妖精の指先16

 WEST(MTS)

※この文章は巨人が小人を様々な手段で弄ぶ表現が含まれています。
 残酷な表現等が含まれますので、18歳未満の方は読まないで下さい。


 16.リーズとラウミィ

 神話の時代に妖精達が住んでいた場所。
 もう、そこが廃墟になってから1000年程の時間が流れていた。
 少なくとも、今更財宝目当てに冒険者が訪れる場所では無いが、そこに、3人ほどの人影があった。
 廃墟の中の、城のように大きな建物の前に、黒ローブを着た男の子と女の子、赤ローブを着た青年の3人が居る。
 まるで、魔法使いの学校の若い先生が、生徒を2人連れて遺跡探索でもしているような組み合わせであるが、そういうわけでもなかった。
 「そのローブを着てたら、ファフニーも魔法を使えるようにならないかな?」
 「そんな簡単に魔法が使えたら、魔法の意味がないですよ…」
 何だかコスプレみたいですね、とファフニーは苦笑いした。
 彼とリーズが同じローブを着ていると、兄妹に見えなくも無い。
 「まあ、それでも着ててよ?
  それ着てれば、踏み潰されたりしなければ平気だもんね」
 いつもと違う格好をしているファフニーを、リーズは可笑しそうに見ている。
 リーズのローブ…魔法を一切無効化してしまうマリクから貰ったローブ…の予備を、ファフニーは着せられていた。
 防御力が高いから、とりあえず着ておけというわけである。
 ファフニーに断る権利があるはずも無く、魔道士スタイルをさせられていた。コスプレにしか見えない。
 「君の事が気がかりでは、リーズも存分に力を振るえまい。
  結構、似合っているぞ、ファフニー」
 フレッドが淡々と言うが、
 「そんな、笑うのを我慢しながら言っても、説得力が無いですよ、フレッド…」
 ファフニーは彼の顔の微かな緩みを見逃さなかった。
 「ふ…気づかれては仕方無い。
  ははは、すまん、笑いが止まらん」
 見習い騎士の少年の似合わない黒魔道士スタイルに、フレッドは遠慮なく笑った。
 若くて元気な騎士見習いには、ふかふかで動きにくそうなローブはアンバランスだった。
 3人が近所の村を出てから数日経つが、未だにファフニーの黒ローブは、笑いの対象だった。
 神話の時代に妖精達が住んでいた場所で、3人はラウミィを待っていた。
 彼女はここに居なかった。
 1日経っても、2日経っても、彼女は帰って来ない。
 多分、ラウミィは、手当たり次第に人間の街に姿を現しているのだろう。
 彼女が、姿を現した街を離れる時には、そこは街では無くて廃墟になっているはずだ。 
 「さすがに、飽きたら帰ってくるよ。
  あの子、他に休む所なんて無い筈だもん…」
 この場所でラウミィの帰りを待とうと言ったのは、リーズだった。
 どこに現れるかわからないラウミィを追いかけるのは現実的では無いから、ファフニーとフレッドも同意した。
 この一瞬にも、人が虫けらのように弄ばれて、文字通り踏みにじられているのかも知れない。
 やりきれない気持ちはあったが、静かにラウミィを待った。
 待つ時間は、あまり気持ちが良いものではない。
 特に、力ではラウミィの方が上な事がわかっているリーズにとって、待つ時間は辛いものだった。
 「大丈夫。
  リーズの魔法技術は本物だ。
  おそらく、人間の高位の魔術師と比較しても、リーズより技術に長けた者は滅多に居ない」
 フレッドはリーズを励ましたりもした。
 彼は暇だったので、リーズの魔法の技術と知識を確認したり、彼女に魔法の手ほどきでもしようかと思ったのだが、予想以上のリーズの技術に驚いていた。
 少なくとも、他人に指導を受けるレベルではない。フレッドであっても、彼女に教えられる事を思いつかなかった。
 「魔法の真髄は、『力の向きを変える事』だ。それだけは、常に忘れなければ何とかなるだろう」
 「うん。それ、昔のフレッドにも、よく言われたな」
 今も昔も、フレッドが口癖に言っている言葉を、リーズはよく覚えている。
 それ自体は、純粋な力の塊である魔力。
 それを、破壊の方向に向けたり、回復の方向に向けたりする事で発動する現象が魔法。
 フレッドの教えだった。
 「自信を持っていい。
  あなたは、魔法使いのコスプレをした妖精ではなく、妖精の魔法使いだ」
 「う、うん」
 真面目な顔で言われると、照れてしまう。
 リーズの魔法の技術については、ファフニーは実際に目の当たりにした事もあった。
 「確かに、リーズは魔法が得意ですよね。
  お腹が空いて死にそうだった時でも、竜に化けてたラウミィを空から叩き落したりしてましたもんね。物凄い魔法で」
 自分の事のように、得意気にファフニーは言う。
 「うん!
  でも、ラウミィちゃんには全然、効いてなかったけどね…」
 「そうでしたね…」
 リーズに言われて、ファフニーは彼女と一緒にため息をついた。あの時、リーズの魔法は全く効かなかった。
 こうして、廃墟で3人で話をしていると、まるでピクニックのようだ。
 今日も、こうして廃墟で遊んでいるうちに終わってしまうのかと、3人は思い始めている。
 それはそれで、楽しいのだが…
 「あ…楽しいのも終わりみたいだよ?」
 それに、最初に気づいたのは、耳が良いリーズだった。
 下を向いて微笑んだ。
 「飛んでるのが聞こえたんですか?」
 「うん…ラウミィちゃん、帰ってきたよ」
 妖精の住処に、ついに主が帰ってくる事を3人は理解した。
 妖精が空を切り裂いて飛んでくる空気の音が、リーズには聞こえた。
 「行くか」
 短く言って、最初に外へと歩き始めたのはフレッドだった。他の2人もそれに習う。
 遺跡の外に出て、空を見上げてみた。
 見上げれば、曇り空。
 薄暗くて、遠くが見えない。
 「ほら、飛んできたよ!」
 リーズに言われても、ファフニーとフレッドには、見えなかった。
 優雅に光で出来た羽根を広げて、空を舞っている妖精の姿を2人が見つけたのは、しばらく後だった。
 空が暗くなる巨大な影。
 人間の20倍程のサイズの妖精、ラウミィが帰ってきたのだ。
 彼女も、自分の住処で待ち伏せしている者達に気づいた。
 空を飛ぶ速度を速めると、羽根を縦にして垂直に降りてきた。
 ずしん。
 風を震わせて、地面を揺らして、彼女は地面に降り立った。
 人間を数人まとめて握りつぶせる手のひらを腰に当てて、不機嫌そうに立つ。
 にこりともせず、足元に居る小さな生き物達を睨みつけた。
 「お前達…目障りよ?」
 リーズを見る目も、それ以外の2人を見る目線も同じだった。
 何の価値も無い虫けらを見る目。
 口を開くと、低い声で一言だけ言った。
 彼女の顔は、少し疲れているようにファフニーには見えた。
 嫌な事があって、忘れる為に一晩中友達と騒いだ後のような、そういう顔だとファフニーは思った。
 恐らく、この数日、ラウミィは気の向くままに暴れていたのだろう…
 ラウミィの言葉に何と答えようか一瞬戸惑う三人だが、別に、彼女は3人の答えを待っていなかった。
 無造作に右足を上げた。
 3人の頭上が、彼らを纏めて踏み潰せる足の裏に覆われた。
 ラウミィは顔色一つ、変える事は無かった。
 彼女は何も言わない。
 彼女は何も聞こうとはしない。
 問答無用だった。
 何のためらいもなく、小さな生き物の頭上に足を下ろす。
 ファフニーは、成すすべも無く、それを呆然と見ていた。
 走って逃げるには、距離が近すぎた。
 「ふふ、楽しいな」
 フレッドは手を上に掲げた。
 あまり困った様子は無い。
 魔法で受け止めようというのだろうか?
 また、彼の動きとは関係無く、彼らの周囲が薄い光に包まれた。
 それが妖精が姿を変える時に発する光だということを、ファフニーとフレッドは知っている。
 光の後には闇が訪れた。
 ずしーん。
 同時に、何か城でも崩れて倒れたかのような大きな音を2人は聞いた。
 何が起こったのだろう?
 「ちょっと、いきなり踏み潰そうとしないでよ!」
 暗闇の中、リーズの声が真上から聞こえた。
 リーズが真上に居る。
 自分達が居る場所、辺りが闇に覆われた理由をファフニーとフレッドは気づいた。
 ここは、リーズの両足の間、彼女のローブの中だった。
 ラウミィに踏み潰されるより早く、彼女と同じ位の大きさ、元の大きさに戻ったリーズは、真上に迫っていたラウミィの足を跳ね除けたのだ。
 バランスを崩して倒れるラウミィ。
 リーズは怒りの篭った目で、彼女を見る。
 彼女の足元、ローブの中に居る事を理解したファフニーとフレッドは、何も言わずに駆け出した。上を見上げるような事は、しない。
 リーズのローブの裾が、大きなカーテンのように、どこまでも高く長く続いている。少し恥ずかしそうにそれを捲くって、2人は彼女の股の下から外にでた。
 その間に、ラウミィは立ち上がる。
 ファフニーとフレッドはリーズの背後に隠れるような位置になった。
 「うふふ、リーズ。
  あなた、お供を従えて、まるで虫けらのお姫様ね…」
 ファフニーとフレッドを庇うようにしているリーズの事、彼女の足元に居る人間達の事、その両方をラウミィは笑った。
 「真面目に話をする気は、全然無いみたいだね…」
 ラウミィの言葉を、リーズは挑発と受け取った。
 胸が、むかむかとする。
 「ねえ…この数日で、一体、何人殺したの?」
 リーズに笑顔は無い。
 彼女の足元の人間達は、妖精達の争いから、少し距離を取ろうとして走った。
 「あなたの人間オタクぶりにも、さすがにうんざりね…」
 ラウミィも手加減をする気は無かった。
 痛い目に合わせてやるんだ。死んだって…構うものか。
 妖精の友達を、あまり友達と思っていない。
 ずしん。
 ラウミィがリーズに向かって足を踏み出した。
 「あ、で、でもちょっと待って、ラウミィちゃん!」
 「何よ?」
 近づいてくるラウミィを見て、あわててリーズが手を振ったので、ラウミィは足を止めた。
 「あたしも、ラウミィちゃんと話し合う気はあんまり無いけど、掴み合いのケンカはやめにしない?」
 「…はぁ?」
 何を言ってるの、この子は?
 ラウミィは気勢を殺がれた。
 「ほら、この前ラウミィちゃんも言ってたけど、野蛮な動物みたいな掴み合いのケンカなんて、あたし達には似合わないよ。
  妖精らしく、華麗に魔法で勝負しない?」
 リーズは怒りで忘れかけていたが、ラウミィが近づいてくると、腕力では不利な事を思い出した。
 腕力では無く魔法で勝負。
 予め考えてきた作戦を提案した。
 馬鹿馬鹿しいと思ったが、ラウミィは少し考える。
 「ふーん…それも悪くないわね」
 言われてみれば、妖精の仲間を殴るよりは、直接、手に痛みが伝わって来ない魔法の方が気が楽だ。
 「いいわ、付き合ってあげる」
 そう言うと、リーズから距離を取った。
 以前と比べて、リーズの顔色が良い事はわかった。
 多分、食事を取ったのだろう。ようやく、彼女がまともに動ける状態になった事は明らかだ。
 「うふふ、やっぱりカワイイわね」
 それでも、ラウミィは笑ってしまった。
 食事を取って元気になったから。
 得意の魔法でなら。
 リーズは私に勝てるとでも、本気で思ってるのだろうか?
 ラウミィは、全く負ける気がしなかった。
 魔法の力を集め始める。
 片手を腰に当てて悠然と立ったまま、微塵も動かない。
 ただ、魔力だけが彼女の周囲に満ちていく。
 「笑ってられるのも、今のうちだよ!」
 笑われたリーズも、言い返しながら魔法の力を集め始めた。
 胸に両手を当てて、自分を抱きしめるような姿勢になる。
 『胸に手を当てて、自分の事…自分の中にある物の事を考えてごらん?
  そうすれば、きっとリーズは誰にも負けないよ』
 マリクに言われた言葉を思い出す。
 本気で魔法を使う時のやり方を、彼には教えてもらった。
 …魔法だったら、負けないからね!
 リーズも、ラウミィに負ける気がしなかった。 
 足元の人間達は、妖精達の魔法勝負を見上げている。
 「フレッド…解説してもらえますか?
  リーズが勝てそうなのかどうなのか、僕には判断出来ません」
 見ていても、よくわからないとファフニーは言った。
 「うむ…
  ラウミィも、素人ではないな。
  妖精の魔法は、力任せに魔力を振り回す幼稚なものだと、ご先祖様の手記には載っていたが…
  あいつは、どうも魔法の基礎…魔力の使い方は理解しているみたいだ」
 ラウミィの魔法の手際を見てフレッドは言った。
 「だが、安心しろ。
  リーズの技術には及ばない。
  所詮ラウミィは、魔法の初歩は知っているレベルだが、リーズは大魔道士クラスだ」
 「だと、良いんですが…」
 フレッドが魔法の事を言うのだから、間違いは無いのだろうが、ファフニーはラウミィの余裕がある笑顔を見ていると不安だった。
 先に、魔法を発動させたのはラウミィだった。
 彼女の掌から、真っ黒な球体が放たれ、リーズへと向かう。
 人間を何十人か閉じ込められそうな黒い球体は、ゆっくりとしたスピードでリーズへと飛んでいく。
 「な、なんですか、あれは?」
 「純粋な魔力の塊だな。
  芸は無いが、純粋な分、確かな破壊力がある。
  黒いのは彼女の趣味だろう。
  …安心しろ、どの道、マリクのローブの前には無力だ」
 ファフニーの問いを、フレッドが解説した。
 言われてみればそうだ。
 どんなにラウミィが魔法を使っても、リーズが着ているローブは魔法を受け付けないのだ。
 その事を思い出すと、ファフニーは、少し落ち着いた。
 だが、リーズはローブで受け止める事はしなかった。
 一瞬、彼女は自分の背中に隠している人間達を振り返って見下ろし、にっこり微笑む。
 何も言わないが、ラウミィの魔法から目を逸らす余裕すらあるようだ。
 自分の余裕を見せびらかすように、右手の人差し指を口元で立てた。
 「ちょ、ちょっと、そんな余裕見せてて平気なんですか?」
 「平気だよ?」
 あわてるファフニーに、リーズは首を傾げて言った。
 それから、ラウミィの方を振り返ると、唇の前に立てていた指を左右に振った。
 同時に、リーズに向かっていた黒い魔力の塊が動きを止めた。
 「な、なんですか、あれは?」
 「ああ、魔法の技術が違い過ぎるみたいだな。
  ラウミィが放った魔法を、逆にリーズが奪い取ってしまった」
 ファフニーの問いをフレッドが解説した。
 「そんな事出来るんだ…」
 リーズが高レベルの魔法使いだという事を、ファフニーは理解した。
 一方、リーズの技術にはラウミィも驚いた。
 「な、何をしたの?」
 彼女の顔から笑顔が消えていた。
 「ラウミィちゃん、だめだね。
  投げたら投げっぱなしじゃ、子供の遊びだよ?」
 リーズの言葉と共に、黒い魔力の塊がラウミィの方に向かい始めた。
 「えへへ、これ、あたしがもらっちゃうね!」
 「な、何よそれ!」
 ラウミィにしてみれば、自分の放った魔法が、そのまま自分に帰ってきたのだ。
 これは、まともに受けたくは無い。
 あわてて、手をかざして受け止めようとした。
 彼女の手と黒い魔力の塊の間で、バチバチと嫌な音を立てて、光が弾ける。
 自分の魔力を自分の魔力で防ごうとする。
 「あはは、隙だらけだよ!」
 リーズの声。
 ラウミィの顔の辺りが魔法の炎に包まれた。
 「く…!」
 それ自体は耐えられない熱さでは無かったが、気を取られてしまう。
 その隙に、自分の魔力を防ぎきれずに体に浴びてしまった。
 たまらず、羽根を広げて飛び上がった。
 「あれ、逃げるの?」
 次の魔法を準備しながら、リーズは空に逃げたラウミィを笑った。
 「すごい…
  でも、まだ動けるんだ、ラウミィも」
 流れるような魔法の連続でラウミィを追い詰めたリーズの手際と、それでも、まだ動けるラウミィの姿に驚く。
 こんなの…リーズじゃない。
 魔法の力を手品のように操るリーズが、別人のようだと思った。
 これなら、マリクのローブなんて必要ないんじゃないだろうか?
 素人目に見ても、魔法での戦いは、リーズが圧倒的に有利に見える。
 「あれ…でも…」
 ファフニーは、フレッドの方を見た。
 「どうした?」
 「いえ…確か、この前はフレッドの魔法を受けたラウミィ、立てませんでしたよね、しばらく…」
 前にフレッドがラウミィと戦った時の事を思い出した。
 不意打ちとはいえ、あの時、フレッドの魔法を受けたラウミィは、しばらく立てなかった。
 リーズの技術にも驚いたが、魔法に関してだけなら、この人間は、さらにその上に居るのだ。
 いざとなれば、そんな人間もリーズの背後には控えている。
 これなら、ラウミィもそれ程怖く無いのでは?
 余裕を失って空へと逃げた、それでも自分よりは何十倍も大きな女の子の巨人をファフニーは見上げた。
 …でも、何だろう?
 ラウミィには、まだ余裕があるようにファフニーには見えた。
 光で出来た蝶のような羽根は、まだ優雅に空で羽ばたいていた。
 「驚いたわ…本当に驚いた。
  リーズ、上手ね。魔法を使うの」
 100メートル程の上空で、ラウミィは感心した。
 「いいわ、負けを認めてあげる…」
 「ほ、ほんとに?」
 あまりに呆気無い、ラウミィの言葉。
 リーズの方が驚いてしまった。
 「でも、3本勝負だからね」
 ラウミィは言葉を付け加えた。
 なるほど、ラウミィらしい。リーズは納得した。
 「2本目の前に、ちょっとだけ、お話しましょうよ」
 「…いいよ、それで」
 リーズは頷いた。
 「リーズ、魔法は上手に決まってるわよね。
  昔は、魔法を人間に習ったりしたんだものね」
 「うん、みんなに教えてもらったからね…」
 マリクやフレッド、メリア達。
 ラウミィの言葉に、リーズは七人の子供達と名乗っていた、魔法使いの友達の事を思い出す。
 神話の時代の思い出だ。
 「リーズの、小さな姿になる魔法も、ただ小さくなるんじゃないのよね、確か…」
 「うん。見かけだけじゃなくて、中身も人間とほとんど同じになるの。
  そうすると、力は無くなっちゃうけど、世界が力を貸してくれるから楽になるってマリクが言ってた」
 そういう魔法でも使わなければ、いくら妖精でも1000年も何も食べずには生きられない。
 ラウミィとリーズは話を続けた。
 「回復を待つ、時間稼ぎですね…」
 「ああ…」
 その様子は、単なるラウミィの時間稼ぎのようにファフニーとフレッドには見えた。
 リーズは、その事を気づいているのだろうか?
 妖精達は会話を続ける。
 「この世界は妖精に力を与えなくなって、代わりに人間に力を与えるようになっている…
  昔、話し合ったわね。だから、妖精はこの世界から離れようって」
 「あたし、引きこもってたけどね…」
 丁度、リーズがマリクを食べて、一番塞ぎこんでいた頃の話だ。
 「そうだったわね…
  あなた、マリクやフレッド達の事が大好きだったものね」
 ラウミィも、物思いにふける様な顔をしている。
 昔は、妖精同士で争うなんて考えた事も無かった。
 これは、本当に時間稼ぎなのだろうか?
 昔、一緒に過ごしていた頃を思い出して話し合う妖精達の様子に、裏は無いようにも見える。
 もしかしたら、このまま、まともに話し合いが出来るのでは?
 ファフニーは期待を込めて様子を見ている。
 「魔法の真髄は『向きを変えてやる事』…だったかしら?」
 ラウミィの声のトーンが少し変わった。
 ほんの少し、低い声になる。
 「え…知ってるの?」
 リーズが驚きの声を上げた。
 フレッドの教え、魔法の真髄である。
 …おい何で知ってる?
 リーズ以上に驚いたのは、現代のフレッドだった。
 祖先から伝えられている、魔法の教えである。
 何故、それを妖精が…しかもラウミィが知っている?
 フレッドは胸騒ぎがした。
 「別に…教えてもらったわけじゃないわ。
  あたしが魔法を使う度に…あの男が口うるさく言うから、嫌でも覚えちゃったのよ」
 ラウミィは寂しそうに笑った。
 …魔法の真髄を、ご先祖様はラウミィに教えたのか??
 口が滑ったにしては、軽率過ぎる。
 一体、どういう事だ?
 フレッドは、わけがわからなかった。
 神話の時代のフレッドとラウミィの関係。
 ラウミィのフレッドへの屈折した思い。
 それを、彼は知らなかった。
 「妖精だって、進歩するの。
  私、1000年間…お昼寝してた人とは違うわよ?」
 ラウミィが笑った。
 いつもの相手を見下した笑い方になった。
 その笑い方が、1000年間、ダンジョンに引きこもっていた妖精の仲間に向けられた。
 「妖精の魔力を上手に使って、魔法を使うとどうなるか…見せてあげるわ」
 ラウミィの声と同時に、辺りが薄い光に包まれた。
 「出来るようになってみると、そんなに難しくないわ。
  ただ、魔法の向きを変えてやるだけよ…」
 穏やかに響く彼女の声が上の方から聞こえるように、リーズは感じた。
 だから、上を見上げた。
 「小さくなるのと、逆の向きに魔力を使う…
  ただ、それだけよ。
  もっとも、それが出来るようになるまで、1000年かかっちゃったけどね」
 自分の優位を確信した、余裕のある穏やかな笑顔が、リーズの事を見下ろしていた。
 リーズが小さくなったわけではない。
 彼女は30メートル程の姿を保ったままだ。
 そのリーズが、今は、ラウミィの腰程までしか背が届かなくなっていた。
 ラウミィが大きくなっているのだ。
 彼女の太ももは、リーズの胴のように太い。
 リーズは言葉も無く、目の前で巨大化した妖精の仲間を見上げた。
 彼女の足元に居た人間達も、リーズの倍程の身長になったラウミィを見上げた。
 「うふふ、いくらだって大きくなれるわよ?」
 ラウミィは薄い光を放ち続ける。
 光に包まれた彼女の影が、徐々に大きくなった。
 「この前、私にとどめを指しておけば良かったのに…馬鹿ね、お前達」
 ラウミィの声も、どんどん大きくなる。
 彼女は、自分の膝にも背が届かなくなったリーズを見下ろして言った。人間達に至っては、ラウミィの足の指よりも背が低くなっている。
 際限無く、ラウミィの巨大化は続いた。
 「うふふ、この位で許してあげるわ。
  遊ぶには、これ位のサイズが丁度良いものね。
  あんまり大きくなると、触っただけで潰れちゃうし…」
 ラウミィが巨大化をやめた時には、リーズの目の前には、彼女の足首が見えた。
 今日は編みサンダルを履いている。
 綺麗な白い足が柱のように立っていた。
 彼女の踵と背比べをすると、リーズの背は丁度良い位だった。
 「何…それ…」
 目の前にあるラウミィの足と、遥か上空にある彼女の顔を、リーズは交互に眺める。
 ラウミィの胸と股を隠している下着のような布は、一応、彼女の体に合わせて大きくなり、彼女の体を隠している。
 リーズから見ても、ラウミィは巨人に見えるようになった。
 妖精の30倍程の大きさである。
 リーズの体は、ラウミィの人差し指と同じ位。リーズの20分の1程の身長だった人間達にとっては、600倍程のサイズだった。
 人間達にとって、リーズは自分達を指先で摘み上げる事が出来る、巨人の女の子だ。
 だが、ラウミィは、それを、さらに指先で摘みあげる事が出来る大きさになっている。
 見た事の無い大きさだった。
 「もう、逃げる事も無理だな。
  あれは…さすがに厳しい。
  …俺の側から離れるなよ、ファフニー」
 フレッドはラウミィから目を離さずにファフニーに言った。
 幾らなんでも大きすぎる。山のように大きいという言葉が、よく似合う。
 それから、ラウミィの動きの一つ一つに気を配る。
 いつ、彼女が気まぐれに、小さな城よりは大きな足、120メートル程の長さがある足を自分達の上に下ろそうとしても不思議ではない
 逃げようとして、どんなに一生懸命に走っても無理な事は、文字通り山のような大きさになったラウミィを見ていてわかる。
 山が歩いてくるのに、逃げる事など無理だ。
 …そうだな。確かに小さくなれるなら、大きくなれても不思議ではないな。
 フレッドは、巨大化の魔法を使った妖精を見上げている。
 体の大きさを変える魔法は、人間には伝わっていない魔法だ。
 妖精達が気まぐれに、体を小さくして人間と同じ大きさになる事は、フレッドも知っていたが…
 まさか、自力で魔法を開発するとは…な。
 体を小さくする魔法は、要するに肉体を弱体化する魔法である。その力の向きを逆の向き、体を強くして大きくなる向きに変えてやるというわけだ。
 そもそも、体を弱くする魔法を自分にかける方が不自然な魔法である。体を強化する魔法を自分にかける方が、理に適っている。
 だが、力の向きを変えてやると、口で言うのは簡単だが、それを実践するのは簡単な事ではない。
 ラウミィは自分が思っていた以上の魔法使いだったようだ。
 指の一本位なら道連れに出来るだろうか?
 フレッドは、自分とラウミィの力の差を冷静に考えようとする。
 元々の魔力の大きさでは、妖精のラウミィの方が人間より圧倒的に上だ。
 その魔力を自らの肉体強化、巨大化に使っているのである。
 攻撃魔法の撃ち合いのような駆け引きなら、魔法の技術が高い方が有利だ。
 魔法の技術で劣るラウミィが、それを避けて、魔力を自分の肉体強化に注ぎ込むという考え方は正しい。
 考えれば考えるほど、フレッドは冷たい汗が流れた。
 前にラウミィと会った時のように、彼女の大きさに心を呑まれてしまう事はなかった。
 だが、勝ち目は全く感じなかった。
 フレッドは、身長900メートル程になった巨人と戦う事など考えた事はなかった。
 あきらめたわけでは無いが、耐え難い恐怖を感じた。
 「こうしてみると、リーズも虫けらの仲間…虫けらの女王様に見えるわ」
 リーズから見ても、柱のように太いラウミィの足が、膝の所で折れ始めた。
 ラウミィがしゃがみ込もうとしているのだ。
 「リーズ。
  あなたは虫けらよ」
 しゃがみながら、ラウミィは宣言した。
 「あなたは、あなたの大好きな虫けらの仲間。
  もう…私達の仲間とは思わない事にするわ」
 ラウミィは人間を見るのと同じ目つきで、自分の指と同じ位の大きさになった妖精の仲間を見つめる。
 しゃがみながら、地べたにお尻をついた。
 ずしーん。
 彼女が腰を下ろすと、低い音と振動が起こった。彼女のお尻の形に地面に穴が開く。
 地面の形が変わった揺れと音が、波となって周囲に広がる。
 小さな家を倒すのに十分な地震が辺りに広がっていった。
 ラウミィが地面に座っただけで、リーズもファフニーもフレッドも、地震で立っている事が出来ない。
 「何なのよ、これ…
  ずるいよ…こんなの…」
 地面に四つんばいになるようにして揺れに耐えながら、リーズが呟いた。
 雲まで頭が届いてしまいそうな巨人を見上げる。
 何なの、この大きさ?
 彼女が座っただけで発生した地震に揺られながら、リーズは完全に戦意を失った。
 「あら、ごめんなさい。もうちょっと優しく座ってあげれば良かったわね。
  大丈夫よ、潰さないように、気をつけるから」
 膝を立てて、無防備に足を開きながらラウミィは地面に座った。
 何百メートルか広げた足の間に、虫けらが三匹居る。
 「じゃ…三本勝負の二本目を始めようかしら?」
 穏やかに微笑んだ。
 彼女の目線の先にはリーズが居た。
 ラウミィとリーズの目が合った。
 「い、いやだよぉ!」
 大きな目が自分を見て笑っている。
 戦いになど、なるはずがない。こんな巨人が相手では、一方的に玩具にされるだけだ。
 リーズは我を忘れて、光の羽根を広げて逃げようとする。
 「可愛いわね、まるで蝶々みたい」
 蝶々にしても、小さい。
 ラウミィはリーズに左手を伸ばした。
 小さくて飛び回る虫けらは、少し掴みづらい。
 だから、リーズが飛び立つより早く捕まえてしまおうと思った。
 ラウミィが手を開いて地面に近づけると、彼女の手のひらに押された空気が風になって、地面に居る虫けらを上から襲う。
 その風に押されて、リーズは飛ぶ事が出来ない。
 ファフニーとフレッドは、上から地面に押し付けられるような形になった。
 山が動くと、それだけで空気が揺れた。
 そのまま、リーズはラウミィの手に、鷲?みにされた。
 「嫌ぁ!離して!」
 空しいリーズの悲鳴。
 人間の20倍程も大きな彼女の体が、軽々と空へと運ばれた。
 ラウミィはリーズを握り締めた左手で、親指を彼女の胸の辺りに這わせる。
 リーズの胸の感触を確かめた。
 「柔らかいわね…」
 リーズは女だから、自分と同じような体をしている。
 撫で回してみると、当たり前だが、柔らかい女の体をしている事がわかった。
 「嫌だよ…
  ファフニー、助けてよ…」
 ラウミィに握り締められ、リーズは泣き出した。
 思わず、ファフニーの名前を口に出す。
 「うふふ、ご指名みたいね。
  虫けらの騎士様?」
 ラウミィの目が動いた。
 リーズよりもさらに小さな虫けらの方を見る。
 「…いい加減にして下さい!
  リーズは、ラウミィの友達じゃないんですか!」
 ファフニーは、ガタガタと震えながら、それでもラウミィに怒鳴り返した。
 ラウミィは何も言わずに、にやにやと笑う。
 「おい、リーダー…
  リーズは君に助けを求めているが、どうする?
  俺も助けに入って良いか?」
 フレッドが低い声でファフニーに言った。
 我慢の限界のようだ。
 「すいません、お願いします。
  僕には…リーズを助ける事が出来ない…」
 ファフニーは自分の力の無さを、よくわかっている。
 以前よりも、さらに大きなラウミィの姿。
 彼女の足の指ですら、3階建ての建物程の高さがある。
 ラウミィの足の指の上には、人間が普通に家を建てて住む事が出来そうな広さがあった。
 そんな巨人と普通の人間の間に、戦いが成立するとは思えない。
 「おい、化け物。
  お前の勝ちだ。
  リーズは、どう足掻いてもお前には勝てん。俺が認めてやる」
 だが、少し普通でない人間が、ラウミィを見上げて言った。
 「ふーん…それで?」
 ラウミィの目が動き、フレッドの方を見た。
 「お前が一番殺したいのは、リーズじゃなくて俺だろう?
  次は、俺が相手になってやる」
 リーズが戦意を失った以上、自分の出番である。
 …リーズは、別に戦いのプロというわけじゃない。仕方無いさ。
 別にリーズに戦いのプロになって欲しいとも思わない。
 命を賭けて戦うのは、やはり自分のような者の仕事だ。
 フレッドは、どうすれば勝てるのか全く思いつかないままだが、不敵に言った。
 「相手ですって?」
 ラウミィが歪んだ笑みを浮かべる。
 自分と戦う気でいる虫けらを見ると、笑ってしまう。
 「人形遊びの玩具にでもなってくれるのかしら?
  でも、ごめんなさいね…」
 肩をすくめた。
 「玩具にして遊ぶには、お前は小さすぎるわ。
  私が触っただけで、潰れちゃうわよ?」
 妖精の目でも、足指より背が低い生き物は、よく見ないと見えない。
 それを潰さないように玩具として遊ぶ自信は、ラウミィには無かった。
 「とにかく…リーズを離せ!」
 言いながら、フレッドは魔法の力を集め始める。
 フレッドは、やる気だ。
 「ねえ…お前が魔法を使うまで、私、じっと待ってないといけないの?」
 その様子をラウミィは上から見ている。彼が魔法を使うまでじーっと待っているのは退屈だ。
 「お前が魔法を使うより早く、踏み潰したらだめかしら?」
 座り込んで膝を立てているラウミィの足が動いた。地面に座ったまま、柔らかい動きで足を上げた。
 80メートル程の長さがある足の裏が、空を覆った。
 だが、フレッドは動じない。魔法の力を集め続けている。
 何か考えがあるのだろうか?
 本来の姿からさらに巨大化した妖精と、人間としては最高レベルの魔法使いのやり取り。
 ファフニーは、違う世界の出来事でも見るように、それを見つめる。
 最初からわかっていた事ではあるが、空を覆うラウミィの足と、それに動じた様子がないフレッドを見ていると自分の無力さを感じる。
 自分に出来る事は…
 「リーズ!しっかりして!」
 せめて、声をかける事位だった。
 一方、ラウミィもフレッドを弄ぼうと足を見せ付けて、少し戸惑った。
 …こいつ、この前とは違うわね。
 フレッドは自分の事を全く恐れない。踏み潰す素振りを見せても全く動じない。
 これは…何か策があるのかもしれない。
 昔のフレッドには及ばないように見えるが、それでもフレッドの名前と姿をしている男だ。油断は禁物である。
 この場に居る3匹の虫けらの中で、唯一怖いのは、この男なのだ。
 多分、このまま足を下ろしても、この虫けらは何とかしてしまうのだろう。
 ラウミィは力づくで戦う事をやめる事にした。
 …うふふ、騙し合いも楽しそうね。
 力だけが戦いじゃない事は、神話の時代のフレッドに体で教えてもらった。
 ラウミィは微笑を浮かべると、左手に握っていたリーズの事を強く握って、ファフニーとフレッドに見せつけた。
 苦しくてもがく彼女の頭を、右手の親指と人差し指で摘んだ。
 リーズの頭を握る指に、力を込める。
 みしみしと、リーズの頭が潰されようとする音を、足元の人間達は聞いた気がした。
 「いやぁぁぁ!」
 リーズが悲鳴を上げた。
 ファフニーとフレッドも顔色を変える。
 「やっぱり…お前は後回しにするわ。
  リーズのご指名は、そっちの虫けらの騎士様ですものね。
  …お前は、私が許すまで、魔法を使ったらダメよ」
 ラウミィは妖精の友達を人質に使った。
 「おとなしく見てなさいね…
  さもないと、お前の大事なお姫様の頭が、砕けてしまうわよ?」
 リーズの頭を摘んで、左右に軽く捻ってみせた。
 「やめてぇぇ!」
 こんな目にあった事は無い。
 人形のように掴まれて、頭を握りつぶされるなんて考えた事は無い。
 リーズは泣き喚く事しか出来ない。
 痛い。
 怖い。
 人間を人形のように掴む事が出来る巨大な妖精も、ラウミィの手の中では無力だった。
 「脅しにしたって、そんな事はやめて下さい!
  リーズが本気で怖がってる!」
 「この…卑怯者…!」
 ファフニーとフレッドの叫び声が重なった。
 妖精は仲間を大切にするのでは無かったのだろうか?
 「うふふ、もちろん、単なる脅しに決まってるじゃない。
  私が大切な妖精の仲間の頭を握りつぶしたりすると思う?」
 リーズの頭を握る手に、もう少し力が入った。リーズがさらに悲鳴を上げた。
 「くそ、すまん、ファフニー…」
 フレッドは、膝をついてうなだれた。
 脅しなのかもしれないが、リーズを人質にされては、何も出来ない。
 そんなフレッドの様子を、ラウミィは、つまらなそうに見下ろした。
 幾ら、殺意を覚える位に怒っていても、ラウミィはリーズの頭を握りつぶす事なんて出来なかった。
 妖精の仲間にそんな事は出来ない。
 1000年前のフレッドなら、こんな脅しは通じなかったのに…
 「うふふ、良い子ね。
  そのまま指でも加えて見てないさいね…」
 ラウミィの冷笑。
 フレッドは、自分の体より大きな彼女の瞳を悔しそうに睨み返した。
 「さぁ、ファフニー…」
 ラウミィは、もう一度、ファフニーの方を見た。
 「早く助けに来ないと、カワイイお姫様が大変な事になるわよ?」
 言いながら、リーズを右手に持ち替える。
 彼女の両手を吊り下げるように摘んで、宙吊りにした。
 リーズは泣きながら体を揺らして抵抗する。
 「やめろ!」
 ファフニーは剣を抜いた。
 「弱い者を虫けらみたいに玩具にしたいなら…僕達人間を玩具にして殺せば良いじゃないですか!」
 叫んだ。
 普通の人間が、他にどうしろというのだろう?
 二階建ての家よりも高い、10メートル近くある巨人の女の足指をよじ登れというのか?
 地面に座り込み、地形を変えている巨人の女のお尻を斬りつけろというのか?
 100メートル程の上空で宙吊りにされている大切な人の所まで、羽根も無いのに飛べというのか?
 何も…出来ない。
 せめて、叫んだ。
 その声が、ラウミィには虫けらの鳴き声にしか聞こえない。
 だから、ファフニーの声に、何も答えない。
 ただ、満足そうに彼の事を見下ろした。
 見下ろしながら、宙吊りにしたリーズの体に左手を伸ばす。
 指を彼女の体に這わせる。
 リーズの体の形を確かめるように、ローブ越しに胸の辺りから足元に向けて、ゆっくりと這わせた。
 足元まで行くと、彼女の指先はリーズのローブを裾を捲くり、その中へと侵入した。
 自分の股の間を這い上がってくる、胴体よりも太い指。
 リーズの悲鳴が絶叫に変わった。
 ラウミィの指は、リーズのローブの中を這い上がっていく。
 「やめろぉぉ!」
 ファフニーは、叫ぶ。
 ラウミィの足指に向かって走った。
 よじ登ってやろうと思った。
 「ほら、お前は動くなって言ったでしょ!」
 ラウミィの厳しい声は、ファフニーではなく、魔法の準備をしていたフレッドに向けられた。決して、彼からは気を逸らさない。
 「そんなに怖がらないで。
  ちょっと撫でてあげるだけよ…
  あなたの体より太い指が、中に入るわけ無いでしょ?」
 ラウミィも女だから、女の股の間をどういう風に撫でればどうなるかは、よく知っている。
 「何でも言う事聞くから…もう許してよぉ…
  ファフニー、助けてよ!」
 リーズは、ラウミィに泣きながら許しを乞うた。
 泣きながらファフニーの事を呼んだ。
 「リーズ!」
 ファフニーの目の前には、彼の身長の5倍ほどある、少女の足指。
 手をかけたが、すべすべとした白い肌は、よじ登る事も出来ない。
 ラウミィがリーズを撫でる手が止まる。
 リーズが抵抗もしなくなったので、ラウミィは彼女を弄ぶのをやめた。
 「そうね、じゃあ、そろそろ許してあげようかしら…」
 彼女のローブに入れていた指を抜こうとする。
 抜こうとしながら、彼女のローブを無造作に摘んだ。
 リーズは、もう抵抗もしない。
 無防備に宙吊りになったままだ。
 「お、お前…!」
 ラウミィの行為に気づいたフレッドが、引きつった声を上げた。
 …ああ、いい声ね。
 フレッドの偽者の怯えた声が、やっと聞けた。
 ラウミィはリーズの黒ローブをしっかり摘むと、無抵抗の彼女から引き剥がした。
 リーズの素肌が、足元の人間達に晒される。
 ローブの下に下着は着けていない。彼女の体を隠すのは、足に履いた革靴だけである。
 ファフニーにとっては、何回も想像した事がある、リーズが何も身に着けていない姿だった。
 こんな形で見たくは無かったが、上を見ると、リーズの大きな体は、嫌でも見えてしまう。
 「さあ、ローブよ。
  私の物となりなさい」
 ラウミィの、呪文でも唱えるような無機質な声。
 フレッドがあわてて魔法を発動させた。
 不完全なままだが、あわてて魔法を発動された。
 ラウミィの手の中にあるローブが薄い光を放った。
 「お前の魔法なんて、もう怖くないわ」
 地面にのんびりと腰を下ろしたまま、勝ち誇った声。
 フレッドの魔法はラウミィの体に届く事は無かった。
 一枚の布に遮られてしまった。
 「ごめんなさいね、人質も取ったりして。
  私、ちょっと卑怯よね。謝るわね」
 慇懃無礼にラウミィは謝った。
 自分が完全に優位に立っていることを考えると、笑みが抑えられなかった。
 「この…卑怯者の化け物め…」
 フレッドのかすれた声も、負け惜しみにしか聞こえない。
 そこに、真っ黒い姿の巨人が居た。
 ラウミィの大きさに合わせてサイズを変えた、黒いローブが彼女の体を覆っている。
 一切の魔法を受け付けない、マリクのローブだ。
 「さ、好きなだけ魔法を使って御覧なさい?」
 ラウミィは無防備に両手を広げてみせた。
 黒いローブが何百メートルか、広がった。
 リーズを護るはずだったローブが、今はラウミィを護っている。
 巨大な黒ローブの魔女が居た。
 人間を躊躇い無く踏み潰す、文字通りの魔女である。
 ラウミィの足指をよじ登ろうとしていたファフニーも、動くのをやめて空に広がる黒ローブを眺めた。
 この巨大な妖精が着ているローブには、もう魔法も通じない。
 人間が妖精に対抗する最良の手段は魔法である。
 それが、今、通じなくなった。
 人間が彼女に抵抗する手段が封じられた事をファフニーは理解した。
 ラウミィが口を開いた。
 「もう…決着はついたわね」
 人間達を跨いで膝を立て、ラウミィは座ったままだ。
 数百メートルの上空から降ってくるその声に、ファフニーもフレッドも言い返す事が出来なかった。
 ファフニーやフレッドが、前を向いても横を向いても、彼女の腰から下を覆ったローブが、どこまでも黒いカーテンのように続いていた。
 「もう、ラウミィちゃんに勝てないのは、わかったよ…
  だから、ファフニーとフレッドを虐めないで…許して…」
 ラウミィの左手に握られたリーズが、泣きながらラウミィに頼んだ。
 「あら、そういえば、あなたも居たわね…」
 ラウミィの手が、リーズを握り締めていた左手に移った。
 そこには泣く事しか出来なくなった妖精の友達が握られている。
 「あなたも、遊んであげないとね」
 うっとりとした顔で微笑んだ。
 妖精の仲間を玩具にするのは、彼女にしても初めての体験だ。
 力を強くしたり緩めたりして、リーズの事を握ってみた。
 リーズは泣きながら許しを乞う。
 全く無力な、妖精の友達の様子。
 …妖精の友達を玩具にするのも、面白いわね。
 人間を見るのと同じ目で、ラウミィはリーズの事を見た。
 にぎにぎ。
 …うふふ、あんまり強く握ったら潰れちゃうかしら?
 別に、握りつぶしても構わないとも思う。
 ラウミィはリーズで遊ぶのに夢中になっていた。
 彼女は隙を見せている。
 「死ね、化け物!」
 恐怖に押しつぶされそうになりながら、フレッドは叫んだ。
 一条の魔法の光が放たれた。
 それは、黒ローブに覆われていないラウミィの顔に向かって飛んだ。
 ラウミィの両腕が動いた。顔の前で、両腕を交差させる。
 黒ローブの両袖が顔を覆った。
 フレッドの放った魔法が、それに当たって弾けた。
 ラウミィの体にもローブにも、もちろん傷一つ付かない。
 「うふふ、お前、不意打ちが大好きね」
 ラウミィの嘲る声。
 彼女の狙い通りだ。
 隙がある振りをしてフレッドに魔法を使わせたかった。
 それを防いで、馬鹿にしてやりたかった。
 悔しそうな顔で自分を見上げるフレッドを見るのは快感だ。。
 リーズを握って玩具にしながら、ラウミィはフレッドの事を笑った。
 …そうだ、もう一匹居たわね。
 「ふう…ちょっと飽きたわね」
 ラウミィは、ため息をついた。
 「ねえ、ファフニー。
  お前、人間の世界を救ってみたくない?」
 ラウミィはファフニーに目を移して言った。
 「どういう…事ですか?」
 ラウミィの足指の前に居たファフニーが、彼女を睨み返す。
 「私、人間を全部踏み潰してから帰ろうと思ってたんだけど…正直、飽きたわ。
  だって、お前たち、何匹踏み潰しても、切りが無いんですもの…」
 うんざりした顔でラウミィは言った。
 それは嘘では無い。
 この数日で人間を踏み潰した人数を2000人位までは数えていたが、飽きてきたラウミィは、それ以上は数えるのをやめていた。
 一方、食べた人数の方は、まだ覚えている。35人だ。意外と少ない。
 一人で世界中の人間を踏み潰して回るのは、思っていたよりも手間がかかる事だ。飽きっぽい気まぐれな妖精には大変な作業である。
 「人間の世界を救うって…どういう事ですか?」
 ファフニーは、ラウミィの言葉を信じていない。
 彼女が人間とまともに話をするとは思えない。
 「私…お前が一番嫌いなの。
  まだ、ちょっとは力がある、そっちのフレッドの偽者の方がマシよ。
  ねえ、お前…一体何なの?
  何にも出来ない、小さな虫けらの癖に、生意気で…」
 自分の足指よりも、さらに背が低い虫けら。
 それが妖精を…リーズをたぶらかした事が許せなかった。
 「お前…虫けららしく、惨めに死んでくれない?
  そうしたら、リーズもフレッドの偽者も、他の虫けらも…もう許してあげる」
 ラウミィはファフニーに提案した。
 …本気だろうか?
 いや、多分、嘘だろう。
 ファフニーは彼女の言葉が信じられない。
 「やめてよ、ラウミィちゃん…
  逃げて…逃げてよ!
  ファフニー…!」
 「もう…リーズは、黙ってなさい」
 「きゃあ!」
 ラウミィは、さらに左手のリーズを強く握り締めた。
 もう、リーズの話を聞く気も無い。
 ラウミィを止める事は、誰にも出来無そうだ。
 …結局、僕は殺されるしかないんだ。
 ファフニーは自分の運命を考える。
 リーズすら片手で弄ぶ巨人から、どう足掻いても逃げられるはずはない。ましてや、戦う手段なんて一切無い。
 どういう方法になるかはわからないが、最後には彼女に殺されるんだ…
 だから、ファフニーは逃げ出した。
 「嫌だ!僕は死にたくない!」
 剣を捨てて、全力で走る。
 ラウミィの足指から離れて、走った。
 そうして逃げ出したファフニーを、フレッドは唖然として見つめる。
 「あはははは、無様ね!」
 ラウミィは心から笑った。
 これだ…これが見たかった。
 ここ数日で、今が一番楽しい。
 喚きながら逃げ出す虫けらを見下ろす。
 …これで良いんだ。
 ファフニーは走る。
 こうすれば、少しでも、ラウミィの気を逸らす事が出来るかもしれない。
 それに、この巨人の女の子が怖いのも本当の事だから、素直に逃げ回れるのは気が楽だ…
 全力で走るファフニー。
 随分と、ゆっくり地面を這いずっているようにラウミィには見えた。
 彼女の腰が浮いた。
 ゆったりと地面に座り込むのをやめて、前かがみにしゃがみ込む姿勢になる。
 そうやって座り方を変えて、体重をかける場所が変わるだけで、フレッドやファフニーが立っている辺りの地面は揺れた。
 しゃがみ込んだラウミィは、ほんの少し手を伸ばした。
 全力で走るファフニーに、それで手が届いてしまう。
 ラウミィが地面に垂直に立てた手のひらが、地面に振り下ろされた。
 ずしん。
 轟音と共に地面が揺れた。
 全力で走っていたファフニーは、そのまま躓いて倒れてしまう。
 顔を上げると、目の前に壁が現れていた。
 ラウミィが地面に垂直に立てた手のひらだ。
 「だめよ。逃がさないわ」
 うっとりした声。
 手のひらで壁を作り、ファフニーを通せんぼした。
 身長が900メートル程ある女の子の手のひら。
 それは、たかが人間一人には、大げさすぎる巨大な壁だった。
 城を覆っている城壁よりも高い壁だ。
 これが、女の子の手なのだ。
 怖い。
 演技だけでなく、心から恐ろしい。
 ファフニーは立ち上がって、後ろに逃げようとした。
 だが、そっちには彼を空から狙う細長い塊が見えた。
 可愛らしい女の子の指先が、直径5メートル以上の大きさで、こっちに狙いをつけていた。
 それは、ラウミィのもう片方の手。リーズを掴んでいる方の手である。
 それが空で人差し指を立てて、ファフニーを狙っていた。
 人差し指の向こうには笑顔が見えた。笑顔の向こうには、どんよりとした曇り空。
 ファフニーは振り返って見上げたまま固まってしまった。
 「悪いけど、追いかけっこして遊んでる時間は無いの」
 逃げられるとは思っていなかったが、こうして指を近づけられると、自分がもうすぐ潰される事を実感した。
 腰を浮かせてしゃがみこんだラウミィが、少し前かがみになり、右手でファフニーを通せんぼしている。
 反対側の手は、人差し指指を立てて、ファフニー上空から近づけていた。
 ファフニーに逃げ場は無い。
 ラウミィの笑顔と、指が近づく。
 虫けらを潰したくて仕方が無い女の子の笑顔と、虫でも潰すように人間を潰せる指だ。
 「やめてぇぇ!
  ファフニーを潰さないでぇ!」
 ラウミィの手に握られたリーズの叫び声が響く。
 ファフニーの目の前、20メートル位の上空に、リーズを握ったラウミィの手が近づいた。
 リーズとファフニーの目が合った。
 お互い、怯えた目で見つめ合う。
 ファフニーもリーズも、相手を助けたいと思ったがどうしようも無かった。
 2人を弄ぶラウミィの体と力は、2人に比べて大きすぎた。 
 「そうね…
  私の指で潰されるんじゃ、可愛そうよね」
 ラウミィが、彼女らしからぬ事を言った。
 …何を考えているんだろう?
 ファフニーとリーズは彼女の意図がわからない。彼女がファフニーを見逃してくれるとは思えない。
 確かに、ラウミィはファフニーを見逃す気は無かった。
 ラウミィは人差し指を丸めて、リーズを握る指に加えた。
 それから、リーズを握りなおす。
 その隙にリーズは逃げ出そうとして必死に暴れたが、ラウミィの作業には何の影響も与えなかった。
 ラウミィはリーズの腰から下、下半身を鷲掴みにして、リーズの上半身を露にした。
 そのまま、彼女をうつ伏せにするように、地面と水平にして下に向ける。
 リーズの真下の地面には、リーズの指先ほどの大きさのファフニーが居る。
 「ファフニー、逃げて!」
 ラウミィがやろうとしている事が大体わかったので、リーズは叫んだ。
 「だめよ、逃げたらリーズを握りつぶすわよ…」
 ラウミィが低い声で言う。ファフニーは逃げる事が出来なかった。
 「やめろ!」
 フレッドの叫び声と、放たれた魔法。
 光が、ラウミィの顔に向かって放たれる。
 ラウミィが少しだけローブに包まれた手を動かした。
 「ちょっと、わかりやすいタイミングじゃないかしら?」
 嘲る声と、ローブに遮られる魔法。
 「ちくしょう…」
 フレッドは小さく舌打ちをした。
 完全に動きを読まれている。
 それから、彼女は握り締めたリーズを、地面に居るファフニーにさらに近づけた。
 ラウミィに人形遊びの玩具にされているリーズだが、ファフニーにとっては巨人だ。
 リーズの巨大な体が、彼に上から迫っていた。
 「良かったわね、お前の大切なお姫様の胸で抱いてもらえるわよ。
  …まあ、あんまり無様じゃないから、さっきの約束は無しね」
 言いながら、リーズの体をファフニーに近づける。
 …リーズ、やっぱり大きいな。
 ファフニーは近づいてくるリーズの体を見上げる。
 リーズは、いつもと変わらない大きさだ。ラウミィの玩具になっても、リーズが小さくなったわけではない。
 「ファフニー、逃げてよぉ!」
 「何の役にも立てなくて、ごめんなさい、リーズ…」
 リーズの泣き叫ぶ声にファフニーは首を振った。
 ラウミィがリーズを人質にしているから、ファフニーは逃げられない。
 上から降ってくる、体の大きさにしては小さめな、リーズの胸のふくらみを、ファフニーは見つめた。
 あきらめた表情で、彼女の胸に見とれる。
 こんな風に、リーズの体に押し潰される事を覚悟したのは、初めてリーズに会った時以来だ。
 あの時は、指で地面に押し付けられて、潰されそうになった。
 圧倒的なリーズの力に、何の抵抗も出来なかった。
 とても、怖かった。
 今は、彼女の胸に押し潰されようとしている。
 丸く、小さく膨らんだ胸。
 大好きな女の子の胸だ。
 ちょっと大きすぎるけど、生で見るとドキドキする。
 小高い丘のようなリーズの胸から、ファフニーは目が離せない。
 前の時と同じように、リーズに僕を殺す気なんてない。
 でも、今回はリーズを道具にしている、彼女よりさらに大きな巨人が、僕を殺す気でいっぱいなのだ。
 だから、間違いなく殺される。
 …やっぱり怖いな。
 ファフニーは考えるのをやめて、目を閉じた。
 やがて、リーズの胸がファフニーの上にのしかかって来た。
 リーズは、片方の胸だけで、ファフニーを下に敷いてしまう事が出来る。
 ファフニーの全身は、柔らかい彼女の胸の下敷きになった。
 ファフニーは、人間の体が耐えられない重さと、少しの柔らかさを感じた。
 …リーズの胸、柔らかいな。
 大好きな女の子の胸だ。
 それが全身を覆っている。
 気持ちいい。でも、ちょっとだけ重い…
 …僕、リーズに潰されるんだな。
 耐えられない重さで、ファフニーの体中が悲鳴をあげていた。
 もうすぐ潰されるのがわかっているが、にやにやと笑うラウミィの指で潰されるよりは、マシだと思った。
 …ごめんね、僕、結局、足手まといでしたね。
 ファフニーはリーズに謝りたい気持ちでいっぱいだった。
 すぐに彼の意識は、体中を押し潰される痛みと共に消え去った。
 「やめてーーー!」
 リーズの絶叫。
 自由になっている手を地面について体を支えようとした、ラウミィは容赦なくリーズをファフニーに押し付ける。
 リーズは、自分の胸の下に居るファフニーの事を感じる。
 自分の体の下に居る小さな生き物の骨が砕ける感触と、肉が潰れる感触が伝わってきた。
 「こんなに力入れたら…ファフニーが潰れちゃうよぉ!」
 リーズの声を受けて、ラウミィは益々力を込めた。
 優しくて柔らかい胸が容赦なくファフニーに押し付けられた。
 自分の体の下で、小さな生き物がぐしゃぐしゃに潰れる瞬間をリーズは感じた。
 「ファフニー…潰れちゃった…」
 力なく呟くリーズ。体中の力が抜けた。
 地面に押し付けるラウミィの手に、逆らう事もやめた。
 「ひどいわね、リーズ。
  あなたが、その虫けらを潰したのよ…」
 ラウミィは、地面にリーズの体を押し付ける。
 布で床でも拭くように、彼女の体を地面にこすり付けた。
 リーズの胸に張り付いた虫けらの残骸が剥がれて、土に混じっていく。
 何十回かリーズで地面を擦った後、ラウミィは彼女から手を離して地面に放った。
 彼女の胸には小さな布切れだけが残っていた。
 マリクのローブの切れ端が血で染まっている。
 これを着ていた者が血まみれになった事を表していた。
 「リーズが悪いのよ。
  さっさと、私の言う事を聞かないから…」
 ラウミィの声をリーズは聞いていなかった。
 自分の体が潰してしまった人間の欠片、血で染まったローブを眺めていた。
 ファフニーが…死んじゃった。
 死んだ人を生き返らせる事って出来るのかな?
 無理だろう。
 そんな魔法は、人の魔法にも、妖精の魔法にも無かった。
 呆然と、リーズはファフニーの残骸を眺め続けた。
 …この子、もうだめみたいね。
 ラウミィは放心状態のリーズの事は放っておいて、フレッドの方に目をやった。
 「さ、次は、お前ね」
 「お前には、サービスしてやらない。
  私の指で潰してやるわ。
  お前の大嫌いな、巨大な女の化け物の指で…ね」
 にやりと笑った。
 人差し指を立てて、フレッドの上から近づける。
 楽しそうに笑う。
 そんな巨人の女の顔を、フレッドは見上げる。
 …指一本位なら!
 ここで、フレッドは、また魔法を放った。
 ラウミィの人間を躊躇うことなく潰そうとする指に、魔法が放たれた。
 最後の抵抗のつもりだった。
 人間の放った一条の魔法の光が、人間を容赦なく潰す巨大な指に吸い込まれた。
 微かにラウミィの指が震えた。
 それだけだった。
 「いつ、どこに飛んでくるかわかってれば、さすがに受け止められるわ」
 ラウミィにとっては、予想通りの結果だ。
 「お前、やっぱり昔のフレッドには全然及ばないわね。
  …お前とは、『人形遊び』じゃなくて『戦い』を楽しめるかと思ったけど、仕方ないわね」
 面白みの無いフレッドの行動。
 思い通りになり過ぎて楽しくない。
 …本物のフレッドなら、こんな風にはいかないのに。
 少し腹が立った。
 そのまま、フレッドに指先を近づける。
 …結局、全て読まれてしまったのか。
 フレッドは、悔しかった。
 力の差は圧倒的だった。
 だが、それ以前に駆け引きでも負けてしまった。
 ことごとく先を読まれ、魔法を封じられた。
 …そういえば、この化け物は、ご先祖様と戦い続けていたんだよな、昔は。
 この妖精は、単に力を振り回して、虫けらを潰すように人間を弄ぶだけの化け物では無いのだ。対等の相手との『戦い』も経験している。
 …油断していたのは、俺の方だったという事か。
 近づいてくるラウミィの指と笑顔を見上げて、自分が甘かった事を悟った。
 ラウミィの指は、彼女が元のサイズ…30メートルの体だった時の足よりも大きい。
 もう、大きな魔法を使う力も残っていないフレッドは、勝ち誇った様子のラウミィに傷を付ける力は残っていなかった。
 ラウミィの指を見上げる。
 なかなか、贅沢な光景だ。
 山のように大きな女が、自分一人を潰す為だけに、その巨大な指を伸ばしてくるのだ。
 人間一人を殺すにしては、勿体無い位の力だ。
 ラウミィの指先が無常に迫ってくる。
 もう、遊ぶつもりも無く、一気に潰すつもりのようだ。
 …いや、待て。
 何かがおかしい。
 自分を一気に潰そうとする彼女の様子に、フレッドは違和感を感じた。
 ああ…そうか、そういう事か。
 ラウミィの指が自分の上に降ってくる直前に、フレッドは、やっと気づいた。
 …少し、気づくのが遅かったな。
 フレッドは苦笑した。 
 …こんな巨人を倒そうと思った事が、そもそも間違いだったな。
 フレッドの視界が、ラウミィの指で覆われた。
 ずしーん。
 フレッドの上に振ってきたラウミィの指は、全く勢いを弱める事無く地面を貫いた。
 彼女の人差し指の第一関節の辺りまでが、地面に埋まる。
 巨大な指先が土を6メートル程、えぐりとった。
 「勢いよく突きすぎちゃったわね。
  潰した感触もわからなかった…」
 ぐりぐりと、えぐった地面に指を擦り付けた。
 …ああ、私、勝ったのね。
 地面をえぐりながら、恍惚の表情。
 胸がドキドキとして、気持ちいい。
 偽者とはいえ、ついにフレッドが自分に屈したのだ。
 神話の時代のフレッドの事は、確かに最終的には友達と認めた。
 だが、それはそれとして、彼に勝ってみたい気持ち、彼を越えてみたい気持ちは残り続けていた。
 フレッドは小さな体で巨大な妖精と渡り合った、素晴らしい魔法使いだ。虫けらなんかじゃない。
 そんなフレッドを越えてみたかった…
 少し違うが、それが適ったような気がする。
 今、自分は、フレッドの名前を汚した偽者を潰したのだ。
 「これで…もう、誰も私に逆らえないわね」
 ともかく、自分は勝ったのだ。気持ちいい。
 後は余韻に浸って遊ぶだけだ。
 「さ、お供の虫けら共は居なくなったわ。
  そこに這いつくばって謝れば、許してあげてもいいわよ?」
 ラウミィは、足元で呆然としている最後の虫けらに向かって声をかけた。
 もう、彼女の事を殺すつもりは無くなっていた。
 戦いは終わったのだ。気は済んだ。
 もう、これ以上人間を踏み潰して回る事も無いだろう。
 後は、生意気な事をしたリーズにお仕置きをして、彼女を妖精の国に強制的に連れ帰れば良い。それがそもそもの目的だ。
 「ほら、リーズ。
  何とか言いなさいよ?」
 放心状態のリーズを見下ろして、ラウミィは容赦無く言った。