妖精の指先17

 WEST(MTS)

 ※この文章は巨人が小人を様々な手段で弄ぶ表現が含まれています。
  残酷な表現等が含まれますので、18歳未満の方は読まないで下さい。

 17.リーズの約束

 裸の女の子が1人、たたずんでいた。
 黒い革靴だけを履いて、何も着ていない彼女の姿は、外を歩く女の子の格好ではない。
 ラウミィにローブを剥ぎ取られたリーズの姿だった。
 彼女は手のひらの中にある、血の塊が張り付いた黒い布をぼーっと見つめていた。
 さっきまで、友達がこれを着ていた。
 大事な大事な、友達だ。
 彼は、今は、血の塊とローブの切れ端を残して、どこかに行ってしまった。
 自分が殺してしまった。
 彼の体の何十倍も大きな、自分の胸で押し潰して、すり潰したら、彼の姿は見えなくなってしまったのだ。
 まだ、少しの心地良さを伴った感触が胸に残っている。
 「こら、聞いてるの?
  何とか言いなさいよ」
 上の方から、ラウミィの不機嫌そうな声が聞こえる。 
 でも、リーズは聞いていなかった。
 ぼーっと見つめている。
 一番大事な友達の残骸を。
 何も耳に入らない。
 「ほら、さっさと返事しないと、リーズも潰しちゃうわよ?」
 地面に座り込んだままのラウミィは、足元で落ち込んでいる妖精の友達に手を伸ばす。
 リーズにとっては、空が暗くなる出来事である。無気力に見上げてみた。
 そうすると、空を覆うようなラウミィの巨大な手が見えた。
 リーズは、今の自分の状況を嫌でも思い出してしまう。
 本来の大きさ、30メートル程の大きさに戻った自分は、この世界の小さな人間達にとっては巨人だ。
 でも、自分よりもさらに大きな女の子の巨人が、自分を見下ろしているのだ。
 ラウミィは、無防備に足を開いて膝を立てた姿勢で地面に座り込んでいても、リーズを見下ろすのに十分大きかった。
 彼女が広げた足の間に、自分は人形のように座り込んでいる。
 リーズの30倍の大きさ、900メートルの大きさというのは、そういう大きさだった。
 ラウミィにとっては、リーズすらも人形同然の大きさだった。
 にやにやと笑いながら、人形サイズの友達に手を伸ばすラウミィ。
 …どういう風に遊んでやろうかしら?
 友達で人形遊びをするのは、ラウミィは初めてだ。とりあえず、摘み上げてみる。リーズは泣くだけで、抵抗をしない。
 人間なら数十人まとめて握り潰せる力で、ラウミィはリーズを締め上げてみた。
 「痛い…」
 数百メートルの高さまで持ち上げられ、握り締められたリーズが小さく悲鳴を上げた。
 それから、ラウミィは手を広げて、中に居るリーズの体を観察する。
 「ほら、ちゃんとご飯食べないと、胸が大きくならないわよ?」
 小ぶりな彼女の胸に指を這わせた。
 「やめて…よぉ」
 体への刺激に、リーズが微かに嫌がるように身をよじった。
 まさに、程よく抵抗する玩具である。
 弱い者を弄ぶ快楽に、ラウミィは身を任せる。
 他にもリーズの友達の虫けらが2匹居たが、そいつらは潰した。後はリーズを玩具にして遊んでから、妖精の世界に連れ帰れば良い。
 そう、彼女は思っていた。
 だから、一条の魔法の光が横から走ってくるのに気づかなかった。
 勝ち誇った横顔に、魔力の塊を無防備に受けてしまった。
 「…っ!」
 ラウミィは声にならない、小さな悲鳴を上げた。
 小さな痛みを感じた。
 「お前、何で生きてるの?」
 針で刺されたような小さな痛みだが、確かに傷をつけられた。
 しかも、顔に。
 ラウミィは、魔力の主の方を見る。
 よく見ないと見えない、小さな生き物が居る。
 彼女にとっては埃か何かのようだが、その赤い小さな生き物は、確かに生きていた。
 「何でだろうな?」
 フレッドは微笑む。
 彼の目の前には、黒いローブを纏ったラウミィが山のように座り込んでいる。
 雲まで届きそうな黒い布が、それを着ている巨人の動きに合わせて動いていた。
 大きさが違い過ぎる。
 文字通り、山でも見上げるような気分で、フレッドはラウミィを見上げる。
 彼女に息を吹きかけられるだけでも、吹き飛ばされて致命傷になりかねない。
 いくら、妖精を傷つける力を持った魔法使いの名前を受け継ぐフレッドでも、所詮は人間だ。
 こんな巨人に勝つ事は不可能である…
 だが、フレッドは、動じた様子も無く彼女を見上げている。
 ラウミィは首を傾げながら、もう一度フレッドにゆっくり手を伸ばす。
 何故、フレッドが生きているのかよくわからないが、もう一度、潰せば済む話だ。
 ラウミィは手のひらを開いて、地面に叩きつける。
 何十メートルかの範囲が、ラウミィの手の下に収まった。
 地面に生えていた植物や岩、存在した全ての物が分け隔てなく、ラウミィの手の下で仲良く平らになった。
 色々な物が手に触れすぎて、どれがフレッドを潰した手触りなのか、ラウミィにはよくわからない。
 リーズは、ラウミィとフレッドのやり取りを、呆然と眺めている。
 フレッド…生きてたの?
 わけがわからない。
 彼も、先ほどラウミィの指の下に消えたと思ったのだが…
 生きていたのかと思ったら、また、すぐにラウミィの手のひらの下敷きになった?
 何が何だか、わからない。
 夢でも見たような気分だ。
 そんなリーズの心に、声が響いた。
 『リーズ、気持ちはわかるが、もう少しだけ力を貸してくれないか?
  ファフニーは…彼の事は、まだ終わったわけじゃない』
 心に直接入ってくるフレッドの声。
 テレパシーという、魔法の一種である。最近、フレッドに教えてもらった魔法だ。
 『フレッド?』
 リーズはテレパシーを返しながら首を傾げた。
 ひとまず、フレッドが生きている事だけは理解した。
 リーズよりは冷静なラウミィは、何が起きたのかを大体理解していた。
 彼女に動じた様子は無い。
 「ふーん…マリクの技ね?」
 ラウミィは、100メートル程離れた地面を見ている。彼女の手の下に消えたはずの赤ローブの男が、今は、そっちに居た。
 「人間も1000年間、進歩していないわけじゃない。
  どこにでも現れる力が、マリクだけの技だったのは大昔の話だ」
 フレッドはラウミィの動きから目を離さずに言った。
 もっとも、現代でも空間を越える技を使える魔法使いは、一部の高レベルの魔法使いだけだったが…
 「ラウミィ、お前は俺と戦いたかったんだろ?
  …来いよ」
 フレッドは挑発した。
 ラウミィは、それに乗る。
 「まあ…別にいいけどね。
  でも、その空間移動って、何回使えるの?
  お前、無駄に魔法を使ってから、大して力は残ってないんでしょ?」
 ラウミィは、全く動じない。
 タネがわかってみれば、大したことは無い。
 大きな魔力を使って、ちょっとだけ空間を越えて逃げ回ってるだけの事だ。
 しかも、すでに大きな魔法を連続して使ったフレッドは、それも後何回使えるわけじゃないだろう。
 見透かされたフレッドも、特に動じた様子は無い。
 「お前だって、何を焦ってる?
  ファフニーを潰す時も『時間が無い』って言ってたよな」
 フレッドはラウミィの失言を聞き逃さなかった。それが、彼が感じた違和感の理由だった。
 「お前…その大きさで、いつまで居られるんだ?」
 確かに、今のラウミィの大きさと強さには成すすべが無い。
 でも、これが彼女の本当の姿、力というわけではない事にフレッドは気づいた。
 あくまでも、今の巨人の姿は、魔力を使って肉体を強化しているに過ぎないのだ。
 「やっぱり…お前は二流ね。
  今更気づいても、遅いんじゃないの?」
 ラウミィはフレッドの居る辺りに、再び巨大な手のひらを叩きつける。
 嬉しそうに言いながら、彼を叩き潰そうとする。
 人形遊びの時間は、終わってしまった。
 その代わりに、戦いの時間が始った事をラウミィは理解した。
 嬉しい。
 でも、時間をかけて長く楽しむ気も無かった。
 殺してやる…虫けらみたいに。ラウミィの細い目が、嬉しくて釣り上がった。
 フレッドは、空から降ってくる巨人の手を空間移動の魔法で避けながら、リーズにテレパシーを送る。
 『リーズ、回復魔法は、元々は人間が妖精に伝えた技だ…』
 リーズに優しく語り掛ける。
 彼が、準備も無く空間を越えられるのは、100メートル程だ。ラウミィから逃れるには微妙な距離だ。
 逃げた後も、すぐに次の空間移動の魔法で、再び逃れるしかない。
 その合間に、テレパシーを送った。
 『うん…
  君のご先祖様が、私に教えてくれたんだよ…』
 リーズはフレッドにテレパシーを返す。
 ずしん。
 再び落ちてきたラウミィの手を、フレッドが避ける。
 ラウミィの手形は地面を何十メートルかえぐる。何年かしたら、そこは雨が溜まる小さな池になってしまうかもしれない。
 『ああ…そうだ。
  回復魔法なら、人間に…俺に任せろ。
  今から、死人を生き返らせる魔法を組み立ててみる。
  試した事は無いが…考えた事はある。
  だから、ファフニーの欠片は大事にしててくれないか?』
 フレッドは空間を渡る度に、頭がくらくらする。
 魔力も使うが、空間を渡るという行為自体が体にも負担をかけてしまう。本来、連続して使うような魔法では無い。
 『ファフニー…助かるの?』
 『努力は…してみる』
 今から組み立てる魔法である。フレッドも約束は出来なかった。可能性がどれ程あるのか、彼にもよくわからない。
 空を見上げれば、ラウミィの笑顔と曇り空。
 フレッドに巨大な手を伸ばすラウミィには、まだ、余裕があった。
 巨大化を続けられる魔力…時間も、まだ残っている。
 フレッドは、かろうじて自分から逃れる事しか出来ないのだ。
 彼が一度でも逃げ遅れれば、虫けら…フレッドの体など、触れた事すらわからずに潰す事が出来る。
 ようやく戦いになったとはいえ、圧倒的に有利なのは自分だ。
 …うふふ、いつまで頑張れるかしらね?
 まだ、笑う余裕がラウミィにはあった。
 逃げ回る人間の魔法使いに向かって、彼女は巨大な手のひらを下ろし続けた。
 フレッドは、とにかく逃げ回る。隙を突いて、リーズにテレパシーを送る。
 『ファフニーの事は俺に任せて欲しいが、ラウミィの事はリーズに頼みたい。
  多分、あいつが今の大きさで居られる時間は、もう、そんなに長くない。
  巨大化するのは、そんなに簡単な事じゃないのは、リーズも知っているだろう?』
 『…うん』
 『あいつの力が切れるまでは、何とか俺が引きつけておいてやる。
  その後…魔力を使い果たしたラウミィの事、リーズに頼んで良いか?』
 彼の言葉は、リーズの胸に届いた。
 『うん…やってみるよ』
 ファフニーが生き返る可能性がある。
 それなら、リーズは頷くしかなかった。
 彼女は虚ろな目を上げた。
 それに…
 ラウミィの姿を見ていて、彼女なりに考えた事もあった。
 …魔法だったら、ラウミィちゃんよりあたしの方が上手なはずだもん。
 立ち上がったリーズは、ファフニーの欠片、彼の残骸が染み付いたローブを靴の上に載せて、ラウミィとフレッドから距離を取った。
 「あたしにも…出来るはずだよね?」
 魔力は、まだ残っている。
 リーズは胸に手を当てて、体の中の魔力を集め始めた。
 …ふーん、結構がんばるわね。
 しぶとく逃げ回る虫けらを、ラウミィは見下ろしている。
 少し、やり方を変えてみることにした。
 フレッドの上空で手を止め、地面に降ろす素振りのフェイントをかけたりしてみる。
 早まってフレッドが空間を渡ってしまえば、それは大きな隙になる。
 そうやって揺さぶりをかけられる事が、フレッドには辛かった。
 苦し紛れに、ラウミィに言葉をかける。
 「お前も…よく考えると可愛い奴だな」
 「何が?」
 言いたい事だけは言っておかないと、いつ潰されてもおかしくない状況だ。
 「お前の魔法の使い方は、うちのご先祖様に習ったものだし、そのローブはマリクの物だろう?
  両方とも、人間の力じゃないか。
  お前は、お前が大嫌いな虫けら…人間の力を借りて、戦ってる事をわかっているのか?」
 「…うるさい!」
 「ご先祖様との思い出だけを頼りに、1000年もかけて、そうやって巨大化する魔法を覚えたんだろう?
  ふふ、可愛い奴だ、お前は」
 「黙れ!
  お前がフレッドの事を語るな!」
 ラウミィの手に力が篭った。
 顔を真っ赤に染めて、虫けらを叩きつぶそうとした。
 何度も、平手を地面に叩きつける。
 フレッドの限界は、すぐにやってきた。
 何度目かの移動の後、彼は地面に膝をついたまま立てなくなる。
 魔力よりも、体の方が耐えられなくなってしまった。
 「もう、おしまいかしら?
  それなら、遠慮なく潰すわよ」
 ラウミィは冷たく言った。
 フレッドは下を向いたまま、答える事が出来ない。
 ラウミィは人差し指を立てる。
 指先で、しっかりと彼を潰してしまおうと思った。
 フレッドは、一瞬で良かった。
 あと一瞬の時間さえあれば、もう一度空間を渡る事が出来た。
 でも、それを与えてくれるほど、ラウミィは優しくなかった。
 頭上に迫る、細くて優雅な彼女の指先を、フレッドは悔しそうに見ていた。
 『フレッド、遠くに逃げて!』
 リーズのテレパシーを、フレッドは聞いた。
 同時に、辺りが光に包まれた。
 薄い光では無い。
 目を開けている事も困難な、強い光が辺りを包む。
 これには、ラウミィでも目を開ける事が出来ず、動きが止まった。
 フレッドが欲しかった、一瞬の隙が出来た。
 彼は、もう一度だけ空間移動を行った。
 ラウミィの指の下から、彼の姿が消える。
 強い光は、なかなか収まらない。
 ラウミィにも経験が無い強さの光だ。思わず立ち上がってしまう。
 彼女が体重のかけ方を変えたから、地面が揺れた。
 立ち上がると900メートル程になる彼女が動くと、一つ一つの動作で空気と地面が揺れてしまうのだ。
 だが、次には、その彼女の体が空を舞った。
 自分で飛んだのでは無い。
 彼女の体が、彼女よりも圧倒的な大きさの何かに跳ね飛ばされたのだ。
 ラウミィが地面に尻餅をつきながら落ちると、もう一度、大きく地面が揺れた。
 「…っ!?」
 光に包まれた黒い塊が目の前に広がっているのが、一瞬だけ見えた。
 丸みを帯びたラインが、盛り上がって高くなっている。
 見覚えがある。リーズの革靴だ。
 先ほどまで、自分の足元を這虫けらのように這いずり回っていた、惨めな妖精の友達の革靴だ。
 それが、何故、自分の目の前に広がっている?
 これでは、まるで…
 ラウミィは、尻餅をついて座っている自分の目の高さに、リーズの革靴がある事に気づいた。
 彼女の革靴が、自分の身長の半分と同じ位。じゃあ、これを履いているリーズの大きさは…
 呆然とするラウミィは、フレッドの事など忘れてしまった。
 それから、少し経つと、辺りを包んだ光は薄くなってきた。
 ラウミィの目の前には、想像通りの光景が広がっていた。想像通りだが、有り得ない光景だ。戸惑いを隠しきれない。
 それは、当のリーズの方も同じだった。状況が、よくわからない。
 景色が先程までと違う事は、リーズもすぐに気づいた。
 まず、膝の下辺りに白いもやのようなもの溜まっていて、足元が見えないのだ。
 どこまでも広がる、白いもや。
 これは、何だろう?
 他にも、周囲の様子が何か違う。
 何が違うんだろう?
 リーズは考える。
 そうだ…明るいんだ。
 さっきまで、空は曇っていた。見上げれば白い雲が、どんよりと広がっていた。
 でも、今は空は真っ青で雲ひとつ無い。
 そこまで考えて、リーズは気づいた。
 自分の膝の下に溜まっている白いもやが、まるで雲のようだという事に。
 いや…間違いない。これは雲なのだ。
 空に広がっていた雲が、自分の膝下にまとわりついているのだ。
 リーズは、自分の大きさに気づいて驚いた。
 ラウミィに巨大化が出来たのだから、自分にも出来るはずでは?
 そういう風に考えた。
 魔力では人間を食べ続けているラウミィに敵わないけれど、魔法の使い方は自分の方が上手い。
 だから、巨大化のやり方さえ判れば、何とかなるんじゃないだろうか?
 元々、体の大きさを変える事には慣れている。
 どういう風に魔力の向きを調節すれば、人のように小さくなれるのか、また、元の大きさに戻れるのかという事は知り尽くしているつもりだ。
 さらには、体の大きさだけでなく、姿や能力までも人間化する方法まで、自分は知っているではないか。
 神話の時代に、マリクやフレッド達に魔法を教えてもらった日々を思い出した。
 …あたしだって、もっと大きくなれるもん。
 自分の中の全ての力を、巨大化の為に使おうとした。
 そして、自分なりの巨大化の魔法を発動させた結果がこれだった。
 魔力が力に変換されて、巨大化した体に力が溢れてくるのがわかる。
 …あはは、すごいや。これなら、絶対負けるわけないや。
 雲を見下ろす自分の大きさと、体中を流れる力をリーズは喜んだ。
 …て、ちょっと待ってよ!
 大事な事を思い出した。
 「フレッド!
  大丈夫!生きてる?」
 大きくなりすぎた自分の体は、友達をもう1人、潰してしまっていないだろうか?
 雲の下に向かってリーズは叫んだ。
 『あ、ああ、大丈夫だ…』
 すぐに返事はテレパシーで返ってきた。
 フレッドは生きてるらしい。
 「ど、どうしよう、足元が見えないよ。
  フレッド、どこに居るの?
  これじゃ踏み潰しちゃうよ…」
 下手に動いたら、フレッドを踏み潰してしまうと思った。雲を突き破る大きさの自分にとって、彼は塵のような大きさのはずだ。
 『あ、安心しろ。それは平気だ。
  多分、俺はリーズの靴の上に居る…と思う』
 テレパシーで帰ってくるフレッドの声は、自信が無い様子だった。
 彼は、自分が居る場所が靴の上だという事に自信が持てなかった。
 咄嗟に、リーズに踏み潰されない安全な場所として考えた、彼女の靴の上。
 そこに向かって空間移動で飛んだつもりだったのだが…
 『リーズの靴の上…だよな、ここ?』
 「あ、あたしに聞かれてもわかんないよ…」
 思わず、フレッドはリーズに聞いてしまう。
 彼が地面を見ると、黒くて弾力のある地面がどこまでも続いていた。
 この色具合と手触りはリーズの革靴に違いないとフレッドは感じた。
 だが、それが水平線の彼方まで続いているように見えた。
 街を作るのに十分な広さが、そこに広がっているのだ。
 この黒い大地を革靴と認識するには、いくらなんでも大き過ぎる。
 周りを見てみると、革靴らしき巨大な地面の一角、彼から数百メートル程の距離の所から、空に向けて白い柱が建っている。
 それは、雲を突き抜けてどこまでも伸びている。
 その上に何があるのか、それが何を支える柱なのか確認する事が出来ない。
 ただ、何百メートルか距離があるおかげで、かろうじて、その全容が見えた。
 直径数百メートルある、白い円状の柱。
 その形は、柔らかそうな女の子の足に見えた。
 雲に隠れて膝すら見えない、リーズの足。
 もし、これがラウミィだったらと思うと、フレッドは背筋が寒くなる。
 いや、これが仲間…リーズだという事がわかっていても、幾らかの恐怖を感じた。
 何をやっても敵わない圧倒的な力を前にした人間にとっては、仕方が無い事だった。
 『雲が…リーズの膝より下にあるのか?』
 『う、うん、そうみたい…』
 ともかく、フレッドもリーズも、お互いの場所を理解した。
 『そうだ、ファフニーは…彼の欠片はどこだ?』
 「あ、私の右足の靴の上に置いておいたよ!
  ラウミィちゃんは、あたしが踏み潰しとくから、ファフニーの事はお願いね?大丈夫だよね?」
 空から響くリーズの声。
 常識外の大きさになっても、いつもと変わらない無邪気な声のように、フレッドには聞こえた。
 『ファフニーの事は…ともかく、やってみる』
 フレッドはリーズに言った。まずは、ファフニーの着ていたローブを探さなくては…
 幸い、フレッドはリーズの右足の革靴の上に居る。少し離れた所に、彼女の靴に張り付いている、ファフニーの形見を見つけた。
 …何よ、これ、冗談じゃないわ。
 一方、ラウミィは恐怖で震えた。
 雲より背が高い巨人はフレッドにとっては味方だが、彼女にとっては敵だ。
 もう、魔力の限界も近い。
 今更、雲に隠れて膝から上が見えないような巨人と渡り合う事は無理だ。
 逃げるしかない。
 ラウミィは光で出来た羽根を広げ始める。
 リーズは、足元の雲が邪魔で、ラウミィの様子を見る事が出来なかった。
 …もう、邪魔だな!
 なので、足元の白いもや、雲に向かって手を伸ばして振り払おうとした。
 彼女の手が、膝の下辺りで乱暴に降られる。
 そうして起きた風は、彼女の足元の雲を周囲に散らしながら、暴風になって地上に吹き荒れた。
 フレッドはリーズが起こした暴風で、彼女の靴の上を転がされた。
 でも、どこまで転がされてもリーズの革靴が続いているから、落ちる心配は無かった。
 …馬鹿馬鹿しくなる大きさだな、全く。
 塵か何かのように吹き飛ばされながら、フレッドは笑うしかなかった。せめて、ファフニーの欠片を落とさないように、しっかりと抱きかかえた。
 風が収まった頃に、フレッドはファフニーの欠片のローブを見つめて彼を復活させようとする。
 消えてしまった命を回復させる事が、本当に出来るんだろうか?
 今まで、成功したという例は無い。
 しかし、ファフニーの存在さえ…彼の欠片さえ残っていれば、そこから彼を回復させる事は不可能では無いと、フレッドは考えている。
 フレッドは彼の存在を感じようと努力をする。
 頭上で繰り広げられる妖精同士の争いを気にしないようにと、努力した。
 リーズの手が雲を払いのけたから、フレッドの頭上では一時的に空が晴れている。
 「ねぇ、ラウミィちゃん?
  今更逃げるのは、ずるいんじゃない?」
 雲の切れ間から、リーズの顔が見下ろしていた。
 リーズからは、逃げ出そうとして羽根を広げたラウミィの事が、はっきりと見えた。
 あわてて飛び上がるラウミィ。
 「だーめ!逃がさないよ!」
 羽根を広げた小さな生き物に、リーズはしゃがみ込んで、手を伸ばした。
 何も着ていないリーズの腰から下が、雲の下に降りてきたのをフレッドは目の当たりにする。同時に、彼女の動きで風が起こった。
 雲を手で掻き分ける事さえ出来る彼女の大きさである。
 もはや、身長1000メートルにも満たない、雲の下でちょろちょろ飛び回っている妖精は手のひらサイズだった。
 中途半端に大きい分だけ、捕まえやすいくらいだ。
 羽根を広げて飛び上がった黒ローブの妖精は、リーズの手のひらに収まった。
 「もう…そのローブ、返してよね?
  裸で居るの、恥ずかしいんだから…」
 手のひらに掴んだ妖精を、リーズは力いっぱい握り締めた。
 「きゃあ!」
 たまらず、ラウミィが悲鳴を上げる。
 「あはは、ラウミィちゃんの言う通りだね。
  女の子の手触りって、男の子と違うね」
 容赦なく握り締める。
 ラウミィの体、女の子の柔らかい体を感じた。
 いつも握り締めて遊んでいた男の子の友達の感触とは、明らかに違う。
 雲の高さより少し低い位の空で、妖精は妖精を弄んでいる。
 山のように大きな妖精も、さらに大きな手の前では玩具同然だった。
 「や…やめ…」
 苦しくて、ラウミィは声が出ない。
 「何言ってるの?全然聞こえないよ?」
 リーズはラウミィを握る力を緩めない。
 にやにやと笑う。
 先程までとは、立場が逆になった。
 「あたし、弱いもの虐めって嫌いなんだけど、ラウミィちゃんは弱くないから、いいよね?」
 身長30メートル程度の妖精なら、何十人かまとめて握り潰せるだけの力を、リーズは手に込める。
 「とっても強いんだもんね、ラウミィちゃんは。
  あたしやフレッド、ファフニーの事、玩具にして…
  虫けらみたいに、ファフニーの事…あたしの体を使ってすり潰したり出来るんだもんね…?」
 少し、リーズの声が低くなる。
 …こんな奴、殺してやる。
 今のリーズに、妖精の友達を握り潰す事への、ためらいは無い。
 ファフニーを殺された恨みと、その恨みを晴らせる力を自分が手に入れた事をリーズは理解している。
 それから、ラウミィの体が薄い光を放った。
 彼女は限界だった。その体が元の大きさに戻っていく。
 身長30メートル程の大きさに戻るラウミィ。
 リーズには、それがハエのように見えた。
 「あれー、時間切れ?
  えへへ、ちょっと遊びすぎちゃったみたいだね、ラウミィちゃん」
 リーズは微笑んだ。
 手のひらの上に、羽根が生えた虫が一匹乗っている。それを指で転がして、指先の方まで運んでみた。
 「もう…わかったわよ!
  握りつぶすなら、さっさと握りつぶしなさいよ!」
 ラウミィは雲の間から覗く顔を見上げて、怒鳴った。
 これは、さすがに無理だ。
 ラウミィは、自分が負けた事を理解した。
 敗因は、多分、リーズや人間達を侮りすぎた事だろう。
 リーズにこんな事が出来るとは…自分より大きくなれるとは、全く考えていなかった…
 「えへへ、握りつぶしたりなんて、しないよ?」
 リーズは、ぐったりとしたラウミィのローブに手をかけて、優しく脱がした。
 「このローブ、今のあたしの大きさでも大丈夫かな?」
 少し不安だった。
 辺りを包む光。
 マリクが創ったローブは、それでもリーズの体を覆ってくれた。
 「あはは、マリクのローブはすごいね」
 こんなに大きくなった自分の体ですら覆ってくれるマリクのローブに、リーズは笑ってしまう。
 「じゃ…どうするの?
  一緒に…妖精の国に帰るの?」
 ラウミィはリーズに尋ねる。
 「んーん、それも嫌だな。
  ラウミィちゃんなんかと、一緒に帰りたくないよ」
 にっこり微笑んで、リーズは首を振った。
 「話、変わるけど…ラウミィちゃんの羽根、きれいだね!」
 リーズは、ラウミィが広げている光で出来た羽根を褒めた。
 光で象られた蝶の様な羽根は、妖精達が自慢する、体の一部である。
 他の体の部分と違い、心の一部、力の一部でもある大事な物でもある。
 彼女達が自分達の玩具として、自分達の姿に似せた、この世界の人間達を作った時も、羽根だけは与えなかった。
 それだけ、妖精にとって、光で出来た羽根は大事なものだった。
 リーズも1000年間食事が取れずに体が弱って、羽根を広げる事が出来ない自分に気づいた時はショックだった事を覚えてる。
 「ねぇ、ラウミィちゃん、妖精が羽根を取られたらどうなるか、見た事ってないよね?
  せっかくだから、やってみようよ!」
 陽気なリーズの声に、悪意が篭っている。
 リーズの知る限り、羽根をもぎ取られた妖精というのは記憶に無い。ラウミィも、それは同じだった。
 「は、羽根は…羽根は、やめなさいよ!」
 ラウミィが、あわてて言った。
 大事な羽根をむしり取られる事は、考えたことが無かった。
 先程、リーズを玩具にしようとした彼女でも、妖精の羽根をむしろうとは考えなかった。それは、妖精達の思考には存在しない行動である。
 でも、リーズは何の迷いも無く、手のひらに乗っているハエの背中で光っている羽根に手を伸ばした。
 妖精達の羽根…光で出来た羽根は、手で触れようとするとパチパチと痺れる感触だった。
 羽ばたいても風を起こさない羽根は、やはり普通の羽根ではない。エネルギーの塊のような物なのだろう。
 …まあ、何でもいいや。
 少しだけ、リーズは力を入れてみる。
 「いやぁ!」
 ラウミィの悲鳴と共に、彼女の羽は光を撒き散らしながら、砕け散った。
 それから、彼女自身もぐったりとリーズの指の上に寝そべって動かなくなる。
 「あれ、どうしたの?
  羽根をむしられるのって、そんなに痛いの?
  えへへ、あたし、むしられた事無いからわかんないや!」
 リーズは首を傾げて、手のひらの上で動かなくなったハエに目をやった。
 その声が、あまりにも恐ろしい。
 フレッドは空から見下ろす彼女の顔を見上げた。
 その笑顔が、悪魔に見えてしまう。
 リーズの正気を疑ってしまった。
 この巨大な妖精は、本当にリーズなのだろうか?
 言葉の通じない、女の姿をした化け物になってしまったのでは無いだろうか?
 心配になって、リーズにテレパシーを送る。
 『リーズ、俺の声は聞こえているか?大丈夫か?
  何も…そこまで、しなくても良いじゃないか』
 何故か、ラウミィの事を哀れに思ってしまう。
 『えへへ、フレッドは優しいね』
 リーズは、すぐにテレパシーで返事をする。
 『大丈夫。あたし、別に頭がおかしくなったわけじゃないよ。
  ちょっと…怒ってるだけだからね。だって、ラウミィちゃん、ファフニーに酷い事したんだもん。
  ねぇ、フレッドも、ファフニーの事をちゃんとお願いね。
  ファフニーの事、助けてくれなかったら…えへへ、君も踏み潰しちゃうよ?』
 妙に陽気なリーズの声。フレッドは悲しくなった。
 一応、彼女は正気を保ってはいるようだ。でも、いつ壊れてもおかしくない。
 もし、今のリーズが理性を失って暴れはじめたら、さすがに止めようが無い。
 世界の誰も、今のリーズには敵わないだろう。
 でも、フレッドは、それでも良いと思った。
 リーズが暴れたいと言うなら、好きなだけ暴れさせてやれば良い。
 フレッドは、リーズの事を哀れに思った。
 『ああ…俺の事なんて踏み潰しても構わない。
  だから、リーズは気をしっかりな…』
 好きなだけ暴れた後、彼女が自分を取り戻してくれれば、それで良い。
 彼女の靴の上で、フレッドは一瞬だけ目を閉じた。
 リーズは、何て不幸なんだろう?
 神話の時代も、今も、自分の体で、一番大事な友達を殺してしまったのだ…
 『じょ、冗談だよ!
  フレッドを踏み潰したりしないからね!
  あ、あたし、本当に大丈夫だからね!』
 少しあわてた、リーズの声。この声を聞く限り、まだ彼女は正気だと思える。
 『わかった。とにかく、ファフニーの事は任せておけ』
 『うん…』
 それから、フレッドは再びファフニーの事に気を集中させ始めた。
 神話の時代の事は、もうどうにもならないが、ファフニーの事は何とかなるかもしれない。
 …俺は、フレッドなんだろう?勇者の名前を受け継いでるんだろう?
 リーズの革靴の上で、フレッドの戦いは続いた。
 彼の上空では、リーズの人形遊びが続いている。
 「そういえばラウミィちゃん、ファフニーの手も小枝みたいに握り潰してたよね
  こんな感じだっけ?」
 リーズは髪の毛のように細い、ラウミィの腕を器用に摘んだ。
 羽根をむしり取られて、ぐったりしていたラウミィの体が、一瞬だけ、最後の力を振り絞るように動いた。
 リーズは構わず、彼女の手を握り潰した。
 再び、ラウミィの悲鳴。
 でも、彼女は転げ回る元気が無いから、うつ伏せになるようにリーズの指の上に寝転ぶ事しか出来ない。
 …うん、いい気味だ。
 「お願い…もう、握り潰して…」
 壊れそうなラウミィの声。
 指の上に乗っているハエが、哀れな小さな声で泣いている。
 その声に、リーズは満足した。
 「だから、ラウミィちゃんを握り潰したり、しないってば…」
 優しい、リーズの声。
 彼女の人形遊びは、まだ終わらない。
 一方、彼女の革靴の上、フレッドの戦いは終わろうとしていた。
 「だめだ…」
 フレッドは、がくりとうな垂れた。
 それは、蘇生以前の問題だった。
 ファフニーの存在を、どこにも感じる事が出来なかったのだ。
 回復魔法を使うにしても、対象となる相手が居なくてはどうしようもない。
 ファフニーの欠片…彼が着ていたローブと血の跡…から、フレッドは彼の存在を感じる事が出来ないのだ。
 フレッドは、自分の戦いに負けを認めた。
 「もう、リーズに踏み潰されてやるしかないな…」
 雲に隠れて全身を見る事が出来ない女の子の巨人を、フレッドは見上げた。見上げても遠すぎて、大きすぎて、見えない。それでも、見上げた。
 このリーズの足に踏み潰されるなら、諦めがつくというものだ…
 …いや、でも、何でこんなに大きくなれるんだ?
 少し、リーズの大きさに疑問に思った。
 いくら、魔法の技術でラウミィに勝っているからといっても、力自体はラウミィの方が上の筈だ。
 リーズが、ここまで巨大になるのは、少しおかしい。魔力が足りない。
 足りない魔力をリーズはどうしたのだろう?
 「…そうか」
 フレッドは、一言呟いて、リーズの革靴の上に膝をつき、うな垂れた。
 また、気づくのが遅い自分が嫌になった。
 「えへへ、あたし、ファフニーと約束したからね!」
 彼の頭上では、女の子の巨人の声が響き続ける。
 リーズは、ハエを乗せた人差し指を下に向けた。
 ラウミィは数千メートル下の地面へと、無抵抗に落下する。
 「踏み潰してあげるって、約束したからね、握り潰すんじゃなくて。
  ファフニーが敵わない相手ねは…あたしが踏み潰してあげるの。
  そういう約束だったもん…」
 寂しげなリーズの笑顔。
 ずしーん!
 揺れる地面。
 フレッドの目の前に、彼の20倍程大きな人影が落ちてきた。ラウミィは、ほとんど無抵抗に地面に叩きつけられた。
 彼女が地面に落ちたのを確認した後、リーズは、ゆっくりと立ち上がった。
 そうすると、再び空気と地面が揺れた。
 フレッドの体も、彼の20倍程に大きなラウミィも、同様に、それぞれの地面の上を転がってしまう。
 リーズの大きさから考えれば、二人とも塵みたいなものだ。
 「もう…あたしがファフニーにしてあげられるの、これ位だもんね。
  ほんと、ごめんね、ラウミィちゃん。
  ファフニーとの約束だから、踏み潰すね!」
 リーズの声に涙が混じってるように、フレッドには聞こえた。
 それから、フレッドが乗っていない方の足、リーズの左足が地面を離れ、空へと上がっていった。
 地面そのものが、空へ登っていくようにフレッドには見えてしまう。
 リーズの足の大きさは、人間や人間の建物という単体レベルの大きさではない。
 それらの物が集まった集合体…町や村を、丸ごと乗せられるような大きさだ。
 それが、ごく自然に空へと登っていく。やがて雲より高く上がり、見えなくなった。
 …神の裁きというのが存在するなら、こういう物なのかもしれないな。
 天から下される、裁き。
 地面を這いずる者達には、抗う事が出来ない力。
 リーズの革靴の上を転げながら、フレッドは彼女の力を感じた。
 多分、この世界の誰も、今のリーズが足を下ろそうとした時に、彼女の足から逃げる事は不可能だろう。
 すぐに、風を切る音と共に雲を切り裂いて、空へ登ったリーズの足が降りてきた。
 それは、速度を緩める事無く、ラウミィの上に落ちていく。
 ラウミィは地面に横たわったまま、頭上に迫る黒い塊…リーズの革靴を見上げた。
 …私、何がしたかったのかしら?
 確か、私は、リーズを迎えに来るのが目的だったはずだ。
 …何で、こんな事になったんだろう?
 そのリーズに、もうすぐ踏み潰される。
 今から謝っても、彼女は決して許してくれないだろう。
 リーズに光の羽根をもぎ取られた背中が、とても痛い。体にも力が入らない。
 無慈悲に降りてくる、リーズの足。
 「フレッド…私が悪かったの?」
 ラウミィが問いかけるのは、遠い昔に別れた人間の友達だ。
 そうだ、私は、フレッドに会いたかったんだ…
 彼の名前を呼んでから、その事に気づいた。
 遠い昔に居なくなったはずの友達に、会いたかったんだ。
 気づくのが、遅すぎた。
 『ラウミィ…お前、意地を張りすぎだよ』
 ラウミィは、声を聞いた気がした。
 懐かしくて、優しい声。
 多分、幻聴だろうと思った。
 「フレッド…私…」
 それでも、ラウミィは、それに答えて何か言おうとした。
 その視界が、リーズの革靴で覆われた。
 ずしーん!
 リーズの足が地面に落ちた。
 その風圧と揺れに耐えられず、再びフレッドはリーズの靴の上を転げ回った。
 人や妖精の及ばない力、この世界の誰も逆らう事が出来ない力の下に、ラウミィの姿が消えた。
 圧倒的な力だった。
 フレッドは、リーズの靴の上で体を起こす。
 目の前に現れた、どこまでも広がる黒い大地。ラウミィですら、その下に消え去ったのだ。
 それ自体は恐ろしい事とは、フレッドは思わない。
 逆に、リーズの事が心配だった。
 『リーズ!もう気は済んだろう!
  お前…死ぬぞ!』
 フレッドはリーズに呼びかける。
 リーズの異常な大きさと力。
 その為の魔力を、リーズはどうやって得たのだろうか?
 「もう、無理だよ…」
 寂しそうなリーズの声が聞こえた。
 「もう、あたしの中で、どの力がどうなってるのか、全然わかんないや…」
 命…生きる為の力。
 何千年も生きる事が出来る妖精の生命力を、リーズは魔法の力に変換していた。
 魔法とは、自分の中の魔力を違う力へ変換して開放する事である。
 リーズは逆に、自分の中の別の力を魔法の力へと変えているのだ。
 こういうやり方がある事は、フレッドも知っていた。
 『マリクに教えてもらった技なのか?』
 「うん。
  でも、難しいから、絶対やっちゃだめだって言われたの…」
 リーズは寂しそうに言った。
 普通の魔法の使い方とは全然違う。
 力の向きも流れも、何もかも良くわからない。
 前に、ファフニーがラウミィにさらわれそうになった時も、こうして生命を魔力に変換した事があった。
 あの時は、ほんのちょっとの生命力だったから、何とか制御できた。
 でも、今回は生命力の大きさが違う。
 食事を取って元気になった体の生命力は、自分でも扱えない程だった。
 『諦めるな!
  何とか…何とか、力の向きを変えるんだ。
  巨大化さえやめれば、助かるはずだ!』
 フレッドの声。
 「えへへ、無理だよ…」
 リーズは力なく笑った。
 自分の中の生命力が、刹那的な力、一瞬の巨大化の力に変わっていく事を感じていた。
 とても快感だった。
 どんな人間も妖精も、手に入れる事が出来なかった力が自分の中にある。
 妖精の魔力を人間の技術で取り扱った、この世界で最高の力だ。
 同時に、それが長く続かない事も感じていた。
 快感が終わる時が、自分が死ぬ時である事もよくわかっていた…
 「ねえ…ファフニーは…助かる?」
 リーズの質問に、フレッドは戸惑う。本当の事を言うべきだろうか?
 「そっか…やっぱり無理だったんだね。
  すぐ返事しないって事は、だめだったって事だよね…」
 フレッドの戸惑いを、リーズは返事として受け取った。
 「まあ、ラウミィちゃんを、一人ぼっちにするのも可哀想だしね…
  羽根をむしったり踏み潰したりしたから、ラウミィちゃん、怒ってるだろうな…」
 リーズは自分が踏み潰した友達の事を思う。
 …あたし、一番大事な友達を食べて、胸で押し潰して、それから、妖精の友達まで踏み潰したんだよね。
 自分は、これ以上、生きていてはいけないと思った。
 あと、どれ位の時間があるだろう?
 多分、何十秒か、長くても何分かしたら、自分の生命力は尽きるだろう。
 今のうちに、もうちょっとだけ、お散歩したいな?
 でも、間違えて人間の街を踏み潰しちゃうかもしれないよね…
 …あーあ、あたし、やっぱりだめだな。
 リーズは立ち尽くしたまま、遮るものが無い空を見上げた。
 こんなに大きくなっても、出来た事と言えば、妖精の友達を踏み潰す事位だった。
 ファフニーを守ることも助ける事も出来なかった。
 どんなに大きくなって、手を伸ばしても、もうファフニーに手が届かない。
 今、世界で一番大きくて強くなった妖精の女の子は、自分が何も出来ない事を感じた。
 『リーズ、諦めるな!
  頼む!行かないでくれ!
  俺はファフニーの代わりになどなれないが…それでも、あなたに死なれたくない!』
 優しいフレッドの声が聞こえる。
 彼には、本当に世話になった。
 「ごめんね、フレッド…
  君は…フレッドは、ちゃんと、おうちに帰ってね?
  あたしとファフニーの事、たまには思い出してくれると嬉しいな…」
 足元に居る、小さすぎて見えない彼に向かってリーズは言った。
 『嫌だ…俺は認めない。
  頼む。言う事を聞いてくれ、リーズ…』
 フレッドはリーズの顔の前まで飛んで行きたいと思った。
 だが、彼にそれだけの力は残っていなかった。
 上を見ても、再び集まってきた雲に隠れてリーズの膝も見えない。
 …俺は、何て無力なんだろう。
 ファフニーはラウミィに弄ばれて殺された。
 彼を弄んで殺したラウミィは、リーズの玩具にされて殺された。
 残ったリーズも、1人でこの世界から消え去ろうとしている。
 そうして、自分だけが残ろうとしている。
 俺は…何も出来ないのか?
 自分に問いかける。
 何も出来そうになかった。
 『わかった…じゃあ、せめて、最後まで一緒に居させてくれ…』
 フレッドはリーズの靴の上に跪いた。
 彼女の靴を優しく撫でる。
 どこまでも地面に広がる、彼女の靴。
 空を見上げれば、雲を越えてまだ伸びる、彼女の足。
 世界そのものがリーズになってしまったようにも思える。
 でも、それだけの力と大きさを手にした彼女も、もうすぐ死ぬ。
 自分が、ただ1人で取り残されようとしている事を、フレッドは理解した。
 『ああ…僕は、これが見たかったんだ。
  リーズ…誰よりも大きくて、誰よりも強くて…』
 その時、フレッドは声を聞いた。
 心に響いてくる笑い声。テレパシーのようだ。
 「だ、誰だ?」
 心当たりの無い声だった。
 『ありがとう、ファフニー。
  ありがとう、フレッド。
  君達のおかげで、リーズは…』
 歓喜の声は、一方的にフレッドの心に入ってきた。
 「誰だ?
  もしかして、あなたは、マリクなのか?」
 しかし、フレッドの声に返事は無かった。
 リーズも、もう何も言わない。
 「ちくしょう、何なんだよ、一体…」
 リーズの巨大な革靴の上に、フレッドは、1人で取り残されていた。
 今の彼には、もう、何も出来ない…