんだ。
 悲しいけれど、ファフニーは、自分が死んだ事を認めた。
 …あれ、ちょっと待てよ?
 疑問がある。
 「あなたは…あの光の中へは行かないんですか?」
 マリクに尋ねた。
 彼がリーズの口の中に消えたのは1000年前の事だ。何故、今もここに居るのだろう?
 「リーズを見ていたかった。
  だから、ずっとここに居た。
  それだけさ…」
 マリクは当然の事のように言った。
 「それで…1人でこんな所に、1000年も居たんですか?」
 この人は、この何も無い世界で、ただリーズの事を見守っていたというのか。
 マリクのリーズに対する思いが、ファフニーは羨ましくなった。
 でも、マリクはそれを笑い飛ばした。
 「あはは、僕が1人に見えるの?
  もっと…よく見てごらんよ」
 可笑しそうに笑う。
 「…え?」
 ファフニーは辺りを見渡す。
 そういえば…誰か居る気がする。
 どうやら、ここは何も無い世界だが、本当に何も無い世界というわけでは、ないようだ。
 見る気になりさえすれば、色々な物が見える。
 「ふふ…いい加減、気づいて欲しいものだな」
 「そうね。私達…そんなに存在感無いのかしらね?」
 まずは、声が聞こえた。
 その声を頼りに、ファフニーは探してみる。
 居るはず。見えるはず。
 そう、すぐそこに…
 「あなたは…フレッド…?」
 ファフニーは赤いローブを着た少年の姿を見た。それは、ファフニーが知っている姿より若く見える。
 「何よ、フレッドしか見えないの?」
 不機嫌そうな少女の声も聞こえた。
 少し怖い声だ。
 やがて、彼女の姿も見えてきた。
 「あなたは…あの、すいません、誰ですか?」
 その姿には、見覚えが無い。
 「あ、そういえば、初めましてよね?
  私が一方的に見てただけだもんね。
  …うふふ、その黒ローブ姿も、結構似合ってるわよ、ファフニー」
 まるでリーズのように笑う黒ローブの少女。
 何となく、彼女が誰だかファフニーは理解した。
 「…あ、もしかして、メリアさんですか?」
 「へー、察しは良いのね」
 名前を呼ばれた少女は、嬉しそうに頷いた。
 「なるほど、大したもんだな」
 神話の時代のフレッドも、頷いた。
 黒ローブの少年マリク。
 赤ローブの少年フレッド。
 黒ローブの少女メリア。
 『七人の子供達』の創設者のうち、3人がこの場所に居た。
 神話の時代から今まで、ずっとリーズの事を見守り続けていた彼女の友達。
 ファフニーは、3人の姿を正視する事が出来なかった。
 言葉が出てこない。
 「あなた達は…こんな所で、ずっとリーズの事を?」
 ようやく、言葉を搾り出した。
 こんな何も無い世界で、ただリーズだけを見続けて…
 リーズの昔の友達が、どれだけ彼女を愛していたのかをファフニーは理解した。
 「んー、私は、普通にあの光の中に入っていく所だったんだけどね…
  マリクにナンパされちゃったのよ。
  一緒にリーズでも見物しないか…ってね?」
 恥ずかしそうに言う、メリア。
 「俺もだ…
  リーズを残していくのが、どうにも心配でな…」
 フレッドも頷いた。
 「何を言ってるのよ…」
 それをメリアが手が小突いた。
 「あんたは、リーズよりもラウミィの方が心配なんでしょ?
  全く…あんたがちゃんと、あの子の事を見てやらないから、こんな面倒な事に…」
 「いや、仕方ないだろう、それは…」
 口ゲンカを始める、フレッドとメリア。二人だけの世界に入っている。
 この夫婦は、1000年の間、こうして口ゲンカをしながらリーズの事を見ていたのだろうか?
 「ねえ、ファフニー?」
 マリクがファフニーに尋ねる。
 「別に、僕たちは君の為にやってたんじゃないよ。
  リーズが心配でやってた事なんだから、君がそんなに感激するのは、おかしいんじゃない?」
 静かに涙を流すファフニーの事をマリクは笑った。
 「いえ…こんな嬉しい事はありません。
  だって、リーズは1人じゃなかったんですよ?
  あの子…1000年間、1人でダンジョンに篭ってる間も…1人じゃなかったんだ。
  誰も自分の事を見てくれてないなんて…リーズが1人ぼっちなんて、そんな事無かったんですね?」
 リーズが一人ぼっちになった瞬間なんて、今までに一瞬たりとも無かったのだ。
 こんなに嬉しい事があるだろうか?
 ファフニーは、この事をリーズに伝えてやりたいが、もう、それも…
 「いや、結局1人ぼっちだったさ、リーズは」
 マリクはファフニーの感激を否定した。
 「僕達は彼女を見る事しか出来ないし、彼女は僕達を感じることすら出来ない。
  それでは…意味が無いよ」
 マリクの笑顔に影が差した。
 「その通りだ。
  俺は…いや、俺達の方こそ、君に感謝している。
  君が探し出してくれなかったら、リーズは今でも1人ぼっちだった。
  あのままのリーズじゃ、ラウミィが尋ねていったとしても、心を開いたとは思えない…」
 フレッドがファフニーに言った。
 「全く…二言目には、ラウミィなんだから…」
 ぼそっと言うメリアの嫉妬に満ちた声。それを、ファフニーは怖いと感じたが楽しくもあった。
 だが、新しい出会いを喜んでいたファフニーは、すぐに現実を思い出した。
 「でも…僕も、皆さんの仲間入りですね。
  これからは…もう…」
 言葉に詰まる。
 「もう…リーズを見ている事しか出来ないんですね、僕も…」
 こんなに悲しい事があるだろうか?
 神話の時代の魔法使い達も、今のファフニーにかける言葉が無かった。
 「ああ…そうだ。
  僕にも、リーズの見かたを教えてもらえませんか?
  他にやる事も無いですしね…」
 ファフニーは、神話の時代の魔法使い達に尋ねる。
 ともかく、自分が死んだ後、リーズがどうなったのかを見てみたい。
 彼に答えたのはフレッドとメリアだった。
 「同じ事さ。
  見ようと思えば、それでいい。
  俺達の事ですら見えたんだろう?
  なら、リーズの事が見えないはずが、あるまい」
 「そうね。
  私達が見えて、リーズが見えないはずが無いわよね」
 さっきまで口ゲンカをしていた夫婦が、口を揃えて言った。
 「そうですね、その通りですね…」
 ファフニーは、言われた通りにリーズを見ようと努力をした。
 すると、すぐに光景が浮かんできた。
 自分が死んだ後の光景。
 ラウミィの指の下敷きになったフレッド。
 呆けた顔で座り込んでいる、裸のリーズ。
 そうした光景を、ファフニーは目の当たりにした。
 フレッドがラウミィの指の下に消えた時には、神話の時代のフレッドも黙ってしまった。
 「リーズは、君を押し潰した事…相当ショックだったみたいだね。
  まあ、それは当然だと思うけど…」
 呆然としているリーズの様子を見ながら呟いたマリクの言葉に、ファフニーは黙って頷いた。
 「おい、あいつは…俺は、まだ来ないのか?」
 次に口を開いたのはフレッドだ。
 「そうね、そろそろ来てもいいわよね?」
 メリアも首を傾げる。
 2人が言っているのは、現代のフレッドの事だ。
 ラウミィの圧倒的な力に屈した彼が、そろそろここに来そうなものだ。
 そうしているうちに、現代のフレッドは、リーズの側に姿を現した。
 空間移動の魔法で、ラウミィの手から逃れていたのだ。
 「な、なに?」
 驚いたのは神話の時代のフレッドだ。そんな技は知らない。
 「空間を渡る…か。
  マリクのお株、奪われたわね」
 面白そうにメリアは言った。
 「うん…人間は、進歩するものだからね」
 マリクの言葉と、フレッドの複雑な表情。
 だが、現代のフレッドの健闘は長くは続かない。
 空間移動に体が耐えられなくなったのだ。
 「ち…素人め。
  無駄に魔法を使うから、いざという時に体がついていかなくなる。
  そんな事で、ラウミィに勝てるものか…」
 少し嬉しそうに言うフレッド。
 「どっちの味方よ、あんたは…」
 メリアが彼の首を絞めた。
 「お、落ち着いてください」
 ファフニーがそれを止める。
 「そんな事を言っても、君だって、今のラウミィ相手じゃ勝てないんじゃない?
  君がこんな所に居る間に、彼女は長い間、とても努力をしたみたいだよ?
  君との思い出だけを頼りにして、ずっと、ずっと…」
 マリクにからかわれたフレッドは、そっぽを向いた。
 神話の時代に、争いを通じて彼女に伝えた言葉。
 その言葉だけを頼りに、ラウミィは人間の魔法の技術を多少なりとも使えるようになったのだ。
 「確かに…な。
  俺は空間移動なんて器用な事は出来ないし、神話の時代のフレッドじゃ、どうしようもなかったかもな。
  反則だ、あのローブは…
  しかし…現代の俺も情けないな。
  マリクのローブのを着られたら勝ち目が無い事位、一目でわからんのか。
  俺なら、ラウミィの時間切れまで、最初から逃げてたぞ。
  あんなんじゃ、何度やってもラウミィには勝てんな」
 「はいはい、ラウミィはフレッドが可愛がってた子だもんね。そんなに簡単に負けるはずが無いわよね」
 メリアの冷たい目線。
 そうして幽霊達が漫才をしている間に、リーズの体が強い光を発するのを、ファフニーは見た。
 いつものように大きくなるリーズの姿。
 だが、大きくなるレベルがいつもと違った。
 どこまでもリーズは大きくなる。
 雲を突き抜けて、まだまだ…
 「あの…何ですか、あれ?」
 ファフニーは、呟きながら、リーズの体を頭の上からつま先まで眺めてみた。
 いくらなんでも異常な大きさだ。
 世界に存在する、どんな山よりもリーズは大きくなった。
 おとぎ話に出てくるような、天まで背が届く巨人のようである。
 「いや…リーズだろ、多分」
 「リーズ…よね?」
 フレッド夫妻も目が点になっている。
 「あはは、すごいよ。
  リーズがあんなに大きくなった!」
 無邪気に笑っているのは、マリクだけだった。
 その無邪気さが、少し異常だとファフニーは感じた。
 これでは、まるで…
 だが、マリクのことを考えている場合では無い。
 巨大化したリーズの動きから目が離せない。
 彼女は圧倒的だった。
 彼女が世界を滅ぼすには、ほんの一週間もあれば十分だろう。彼女が少し散歩をするだけで、世界中の街は、彼女の足の下で平らになるはずだ。
 身長が900メートルのラウミィですら、人形扱いにしてしまう。
 子猫が初めて捕まえたネズミで遊ぶように、ラウミィを玩具にするリーズ。
 彼女がファフニーを殺された恨みを晴らそうとしているのは、よくわかった。
 「ね、ねえ、ちょっとやり過ぎじゃないですか?」
 誰よりも、リーズの様子に引いたのはファフニー自身だった。
 彼女の言葉にも行動にも悪意が満ちている。こんなに恐ろしいリーズは、ファフニーも、神話の時代の魔法使い達も見たことが無い。
 「やり過ぎだな…」
 「やり過ぎね…」
 同意する、フレッドとメリア。
 「あはは、もう世界の誰も、リーズに敵わないね」
 1人、マリクだけが笑っていた。
 一方で、現代のフレッドがファフニーを生き返らせようとしている事にもファフニー達は気づいた。
 だが、それは手ごたえが無く終わりそうだった。
 「いくらフレッドでも…それは無理だね。
  だって、ファフニーはここに居るんだもの。身体の欠片だけ残っていても…その中身が存在しないんじゃ、魔法を使う相手が居ないのと一緒だ。いくら彼でも無理だよ」
 「そうだな…」
 マリクの言葉にフレッドが頷いた。一抹の期待を持っていたファフニーは、二人の言葉に落胆した。この二人が揃って無理だというなら無理に決まっている。
 一方、リーズのラウミィに対する陰湿ないじめも続いた。
 最後に、ラウミィの羽根までむしり取った彼女は、ハエのように小さなラウミィを踏み潰そうとした。
 「だめだよ、リーズ!」
 我慢出来なくて、ファフニーが叫ぶ。
 それは、やってはいけない事だと思った。
 妖精が人間を踏み潰すのは、人間がアリを踏み潰すのと同じような事である。
 でも、妖精が妖精を踏み潰すのは、話が別だ。
 同じ仲間を殺す…人間だったら、それは殺人である。
 ファフニーはリーズに叫び続ける。
 「妖精が妖精を殺しちゃだめだ!
  それは、人間が人間を殺すのと同じ事だよ!」
 必死に呼びかけるファフニーの声。でも、彼の声がリーズに届いた様子は無かった。
 メリアも何か言っていたが、彼女の声もリーズには届かなかった。
 マリクは、いつものように笑っている。
 ただ1人、フレッドだけが、リーズではなくラウミィの事を見ていた。
 『フレッド…私が悪かったの?』
 妖精の友達に踏み潰されようとしている、1人ぼっちのラウミィの声。
 それを、フレッドは受け止めた。
 彼女がこうなってしまったのは、自分のせいだとフレッドは思う。
 『ラウミィ…お前、意地を張りすぎだよ』
 やりきれなくて、一言、フレッドは呟いた。
 ずしーん!
 そして、ラウミィはリーズに踏み潰された。
 山よりも大きくなったリーズの前では、ラウミィすらも踏み潰されるのを待つだけの存在に過ぎなかった。
 戦いは終わった。
 マリクの歓喜の声が聞こえる。
 「ああ…僕は、これが見たかったんだ。
  リーズ…誰よりも大きくて、誰よりも強くて…」
 感極まった、マリクの声。
 「ありがとう、ファフニー。
  ありがとう、フレッド。
  君達のおかげで、リーズは…」
 「そんな事を言ってる場合か!」
 「そうよ、冗談じゃ済まないわよ、これ!」
 フレッドとメリアが、同時にマリクの頭を叩いた。
 息がぴったりの夫婦だとファフニーは思った。
 「そ、そうだね。
  このままじゃ…リーズは消えてしまうね」
 事の重大さは、マリクも認識していた。
 リーズは生命力を無制限に魔力に変換した結果、力を制御できなくなっている。
 「あんな難しい事、何でリーズに教えたんだよ…」
 「マリクは、考えてそうで、何も考えてないんだから…」
 フレッド夫妻が、マリクを責める。
 「うん…これは僕の責任だ…」
 寂しげに微笑むマリク。
 リーズは自分の技術を越えた魔力の使い方をして、異常な巨大化を行った。その、高すぎる代償を払おうとしている。
 このままでは、リーズは死ぬ…
 それは、ファフニー達…何も無い世界でリーズを見続ける為だけに存在し続けている者達…にとって、何よりも悲しい事だった。
 「お願いします。何とかなりませんか?
  皆さんは…神話の時代の魔法使いなんでしょう?」
 ファフニーは、伝説の魔法使い達を見渡す。
 僕は無力だ。
 僕には何も出来ない。
 自分が普通の人間である事が、悔しかった。
 その思いは、神話の時代の魔法使い達も一緒である。
 まず、フレッドが答える。
 「助けてやりたいが…俺には何の力も残ってないんだ。
  俺のほとんどは…もう、あの光を潜っているからな」
 次に、メリアが答える。
 「そうね、私達は単なる残骸だもの。
  リーズの事が心配で、あの世に行けなかった心の一部分…て所かしらね?」
 二人とも、リーズを助けたい気持ちは、ファフニーに負けていない。
 だが、二人とも1000年も前に、年を取って死んでしまった人間だ。
 今の彼らには何も出来ない。
 だから、ファフニーとフレッド、メリアの3人は、マリクの方を見た。
 口を開いたのはフレッド。
 「お前なら、何とか出来るんじゃないか?」
 彼の言葉に、深々とマリクは頷いた。
 「さて、ファフニー…
  選択の時だよ?
  君は…自分が自分でなくなっても、リーズを助けたいと思うかい?」
 マリクがファフニーに問いかける。
 「当然です。
  世界と引き換え…とかだと困っちゃいますけど、僕1人がどうにかなる位でしたら問題ありません。
  …それに、僕は、もう死んでますしね」
 ファフニーは即答した。
 つまらない質問だと思った。迷う事など何も無い。
 「うん…じゃあ、説明してる時間も無いからね」
 マリクの顔が少し曇った。
 「本当の事を言うと、僕は…少し怖いんだ。
  でも…リーズの為だものね」
 それから、いつものように微笑んだ。
 相変わらず不思議なマリクの言葉。
 その、マリクの顔。
 何故か、鏡でも見ているようだとファフニーは思った。
 『リーズの為』
 ああ…そうか。
 唐突に、ファフニーは全てを理解した。
 理解したが、受け入れる事は少しの戸惑いがあった。
 確かに、今まで不思議に思うことは、あった。
 マリクの事を思い続けていたリーズにも聞こえなかった、彼の声。
 それを、ファフニーは聞いた。
 リーズに食べられて死にそうになった時。
 ラウミィに責められて正気を失いそうになった時。
 どうして、ただの人間に過ぎない僕が?
 何の魔法の力も無い僕が?
 なんで、遠くに居るマリクの声を聞けたのだろう?
 でも、それは当然の事なのだ。
 事実を受け止めたファフニー。
 だが、戸惑いもあった。
 『君は…自分が自分でなくなっても、リーズを助けたいと思うかい?』
 もう一度、頭に響くマリクの声。でも、ファフニーは何も怖くない。
 「マリク…
  それは怖がる事では、無いと思いますよ」
 ファフニーはマリクに微笑みかける。
 「だって…僕が、僕に近づくだけの事じゃないですか。
  今の状態の方が…おかしいんですよ。
  こうして僕達が別々に存在して、話し合ってる事の方がおかしいんですよ…」
 彼を安心させるように、手を差し伸べた。
 「ああ…そうだよ、ファフニー。君の言う通りだ。
  確かに、怖がる事ではないね。
  …ふふ、君は何の力も無いけど、強いね。僕が欲しくても手に入れられなかったものを、いくつも手に入れたね」
 マリクにいつもの笑顔が戻る。
 「うん。そうだ。怖くない。
  少しだけ…全部じゃないけど…元のように集まるだけだものね」
 マリクもファフニーの手を握り返した。
 「マリクの力…妖精にも作れないものを作り出す事が出来るんですよね?」
 ファフニーの言葉。
 「そうだね。
  あはは、さすがに自分の命をもう一度作るっていうのは、初めてだけどね」
 マリクの微笑み。
 『でも、きっと出来るよね…』
 2人の声が重なった。
 今の自分が居なくなる事。元の自分に近づく事を、2人は理解している。
 何も無い世界に、光が現れた。
 その中心に居るのは、2人の黒ローブを着た少年だ。
 ファフニーとマリクの身体が、光に包まれる。
 彼らの握った手が、溶け合っていく。
 ファフニーの身体に吸い込まれるように消えていく、マリク。
 神話の時代に分かれた物が、戻ろうとしていた。
 1つは、リーズを見続ける為に、暖かい光の中に消えるのを拒んだ物。
 もう1つは、再びリーズに会う為に、力も記憶も全て失くして、真っ先に暖かい光に飛び込んだ物。
 最初に居なくなった物と、最後まで居なくなる事を拒み続けた物の姿が光の中で重なった。
 フレッドとメリアは、何も言わずに、それを見つめている。
 二人にとっても、これは嬉しい事だった。
 やがて、マリクの姿がファフニーの中に完全に消えた。同時に彼らを包んでいた光も消える。
 「2/5…ですか」
 ファフニーは寂しそうに呟いた。
 自分で思っていたほどには、変わった気がしなかった。
 確かに、遠い昔に分かれた一部と再び一緒になって、『マリク』について少し理解は出来た。
 でも、自分は、どちらかというとファフニーらしい。
 やはり、マリクも神話の時代に死んだのだ…
 多分、リーズに『ファフニー!』と呼ばれたら返事をしてしまう。でも、『マリク!』と呼ばれても、とっさに返事は出来ないんじゃないだろうか?
 少し変わってしまったはずの自分に、ファフニーは違和感を覚えなかった。
 「ファフニー…と呼べば良いかな。
  今の君なら、向こうに帰る事が出来るだろう。
  俺が、君の欠片を持っていてくれてるみたいだしな。
  ふふ、ラウミィに喰われなくて良かったな」
 「はい…」
 ファフニーはフレッドの言葉に頷いた。
 「フレッド、メリアさん。
  短い間でしたが、ありがとうございました。
  本当に、お世話になりました。僕…嬉しかったです。あなた達に会えて。
  後は僕…いや、僕達が引き受けますね」
 神話の時代の魔法使い達とは、本当に短い、数分の付き合いになってしまった。
 ファフニーは神話の時代の魔法使い達の幻に向かって、最後の挨拶をした。
 「ああ、頼むぞ、ファフニー」
 「ほんとに短い付き合いだったわね…」
 フレッドとメリアが言った。
 「でも…また、すぐに会いたいものですね」
 言いながら、ファフニーは静かに目を閉じた。
 彼の体が、ゆっくりと無の世界に溶け込んでいった。
 すぐに彼の姿は見えなくなる。
 フレッドとメリアの夫婦だけが、無の世界に残された。
 彼らにも、旅立ちの時は訪れていた。
 「じゃ、俺も行くかな…」
 フレッドの目の先には暖かい光。本来、人間が行かなくてはならない場所だ。
 「今度こそ、お別れだな、メリア…」
 「うふふ、あんたとのお別れは、1000年も昔に終わってるわよ。
  私達は、ただの残骸じゃない…」
 「ああ、そうだな」
 フレッドは頷く。
 「残骸が…いつまでもこんな所に残ってちゃ、いけないよな。
  こうして、ここに残り続けた事も…俺の罪だ」
 「もう、いいわよ。行きましょう…
  マリクが…やっと別の残骸と巡りあえたんだし、もう、私達が心配する事は無いわ」
 メリアの問いに、フレッドは静かに頷いた。
 「ねえ…、ラウミィに優しくしてやりなさいよ?
  …今度は、もう、あたしの事なんて気にしなくていいんだからね…」
 「すまない…メリア」
 長年付き添った相方を、フレッドはもう一度だけ抱きしめた。
 やがて、二人は光を目指して漂い始めた…


 17.ラウミィとフレッド

 巨大な黒い大地の上。
 1人で取り残された赤いローブの男は、自嘲気味に言った。
 「少しは…俺にも説明して欲しいものだな」
 それが嬉しい出来事なのは確かだが、何が起きたのか全くわからない。
 彼の目の前に、黒ローブの少年が居た。
 「そうですね…後で説明しますよ。どんな結果になるにしろ」
 黒ローブの少年は、フレッドに微笑んだ。
 つい先程まで、そこには少年の残骸…着ていた黒ローブの切れ端と彼の血の跡が残っているだけだった。
 それは、ただの布の切れ端と血の塊であり、もう、少年はどこにも居ないはずだった。
 だが、薄い光が辺りを包むと同時に、そこに黒ローブを纏った彼の姿が浮かび上がったのだ。
 フレッドには全く理解できなかった。
 「そうだな、時間が無い。
  リーズを頼む」
 理解は出来ないが、理解の為に費やす時間すら惜しい。
 今、彼らの足元には、黒い大地がどこまでも広がっていた。
 少し弾力のある真っ黒の地面は、自然の地面では無いのだ。
 靴屋の職人なら、それが女の子が履く革靴の表面である事にすぐに気づくだろう。
 二人が居る、どこまでも続く黒い大地は、足のサイズが1000メートルを越える女の子の革靴だった。
 誰よりも大きくなった彼女だが、今、この世界から居なくなろうとしている…
 「リーズの事は、何とかしてみます」
 静かだが力の篭ったファフニーの声に、フレッドは頷いた。
 事情は、さっぱりわからない。
 だが、考えるのは後だ。
 フレッドの前で、ファフニーの姿がかき消すように見えなくなった。
 彼は、彼の一番大事な相手の所に向かったのだ。
 フレッドは、リーズの巨大な革靴の上で、また1人になった。
 相変わらず無力な自分を感じる。
 自分は、何にも出来ない。
 …なのに、何なんだ?この力は
 フレッドは何が起きているのか全く理解できない。
 急に自分の中に沸いてきた力について考えてしまう。
 ファフニーがこの世に帰ってきたのと前後して、自分の中に、何かが入ってきたのを感じた。
 今までとは大きさの違う魔力が、急に自分の中に存在し始めた。
 随分と大きな魔力だ。
 妖精にも負けない程の魔法の力である。
 急に大きな力を得たが、嬉しくも何とも無い。彼の心は沈んでいる。
 「何で、いつも少しだけ遅いんだ…」
 今更、こんな力をどうしろというのだ?
 妖精を傷つける事が出来る力など、もはや何の意味も無い。
 確かに、もう少し早ければ、自分がラウミィをおとなしくさせて、リーズがあんな事にならずに済んだかも知れないが…
 今の状況では何の意味も無い力を、フレッドは持て余した。
 そうして、下を向いて落ち込んでいたフレッドだったが、空気と地面が大きく震えるのを感じた。
 リーズが動いたのだ。
 彼女の左足が地面を離れる。革靴を履いた彼女の足…黒い大地が空へと上がっていった。
 それから、少し離れた所に、彼女は足を下ろす。
 彼女が動くと起こる地震と風に翻弄されながら、フレッドは彼女の行動の意味を考えた。
 「…そうか、俺にも働けという事か」
 これは、 多分、ファフニーの入れ知恵だろう。それをリーズが受け入れたのだ。
 二人の気持ちを理解したフレッドは、自分に出来る事があるのに気がついた。
 妖精を傷つける事が出来る力。
 それは、向きを変えてやれば、妖精を助ける力にする事だって可能なはずだ。
 …全く、嫌な仕事を押し付けやがって。
 フレッドは立ち上がり、先程までリーズの左足が踏みしめていた地面を目指した。
 そこは、リーズの足の形で谷が出来ていた。飛び降りる気にはなれない高さの、リーズの足型である。
 谷底を見ると、彼女の足と体重で、その場所にあった全ての物が踏み潰されているのが見える。
 「何だろうな、これは。
  俺は…ファフニーの事は、見つけてやれなかったのに…な」
 リーズの足あとの中で、フレッドは、無残に踏み潰された妖精を見つけた。
 妖精らしい無邪気さや可愛さの面影もなく、圧倒的な力によって虫けらのように踏み潰された無残な姿。
 生きているはずは無いが、フレッドは、そこに彼女の気配を感じた。
 先程、ファフニーを生き返らせようとした時には、彼を感じる事が出来ず、彼に回復魔法を使う事が出来なかった。
 でも、今は、はっきりと回復魔法を使う対象を感じる事が出来る。
 フレッドは、ラウミィを感じている。
 彼女を助けたいと思う自分を…自分の中に入ってきた力を感じている。
 「何をやってるんだろうな、俺は…」
 自嘲気味に微笑みながら、彼は得たばかりの力をラウミィに注いだ。
 惜しげもなく、全ての力を彼女の為に注いだ。
 可哀想なラウミィの体が、光に包まれた。
 それは、やがて妖精の姿を取り戻した。
 「お前…何を考えてるの?」
 地面に寝たまま、弱々しく、ラウミィは言った。
 憎しみと恥ずかしさが篭った目で、フレッドを見る。
 輝きがまだ戻らない死人のように真っ青な手を、ゆっくりと伸ばして、彼を握ろうとした。フレッドには逃げる気力も力も残っていない。
 たかが、虫けら一匹。
 今の瀕死の身体でも、ラウミィにとっては人間を一匹握り潰す事位なら造作も無い事だ。
 「この、ずるい虫けら…
  恩を押し売りにすれば、私に許してもらえるとでも思ったの?」
 ラウミィは怒鳴りつけたかったが、あんまり声が出なかった。
 寝そべったまま、フレッドを鷲掴みにして、弱々しく罵った。
 「いや…俺じゃない。
  よくわからんが…ご先祖様がお前を助けたがってる…」
 …全く、死にかけてるっていうのに、物凄い力だな。
 自分を鷲掴みにする女の子の力に逆らう事は、やはり無理なようだ。
 ふふ、とうとうラウミィの手に囚われてしまったな。
 フレッドは自嘲気味に微笑む。
 ラウミィは、手に捕らえた虫けらを少しの間見つめる。
 彼女にも、もちろん何が起きたのか、さっぱりわからない。
 だが、踏み潰されたはずの自分が生きている事だけは確かだ。
 …もう、いいわよ。馬鹿馬鹿しい。
 「あの人が助けてくれたんじゃ…仕方ないわね」
 疲れたように言うと、ラウミィはフレッドから手を離した。
 それから身体を起こして、フレッドの事を見下ろしてやろうとしたが、手をついても上半身を起こす事が出来なかった。
 仕方ないので、寝そべったまま、フレッドの事をすねた子供のような目で見る。
 何かを言いたいが、言いにくそうな顔をしている。
 それが子供の顔に、フレッドには見えた。
 その顔を見ていると、フレッドは自分の間違いを認めざるを得ない。
 「1つだけ、お前に謝りたい…」
 フレッドは言いながら、ラウミィの顔の前まで歩く。
 「俺は、人間を虫けらのように殺して回ったお前が嫌いだ。
  許す気になれない…
  …だが、それでも謝っておきたい」
 ラウミィの顔の前まで歩いていって、フレッドは言った。
 自分を見つめる、彼女の大きな瞳を見つめ返す。
 「…何よ?」
 ラウミィのすねたような声。
 「俺は、人を虫けらのように踏み潰すお前の行動だけを見ていた。
  心の中は…何も見ていなかった。
  お前が暴れる理由なんて…考えもしなかった」
 「それで?」
 「すまなかったな…
  お前の事を、ただの化け物としか考えていなかった」
 フレッドは、初めてラウミィに優しく語りかけた。
 「賢明な判断よ。
  私が、何匹お前の仲間を踏み潰したと思ってるの?」
 ラウミィの冷たい声は揺るがない。
 「…全く、本当に嫌な奴だ、お前は。
  でも、俺は…お前の大事な思い出を汚してしまったんだよな。
  それだけは、謝りたい」
 フレッドは、ため息をつきながらラウミィに謝る。
 「お前は化け物なんかなじゃくて、少し身体が大きいだけの妖精なんだよな。
  少し価値観が人間と合わないだけで、リーズと同じで、無邪気で、可愛くて…」
 改めて見ると、細いラウミィの顔立ちも身体も、とても愛おしく見えてしまう。
 人間にとっては恐ろしい女の子だが、決して心が存在しない化け物ではないのだ。
 「この…馬鹿にして!
  やっぱり…握り潰してやるわ…」
 顔を赤らめながら、ラウミィはフレッドに再び弱々しく手を伸ばした。
 フレッドは、また、ラウミィの手に握られる。
 「すまないな…お前が殺して回った人間達の半分は、俺が殺したようなものだ…」
 「それは、もう、いいわよ…
  いっぱい踏み潰して、気分も晴れたから。
  お前の事を握り潰してやりたいけど、今の私には、そんな力も無いし…」
 ラウミィは嘘をつきながら、フレッドから顔を逸らして力を緩める。
 握り締めるのはやめたが、まだ、彼を手からは開放しない。そのまま、胸元に抱き寄せるようにして、彼に語り続ける。
 「人間が妖精を殺そうとするなんて…
  本当だったら、妖精の仲間をみんな連れてきて、こんな世界、全部踏み潰してやってもいいのよ?
  でも…あの人…お前のご先祖様に免じて、今回だけは許してあげるわ。
  だから、感謝しなさいよ?」
 フレッドを優しく握りながら、ラウミィは言う。
 「私は…謝らないからね。
  妖精が人間に謝るなんて、おかしいわ。
  玩具に謝るなんて、おかしいもの…」
 弱々しく頬を脹らませるラウミィ。
 そうやって謝る事しか出来ない彼女の事を、フレッドは彼女の手に包まれながら理解した。
 「リーズに免じて、許してやる。
  …と言いたいが、俺は別に人間の代表でも何でも無いからな」
 人間が抵抗出来ない力で、自分を優しく握るラウミィ。
 この子は、この妖精の力を、人間を握り潰す事にしか使えないんだろうか?
 だとすれば少し悲しい。
 ラウミィが手の中の男に問いかけた。
 「ねえ、リーズは助かるの?」
 「それは、俺が聞きたい位だ…」
 二人は、すぐ近くに広がる黒い大地と、そこから伸びる雲を突き抜ける白い柱を見つめている。
 「全く、不愉快ね…」
 「何がだ?」
 ラウミィの言葉に、フレッドが首を傾げた。
 幼くて気まぐれな妖精が不愉快になる理由など、人間には理解できない。
 「私、今、お前と同じ事を考えてるわ、多分。
  嫌よ…虫けらなんかと同じ事を考えるなんて…」
 「そうか、そうだな…」
 更に少し、ラウミィの手が緩んだ。
 その隙に、フレッドは自由になった手で、彼女の大きな手のひらをなぞった。
 先程まで、何度も自分を叩き潰そうとしたラウミィの手のひらは、撫でてみると、柔らかくて気持ち良かった。
 「やめなさい…くすぐったい」
 ラウミィは、そう言ったものの、フレッドの成すがままに任せた。
 二人の目線は、共通の友達を見ている。
 それは、もう、古代妖精の力も人間の力も及ばなくなってしまった女の子の足。
 フレッドとラウミィは、まだ、友達ではない。
 だけど、リーズは、フレッドにとってもラウミィにとっても友達だ。
 お互いに不本意だが、二人が考える事は同じだった。
 リーズのもう1人の友達が、彼女の事を助ける事を2人は期待していた。
 不安そうにラウミィの手のひらをなぞる、フレッド。
 ラウミィも不安だったから、彼の身体を撫でてごまかそうとした。
 納得しきれないが、こうして自分が再び動けるようになったのは、この赤いローブを着た男のおかげなのだ…
 それが、リーズの足あとでの出来事である。
 その2人の遥か上空、少し時間をさかのぼった場所には、もう一組の人間と妖精が居た。
 1人で泣きながら青い空を眺めていたリーズは、声を聞いた。
 『あはは、リーズ、随分大きくなっちゃいましたね?』
 それは、いつもと変わらない、優しい声。
 「ファフニー…?」
 泣きながら、リーズは返事をした。
 『う、うわ、飛ばされちゃいます。
  出来ればテレパシーでしゃべってくれますか?』
 リーズの声が空気を震わせる。
 彼女の顔の前を漂っていたファフニーは、飛ばされてしまった。
 「ファ、ファフニー、そこに居るの?
  ごめんね…小さくて見えないよ…」
 思わず口に出してしまうリーズ。
 ファフニーは、もう一度飛ばされた。
 『…わざとやってませんか?』
 『ご、ごめん…』
 今度は、リーズもテレパシーで答えた。
 『ね、ねえ、本当にファフニーなの??』
 小さすぎて見えない彼に、問いかける。
 『ええ、僕です。
  …だけど、落ち着いて下さいね。
  いっぱい話したいのは僕も同じですけど、今は時間がありません。わかりますよね?』
 『うん…』
 大きく頷くリーズ。巻き起こる風。同時に、人間の身体ほども太い彼女の髪の毛がなびいた。
 『だ、だから、わざとやってますよね!?』
 リーズの髪が無数の鞭となって、彼女の目の前に居るファフニーを襲った。
 「う、うわ、ごめん!」
 あわてて叫ぶリーズ。
 『…いい加減にして下さい』
 飛ばされるファフニー。
 …あーあ、大きすぎると、動いちゃいけなくてつまんないな。
 自分の大きさを、リーズ疎ましく思った。
 いつもとあまり変わらない、ファフニーとリーズの姿。
 でも、そうしていつものように遊んでいる余裕が無い事は、ファフニーもリーズも、よくわかっていた…