妖精の指先14

 WEST(MTS)

※この文章は巨人が小人を様々な手段で弄ぶ表現が含まれています。
 残酷な表現等が含まれますので、18歳未満の方は読まないで下さい。

 14.ラウミィちゃん

 村から少し離れた所である。
 黒いローブを着た女の子と、赤いローブを着た青年が居た。二人とも魔道士スタイルだ。女の子の方は病気なのか顔色が悪い。
 普通に考えれば、魔道士のカップルか、魔道士のコスプレを着たカップルに見える。
 一応、魔法が使えるという事で言えば、二人とも魔道士には違いないが…
 「今日、来るのだな?」
 尋ねたのは赤ローブの青年だ。彼は魔道士に違いない。傍らに居る女の子に尋ねた。
 「うん。来るよ」
 傍らに居る黒ローブの女の子が答えた。彼女の方は魔道士とは少し違う。小柄で、赤ローブの青年よりも大分年下に見えた。こうして見ると、二人の年の差と身長差には、カップルよりも兄妹に近くも見えた。
 黒ローブの女の子は、空を見上げて、じーっと何かを探している。
 見晴らしの良い草原である。顔を上げると遠くが見えた。
 リーズとフレッドの二人は、ラウミィが来るのを待っているのだ。
 今日は、ラウミィがリーズにファフニーを返しに来る日だった。
 滞在していた村を離れたリーズは、ラウミィが来るのを待っている。
 「本当に…大丈夫か?」
 フレッドは、心配する素振りを隠す事も無く、リーズに声をかけた。
 ただ、村から歩いてここまで来ただけだが、彼女の息は荒くなっていた。まるで、1日中、重労働でもしたかのように。
 病気というよりも、根本的に体が衰弱しているように見えた。少なくとも、こうして長い間外に居るのは彼女にとっては良くない事のように見えた。
 「うん…大丈夫だよ」
 リーズは頷いた。一人じゃなくて、フレッドが一緒に居てくれる事は心強かった。
 二人は、ひたすら待っていた。
 陽が傾きかけた頃、二人はこちらに近づいてくる人影を見つけた。
 それは、空からやってきた。
 フレッドは目が釘付けになった。目を逸らす事が出来ない。
 「本当に…あんなに大きいのか?」
 声がかすれているのが、自分でわかった。
 空を飛んでいる人影は急速な勢いで近づいてくる。魔法を使っても、これ程の速さで飛ぶ自信がフレッドには無かった。
 だが、速度よりも、その人影の大きさがフレッドの目を釘付けにしていた。
 それは人間の女の姿をしていたが、フレッドが知っているどんな大型の魔物よりも大きかった。
 「うん…大きいよ?
  フレッドは…多分、あの子の人差し指と同じ位の大きさじゃないかな」
 寂しそうに微笑んで、リーズは頷いた。
 フレッドはリーズに答えず、呆然と巨大な人影を見つめていた。
 近くまで来たその女は、さほど体重をかけないような優雅な動きで地面に舞い降りた。
 妖精らしい、可憐さを感じる着地だ。
 ずしん。
 そうして彼女が着地すると、立っているのが困難になる揺れが地面を襲った。
 ただ、空から優雅に降りただけで、周囲に小さな地震を起こしてしまう。
 倒れそうになるリーズをフレッドはかろうじて支えたが、しかし、支える腕が震えていた。
 実際にその姿を見るまで、疑う気持ちがあった。
 彼と同じ名前をした先祖の手記にも書いてあった。
 リーズも言っていた。
 リーズとラウミィの争いを遠くで目撃した村人も言っていた。
 妖精達は、人間の何十倍も大きな体をしている。人間なんて、彼女たちの指先ほどの大きさしかないと。
 とても、自分の目で見るまで信じられなかった。
 こんなに大きな、人間の女と似た姿の化け物が居るなどとは…
 フレッドは目の前にある、黒い革靴から目が離せなかった。何十メートルか離れているが、目の前に見えた。
 自分の体よりも大きな女の靴なんて見た事が無かった。
 この靴が…この靴を履いた女が、地面に軽やかに降り立っただけで地震が起きたのだ。
 幾らなんでも、大きすぎる…
 フレッドは上を見上げた。
 下着のように薄い衣装だけを纏った白い肌が、どこまでも上に続いていた。
 足、股、お腹、胸…
 決して動かない人形ではない。心臓や呼吸の鼓動にあわせるように、少しづつ動いている。
 リーズの友達…身長が30メートルほどある女を見上げて、フレッドは硬直した。
 彼は、温室育ちのエリートというわけではない。
 若い頃…今でもまだ20歳だが…は、色々と冒険もした。かなり危ない冒険や魔物にも出くわした。
 だが、それはあくまでも、人間の世界での話だ。
 異世界、人間の世界を遊びで作ってしまった生き物達の世界からの来訪者は未体験だった。
 文字通り、世界が違う。
 大きすぎる。
 フレッドはラウミィの体を見上げて、戦意を喪失していた。
 踏み潰される…のか?
 人間を十人以上、まとめて下に納める事が出来そうな靴から、フレッドは目が離せなかった。
 だが、ラウミィはフレッドの事など見ていなかった。
 今は、足元を這いずる虫けらなどに興味は無かった。
 不機嫌そうに口を開く。
 「リーズ、約束通り、持ってきてあげたわよ」
 足元に居る、黒いローブを着た生き物に向かって不機嫌そうに声をかけた。
 足元に、黒いのと赤いのが居る。
 赤い方は人間の男、つまり、ただのゴミくずだ。興味は無い。
 黒い方、自分の仲間の妖精、リーズに呼びかけた。
 空気が震えるような大声がした。低くて不機嫌な声が体の芯まで響く。フレッドは鳥肌が立つ。
 「この…化け物め」
 かすれた声で、フレッドはラウミィを見上げて言った。
 小さく怯えた、虫けらの声…
 その声をラウミィは聞き逃さなかった。
 「あら…虫けらなのに言葉を話すのね?」
 足元で震えている小さな生き物に、ラウミィは言葉をかけた。
 「私…赤い色は大嫌いよ?
  踏み潰したくなるから…」
 にこりともせず、細い目をフレッドに向けた。
 赤い色。
 あの男の色。
 …踏み潰してしまいたい。
 彼女にとって、赤はそういう色だった。
 だが、足元の生き物を虫けらとしか見ていないラウミィは、足元の人間が、神話の時代に自分と何度も戦った魔法使いと同じ顔をしている事に気づかなかった。
 ゆっくりと、右足の踵を上げて、つま先だけを地面に付けるようにする。
 そのつま先も、やがて地面から浮いた。
 「ねえ…魔道士なんでしょう?
  何かやってみせてよ。
  面白かったら…許してあげるかもね?」
 空中で黒い革靴を履いたつま先を振ってみせる。
 細くて冷酷な目微動だにしないまま、微笑んだ。
 つま先が、フレッドの頭上を覆った。
 十分に人を踏み潰せる位に大きなつま先を、フレッドは見つめる。
 もし…あのつま先が落ちてきたら…
 成すすべも無く、女に踏み潰される場面を想像する。
 それでも、体が動かない。
 恐ろしい。
 さらに恐ろしい事に、目の前の巨大な女の事を美しいと思ってしまった。
 白くて柔らかそうな肢体の上で、冷たく微笑むラウミィの顔から目が離せなかった。
 「そうやって…何人の人間を踏み潰したんだ…」
 彼女に踏み潰される自分の姿が頭から離れない。
 なのに、なんで、こんなに美しいんだ?
 これだけの美しい体のラインを維持したまま、この大きさをしている事が信じられない。
 普通、体が巨大になると、その体を支えるために足や下半身が太くなり醜くなるはずだが、妖精達は美しい体のラインをそのままに、どんな魔物よりも大きな姿をしているのだ。
 この世界の生き物とは、根本的に違う。
 彼女達は、人間を創り、人間の世界を創り、手のひらに乗せて玩具にしてきたのだ。
 人間が彼女達を相手に戦おうと思うこと自体、馬鹿げた話だという事を実感した。
 …本当に、ご先祖様は、こんな連中と渡り合っていたのか? 
 信じられない。
 ご先祖様は、それでも巨大な妖精達と渡り合い、彼女達を人間の世界から彼女達の世界へと追い返したという。
 …俺は、ご先祖様には到底及ばない。
 ただ、震える事しか出来なかった。
 フレッドは、家の屋根のように大きな右足を振り上げて自分を嘲る少女の姿を見て、ただ震える事しか出来なかった。
 …ま、仕方ないよね。
 ラウミィの起こした地震で倒れそうになり、フレッドに抱きかかえられていたリーズは、そんな彼を見て、ため息をついた。
 「…大丈夫だよ?」
 彼の頬を指でつついてみた。
 うふふ、カワイイな。
 無力に震えるフレッドの事を蔑む気持ちも、馬鹿にする気持ちも、しかしリーズには無かった。
 「あたしの知ってるフレッドも…最初から強かったわけじゃないもん。
  いつか…強くなればいいんだよ。
  人間って、そういうものなんでしょ?」
 リーズの知っているフレッドも、最初は大したこと無かった。彼女のお尻に敷かれて死にそうになった事もあったし、彼女の手のひらに入れられて玩具にされる事もしょっちゅうだった。
 でも、ほんの少し…数年見なかっただけなのに、彼は別人のように強くなっていた。
 人間って、そんなものだとリーズは彼に教えてもらった。懐かしいと思った。
 「…すまない、リーズ」
 フレッドは、元気無く頷いた。
 なるほど、リーズは見かけは幼いし、心も見かけ同様に成熟していない。
 だが、それでも1000年も昔から生きているし、ご先祖様と同じ時間を過ごした事もあるのだ。
 …ただ、泣いているだけの子では無いのだな、この子も。
 「情けないが…体が動かない」
 フレッドは悔しさで顔を歪ませながら、リーズに言った。
 「んーん。いいの。
  初めて見たんじゃ、仕方ないって…」
 言いながら、頭上を覆っているラウミィの足を見上げてみた。
 大きい。
 リーズでも怖いと思った。
 「…今日は、あたしに任せといてね?
  えへへ、大丈夫だよ」
 少しの間、フレッドの頬をなぞっていたリーズは、彼の前に立った。
 …大丈夫だよ。君なら、いつか強くなれるから。
 だから、今だけは、あたしに任せてね?
 リーズはラウミィの足を見上げながら、自分の体の封印を解く。
 …ラウミィちゃん、大きいけど、あたしだって…
 辺りが薄い光に包まれた。
 光が晴れたとき、そこには、もう一人、ラウミィと同じ位に大きな、巨人の女の子が居た。
 フレッドを虫けら扱いしているラウミィと同じ位に大きいが、彼女はフレッドを庇うようにして立っている。
 リーズはラウミィと同じ位の大きさになると、何も言わず、責めるような目線でラウミィの事を見つめた。
 「そんな目で見ないでよ。
  リーズの見てる前で、虫けらを踏み潰したりはしないわよ…」
 ラウミィは渋々と、フレッドに見せつけていた足を地面に降ろした。
 ずしん。
 もう一度、地震が起こった。
 リーズやラウミィにとっては揺れすら感じないが、フレッドにとっては地震だった。
 二人の女の子の巨人を、フレッドは見上げている。
 リーズのラウミィを責める目線は変わらない。ラウミィは耐えられなくて、何となく目を逸らした。
 彼女達の視線に、フレッドは入っていない。
 相手にされていない事を幸運に思ってしまう。
 徐々に…
 そんな自分に対する怒りを、フレッドは感じ始めた。
 あれ程、可愛くて大事に思っていたリーズの事さえも、空を覆ってしまうような彼女の巨大な黒ローブを見たら恐ろしいと思ってしまった。
 …なんて情けないんだ、俺は。
 悔しい。
 足元の小さな生き物の感情、もちろん二人の古代妖精には全く気づかなかった。
 「わかったわよ…返してあげるわ」
 ラウミィはリーズの目を見ずに胸の間に手を入れると、小さな人形のような物を取り出した。
 それが少し動いているように、リーズには見えた。
 彼女達の足元に居る、その人形と同じ位の大きさをしたフレッドには、それが自分と同じ人間に見えた。
 リーズの目が、ラウミィが取り出した人形に向いた。
 …大昔、こんなシチュエーションがあった気がする。
 「…さ、しっかり受け取りなさい」
 吐き捨てるような、ラウミィの声。
 「や、やめてよ!」
 リーズの声色が上ずっている。
 何をする気なんだ?
 フレッドは、彼を無視して頭上で繰り広げられる女の子達の会話が理解出来ない。
 無造作に、ラウミィは手の中にある人形を投げた。
 ゴミでも投げ捨てるように、少し勢いをつけて、投げた。
 リーズの顔が真っ青だ。
 ラウミィが投げた物を、落とすわけにはいかない。
 …ファフニーは、自分で飛んだり出来ないんだよ!?
 自分が受け止めないと、ファフニーは、何十メートルか下の地面に叩きつけられる。リーズにとっては自分の身長にも満たない高さでも、人間にとっては、身長の何倍にもなる高さだ。
 両手を広げて、受け止めた。
 しっかり受け止めたいけれど、力を入れてもいけない。
 …あたしが力を入れたら、ファフニーなんて握りつぶしちゃうもんね。
 今は、自分の体が大きすぎて、ファフニーの体が小さすぎる事が嫌だった。
 しっかりと…しかし、力を入れないようにして、リーズはラウミィが投げつけてきた人影を手の中に受け止めた。
 うつ伏せの姿勢で、ファフニーはリーズの手のひらの中に収まった。
 一週間ぶりに、リーズは彼を手のひらに乗せた。
 「あら、上手に受け止められたわね?」
 ラウミィの小馬鹿にしたような声も、リーズの耳に入らなかった。
 ファフニーは体に何も着ていない。
 日の光を浴びていなかったせいか、少し青白くて不健康になった素肌を晒していた。
 よく見ると、青い内出血や痣が体中にある。左手の肩と肘の間が変な風に曲がっているから、骨が折れているのかもしれない。
 一目見て、玩具にされて痛めつけられたのがわかる
 彼は、ほとんど動かない。女の子に裸を晒す事の恥ずかしさから逃れる事も忘れてしまったようだ。
 「ファフニー!
  大丈夫??」
 リーズは、自分の手の中に居る、ぐったりとした小さな生き物に呼びかけた。
 微かに動いている。まだ、生きている。だが、無事とは言えない。
 ファフニーとは毎日、遠くからでも魔法で話をしていたから、彼の様子はわかっているつもりだった。
 だが、実際に彼の姿を見てみると、彼が無理をして元気そうに振舞っていた事がわかった。
 こんなになるまで虐められてたのか、ファフニーは…
 「リーズ…ごめんなさい。
  大丈夫ですから…あまり…見ないでもらえますか?」
 ファフニーは、弱々しく言った。
 喉の中が乾いて、痛くて、あまり声が出なかった。
 リーズの手のひらに戻れたのは嬉しいけれど、こんな風に惨めな姿を見られるのは恥ずかしかった。
 「うん…
  もう、大丈夫だから、休んでてね?」
 せっかくファフニーが手のひらに戻ってきたけれど、玩具にする気にならなかった。
 彼の姿を見なくてすむように、手のひらを少し閉じた。弱った彼に触らないように気をつけながら、そーっと手を閉じる。
 頭に血が上ってきた。
 注意しないと、ファフニーが手の中に居るのも忘れて、手を握り締めてしまいそうだ。
 …やり過ぎだよ、こんなの。
 確かに自分も、ファフニーを好きに玩具にするし、力加減を間違えて、骨位は折ってしまった事もある。
 そういう遊びは大好きだ。
 でも、これは遊びを越えている。
 惨めに弄ばれたファフニーの姿は、リーズを怒らせた。
 リーズは、ファフニーを手のひらに包んだまま地面に膝をつくと、ゆっくりと手を開き、彼をフレッドに示した。
 「フレッド…ファフニーの事、お願いしていい?」
 本当は、自分の手でファフニーの体を治してあげたかった。
 でも、少しでも力を残しておきたかった。
 ラウミィの頬を殴るための力を。
 怒りをこらえて、フレッドを怖がらせないように優しく振舞うリーズの姿。
 「わかった…」
 それは、フレッドに伝わった。ますます、彼は自分が情けなくなった。
 フレッドはリーズの手のひらの上に居たファフニーを抱きかかえると、地面に降ろしてやった。
 間近で見ると、ファフニーの痛めつけられた様子がよくわかった。
 …なんだこれは?
 彼は玩具の人形だというのか。
 人間として扱われた傷は無かった。何かの拷問でもされたか、それこそ玩具にされた傷である。

 用意してきた、布製の衣服をファフニーに被せてやる。
 …ふざけるなよ。
 フレッドは、ラウミィの事を見上げた。
 柱のように太い二本の足に支えられた巨大な体は、確かに人間をこういう風に痛めつける事も容易いだろう。
 でも、自分に何が出来る?
 彼女の人差し指ほどの大きさしかない自分の力で何が出来る?
 悔しいが、自分は彼女に比べて小さすぎる。弱すぎる。
 「リーズ…彼の事は任せておけ」
 怒りを抑えて、せめて、ファフニーの事は引き受けようと思った。
 彼の体に手を触れて、回復魔法を使う。
 リーズは、フレッドの様子を見ていたら、少し心が収まった。
 …フレッドに任せておけば、大丈夫だよね。フレッドなんだもん。
 再び立ち上がると、ラウミィをにらみつけた。
 …失敗したわね。
 ラウミィは、自分の失敗を理解した。
 どうやら、ファフニーを連れ去った事は逆効果だったようだ。
 ファフニーを壊しつくして、人としての理性や尊厳を失ったファフニーをリーズに見せつけ、彼女が人間を尊敬する気持ちを砕いてやるはずだった。
 そうして、彼女を妖精の世界へと連れ帰るはずだった。
 だが、これでは、痛めつけられても心を失わなかった、人間のたくましさを証明したようなものだ。
 子供のように浅はかな考えだった事を、彼女は理解した。
 友達に睨みつけられるのも、良い気分ではない。
 「そんな目で見ないでよ。
  いいじゃない、そんな小さな人間の一人位…」
 すねるように、目を背けた。
 「…じゃ、どんな目で見たらいいのよ」
 リーズは、先ほどまで大事にファフニーを包んでいた手を握り締めた。
 「ファフニーを殺さないでくれて、ありがとうございます。
  って、笑顔でお礼を言えばいいの?」
 今にも殴りかかりそうな勢いだ。
 「ねえ…もう帰りましょう?
  向こうに帰ってから、話しましょうよ。
  大丈夫よ?
  人間を食べなくても、帰れる力を教えてあげるから…」
 優しい声でラウミィは言った。
 彼女は、別にリーズと争うつもりは無かった。
 「ふざけんじゃないわよ!
  まず、謝ってよ!
  何考えてるのよ、一体!」
 リーズがラウミィを怒鳴りつけた。
 今のラウミィと一緒に、妖精の世界へ帰る気にはなれなかった。
 「ちょ…大きな声、出さないでよ」
 ラウミィが、顔を歪めている。
 彼女にとってはその程度だったが、彼女達の足元に居る、小さな生き物にとってはそれ所では無かった。
 「うわ、ごめんなさい!」
 謝ったのはファフニーだ。
 フレッドの魔法で体の傷を癒されかけていた所で、一気に意識がはっきりした。
 飛び起きる。
 全身から冷たい汗が流れる。
 自分に向かって足を振り上げて、容赦なく巨大な足を振り降ろす、黒いローブを着た女の子の絵が頭に浮かんだ。
 「い、いや、君に言ったわけじゃないと思うぞ」
 フレッドも、そう言いながらも、彼女の声を聞いた瞬間は体が動かなくなった。
 リーズがこうやって怒鳴るのを聞くのは、初めてだった。
 「…あたし、言ったよね?
  ファフニーに酷い事したら、ただじゃおかないって!」
 リーズは足元で男達が怖がっているのも気づかず、ラウミィに詰め寄る。
 だが、彼女もどうして良いかわからなかった。
 ラウミィを殴ってやりたい。
 でも、彼女には力では敵わない事がわかっている。
 毎日人間を食べている相手には、適わない。
 もう、息が苦しくなってきた。
 少し、元の姿に戻っただけで、体が苦しい。
 怒りに任せてラウミィを引っぱたいて、その後は、どうなるだろう?
 多分、ラウミィは自分を殺したりはしない。妖精の仲間だからだ。
 でも、足元に居る小さくて可愛い生き物はどうなる?
 自分にとって可愛くて大事な人間も、ラウミィにとってはただの虫けらだ。
 彼女の怒りが、八つ当たりとして小さな生き物に向けられる事はありえる。
 ちょっと前のあたしだったら…何にも考えないで殴ってたと思うけど。
 どうにか、この場はラウミィを退散させなくちゃならないと思った。
 守らなくてはならない。人間達を。
 一歩だけ前に出て、ファフニーとフレッドを自分の影に隠した。
 …でも、どうしたらいいの?
 リーズは、やはり子供だった。
 どうにかしたい気持ちはあるが、どうして良いかわからなかった。
 ファフニーは、そんな妖精たちを見上げて微笑んだ。
 …リーズ、やっぱり可愛いな。僕の事を庇ってくれるんだ。
 その事は嬉しかった。
 「…あなたが、『七人の子供達』のフレッドですね?
  ありがとうございます。噂は聞いてますよ」
 呑気にフレッドに言った。
 体の傷は大分楽になった。自分を治してくれた赤ローブの魔道士に礼を言った。
 「すまないな…こんな事しか出来なくて」
 フレッドは首を振った。
 「僕の体…もう少し動くようにしてくれますか?」
 「そうだな、もう少しで、自分の足で逃げられるようには…してやれる」
 体は傷ついていたが、それでもファフニーは見かけよりはタフな男だ。傷さえ治せば動けるようになりそうだった。
 ともかく、この場を離れた方が良い。
 巨大な妖精達の争いに巻き込まれない所まで。
 「いえ…戦いますよ?
  リーズを見捨てて逃げる事は出来ません。
  …今のリーズじゃ、あの子には絶対に勝てませんよ?」
 ファフニーは微笑んだ。
 …ふふ、僕が足元でちょろちょろしたら、リーズ、また怒るだろうな。
 もちろん、リーズが勝てる相手なら、迷わず自分は逃げて、彼女の足手まといにならないようにしたい。
 でも、彼女に勝ち目が無い相手なら…
 「やめておけ。君が何をしても、一瞬、あの化け物の注意を引く程度にしからならない。
  踏み潰されるまでの一瞬…な」
 なるほど、リーズが助けたがるわけだ…
 無謀だが迷いが無いファフニーの様子は、フレッドの心にも響いた
 言葉を交わす二人の人間の頭上では、やはり二人の妖精が、お互いに動けずにいる。
 ラウミィも、リーズと争うのが目的ではないから、困って動けなかった。
 だが、そうして停滞する時間はリーズの敵だった。
 もう少しすれば、リーズは今の姿で居る事すら出来なくなってしまう。
 そうなれば、全て終わりだ。ラウミィに誰も逆らう事は出来なくなる。
 …どうしたらいいのよ?
 でも、リーズは何も思い浮かばず、手を握ったまま立ち尽くした。
 妖精達は動かない。
 フレッドは、動かない二人の妖精を交互に見上げた。
 彼女達の足があわせて四本、柱のようにそびえ立ったまま止まっている。
 …俺は、リーズを守ってやるんじゃなかったのか?
 ただ、彼女の足元で震えている自分。
 自分よりさらに無力なのに、迷わず彼女を助けようとするファフニー。
 この場に居る者の中で、自分が一番、情けないとフレッドは感じた。
 まあ…いい
 「ファフニー…
  君の気持ちはわかった」
 フレッドは小さく言った。
 そうして、美しいラウミィの事を見上げた。
 リーズと同じ位か、少し年上。ファフニーよりは幼く見える。
 だが、細い体と冷たく笑う目は魅力的に見えた。
 少女と言うべきか女と言うべきか、難しい。
 だが、本当に…美しい。
 それは、認めざるを得ない。
 こんなに美しい女に、虫けらのように踏み潰されるのも一興…か。
 足元の人間に目もくれずに悠然と立っている彼女を見上げていたら、笑みがこぼれた。
 「君は、やはり休んでいろ。君が死ぬと、リーズが泣く。
  今だけは…君の気持ちは、俺に預けてくれないか?」
 フレッドはファフニーに声をかける。
 ファフニーは、ラウミィの玩具にされて、虫けらのように扱われた。
 どうしようもない力の差を思い知らされても、まだ、リーズの為だったら戦うと言った。
 そんな彼の心に、フレッドは嫉妬した。
 「わかり…ました」
 フレッドの小さくて優しいが、心がこもった声に、ファフニーは逆らえなかった。
 それから、フレッドは人を馬鹿にしたような、無防備な薄着姿で立っている巨大な女を見上げた。
 相変わらず、ラウミィは足元に居る自分達には全く見向きもしない。
 何にも出来ない、小さな虫けらだと思っているのだ。
 ふふ…その通りだ。
 自分の靴よりも小さな人間など、彼女にとっては虫けら同然だろう。
 フレッドは笑った。
 …ふざけるなよ。
 口元が笑顔のまま、歪んだ。
 沸いてくる怒りに、身を任せた。
 「俺なら、針で刺した位の傷程度なら…つけてやる事が出来る」
 魔法の力を集める。
 それ位の力は、あると思った。
 ご先祖様が、まだ修行中の頃、初めてリーズにあった時でも、それ位の事なら出来たという。
 それ位の事なら自分だって…
 一矢報いてやりたいと思った。
 この、人間を見下す化け物の女に思い知らせてやりたかった。
 …大きいから、強いから、何でも出来ると思いやがって。
 怒りが沸き続ける。
 人間を踏み潰す事に何の躊躇も無い巨大な少女。
 純粋な少年の体と心をずたずたにしても、楽しさしか感じていない。
 何百人も、何千人も、人間を玩具にして殺して…
 …何様のつもりだ?
 ラウミィの美しい体を傷つける事の罪悪感を忘れた。
 その指で何百人の人間を握りつぶして…その足で何百人の人間を踏み潰したのだ?
 …あいつは…あの巨大な女は、化け物だ!
 魔法の力は、集まった。
 「この…化け物め!
  殺してやる!」
 フレッドは怒鳴った。怒りが彼の心を支配していた。
 小さな生き物が、足元で何かわめいている。
 その声は、妖精達にも届いた。
 小さな虫けらの足掻く声。
 だが、リーズもラウミィも、その声には聞き覚えがあった。
 二人とも、その声には良い思い出が無い。
 特にラウミィは、先ほどまで全く意識を向けて居なかった人間に、初めて心を向けた。
 「お、お前…」
 声が言葉にならない。
 何故、自分は今まで気づかなかったのだろう?
 ラウミィは人間を見ようともしなかった自分に後悔した。
 赤いローブを着ていた。
 リーズの知り合いだった。
 魔法を使おうとしていた。
 これだけの条件があって、何故、あの男の事を思い出せなかったのだろう?
 あの男だけは、違う。
 あの男にだけは、好き勝手に魔法を使わせてはいけない。
 飛んで逃げようか?
 いや、いっそ踏み潰した方が早いだろうか?でも、あの男を踏み潰すのは…
 気が動転して体が動かない。
 そもそも、何であの男が居る?もうとっくの昔に死んだはずだ。だから、忘れていたのに…
 冷静に足を少し上げてから降ろせば、フレッドを踏み潰す事も可能だっただろう。
 だが、ラウミィは動けなかった。
 彼女はフレッドという男を踏み潰すつもりも無かった。
 あの男だけは、違う。
 あの男だけは…友達だ。
 そして、フレッドがラウミィに向けて手をかざした。
 「フレッド、やめて!」
 リーズが声を上げた。
 同時に、空気が震えた。
 魔力の塊がラウミィに向かって放たれた。
 火にも氷に変換されない純粋な魔力が、破壊の為だけに飛ばされた。
 リーズもラウミィも、痛い目にあわされた覚えがあった。
 フレッドの魔法に無防備に貫かれ、ラウミィの体が空を舞った。
 「きゃあぁ!」
 彼女らしからぬ悲鳴を上げた。
 弱々しい。
 あの男だけは、例外だ。
 フレッドだけは、いけない。
 妖精を傷つける力、殺す力を持った男の事を思い出した。
 フレッドの魔法の直撃を受けたら…いくら私でも…今の姿じゃ殺される。
 1000年間忘れていた、死の恐怖をラウミィは思い出した。
 どーん!
 地面に叩きつけられた彼女の体が、轟音と地震を響かせた。
 「殺して…やる」
 怒りがさらに満ちてくるのがわかる。
 予想以上に自分の魔法が効いた事にも、フレッドは気づかない。
 怒りと憎しみだけが、彼を動かしていた。
 フレッドは、もう一度魔法の力を集め始めた。
 …まるで、あの時のフレッドみたい。
 怒り狂ったフレッドに、リーズは見覚えがあった。あの時…自分がマリクを食い殺した時に怒ったときのフレッド。あの時は、その怒りは自分に向けられていた。
 …やっぱり、この人はフレッドだ。
 嬉しいよりも、リーズは怖かった。
 「フ、フレッド、落ち着いて!」
 リーズは、自分の怒りも忘れて彼をなだめようとした。
 「こ、この…」
 ラウミィは、まだ立てないで居た。
 思ったよりは、ダメージ受けていない。
 フレッドにしては、大した事が無い気がした。
 それでも 十分に痛いが、あの男は、こんなもんじゃない…
 魔法を受けた胸の辺りが痛いけれど、少しすれば動けそうだ。
 だが、フレッドがそれを許してくれるだろうか?
 続けて魔法を受けては、本当に殺される。
 昔のフレッドは何度も自分を見逃してくれたが…
 「死ね…化け物め!」
 もう一度、フレッドは叫んだ。
 再び魔法の力が放たれた。
 ラウミィは死を間近に感じた。
 「やめて!」
 リーズが手を広げて、二人の間に入った。
 怖くて目を閉じた。
 先ほどラウミィを吹き飛ばしたのと同じ位の魔力が彼女を襲った。
 妖精を傷つける事が出来る力だ。
 彼女自身も含めて、この場に居る全員の顔色が変わった。
 今の弱ったリーズが、この魔力を受けたらどうなるだろう?
 「リーズ!」
 真っ先に叫んだのはファフニーだ。
 彼女の名前を呼ぶ以外、何も出来なかった。
 僕は…結局リーズに何もしてあげられないの?
 高いところにある彼女の顔を、見上げる。
 そして、魔力の光が、リーズの黒いローブの上で弾けて、広がった。
 光は弾けながら、リーズのローブの上で跳ね回る。
 彼女の体が魔力の光に包まれ、輝いた。
 「…あれ?」
 きょとんとして、首を傾げたのリーズだ。
 「平気…なのか?」
 唖然としたのはフレッドだった。
 リーズの黒いローブの上で弾けた魔力は、そのまま消えてしまった。
 全くの無傷。
 「このローブって、こんなに凄かったのね…」
 マリクにもらった黒いローブ。
 その魔法耐性の高さを、彼女自身も知らなかった。
 一瞬の沈黙。
 「フレッド…フレッドなんでしょ?
  何するのよぉ!」
 破ったのはラウミィだった。
 目に涙が浮かんでいる。
 「お前…どんなに私がずるい事しても、不意打ちなんてしなかったじゃない…
  いつも、正々堂々してたじゃないのよ!
  酷い…酷いよ!」
 地面に座り込んだまま、取り乱している。
 あの男が…フレッドが…なんで?
 状況が理解出来ない。
 「ラ、ラウミイちゃん?」
 子供のように、泣き喚いている。
 こんなラウミィを、リーズも見た事が無かった。
 「お前なんか…お前なんか、フレッドじゃないわ。
  フレッドの姿をした…妖精を殺す化け物め!」
 言いながら、ラウミィは、ふらふらと立ち上がった。 
 「うるさい…化け物!」
 フレッドは聞く耳を持たない。
 もう一度、魔法の力を集め始めた。
 「踏み潰してやるわ…この化け物め」
 にたりと笑った。
 ラウミィの目は、正気とは思えなかった。
 「うふふ、そうよね…フレッドは、ずっと昔に死んだんだもんね…」
 少し、状況を理解し始めた。
 ずしん。
 一歩、歩く。
 「何よ…格好だけ、フレッドと一緒で…
  ゴミくず…
  化け物…」
 有利なのは自分だ。
 このフレッドに似た男の力は、本物のフレッドには遠く及ばないと思えた。
 怒って我を忘れているこの虫けらは、私が踏み潰すのと自分が魔法を使うのと、どっちが早いのかも理解出来てないようだ。
 …何よ、出来損ないの偽者じゃない。
 ずしん。
 もう一歩、歩く。
 一瞬、フレッドと見間違えた男は、やはり虫けらだ。
 ちょっと足を踏みおろしてやれば無力に潰す事が出来る、ゴミくずだ。
 よりによって、フレッドの真似をするなんて…
 「さあ、踏み潰すわよ。
  防げるもんなら…逃げれるもんなら…やってみなさいよ?
  フレッドだったら、それ位出来るわよね?」
 あの男なら、そんなに簡単に踏み潰されやしない。
 ずしん。
 もう一歩、歩いた。
 にやにやと笑って、一歩で数十メートルの距離を縮めて歩いた。
 …そうよ、落ち着けば、こんな虫けらに負けるはず無いわ。
 足元に居る赤いローブを着た小さな生き物が魔法を使う前に踏み潰す事は容易い事だと思った。
 あと一歩だけ、歩く。
 それで、小ざかしい人間は自分の足元で挽肉のように潰れるのだ。
 フレッドは怒りに任せて魔法の力を集め続けた。
 リーズが立ち上がった。
 マリクのローブの防御力に唖然としていたが、踏み潰されそうなフレッドを見て、あわてて飛び出した。
 「やめて、ラウミィちゃん!」
 フレッドの前に立って、ラウミィの体を抑えようとする。
 ラウミィは、なんだかんだ言っても妖精の仲間だ。フレッドの魔法で死んだら嫌だ。
 だから、あわてて庇った。
 でも、フレッドも、昔のフレッドじゃないけど、フレッドだ。ラウミィに踏み潰されて死んだら嫌だ。
 だから、あわてて庇おうとする。
 目先の感情だけで、リーズは動き続けた。
 大きな体で、おろおろとしている。
 「あんた…どっちの味方なのよ!」
 ラウミィが血走った目で、自分にまとわりつくリーズをにらんだ。
 「…え?」
 一瞬、リーズの力が抜けた。
 …あたし、人間と妖精の、どっちの味方なんだろう?
 悩んでしまう。
 ラウミィがリーズを突き飛ばした。
 そこに、フレッドの魔法が再び飛んできた。
 もう一度、ラウミィは飛ばされた。
 ずしーん!
 ずしーん!
 二人の妖精が、それぞれ派手な音を立てて地面に倒れた。
 だが、フレッドも後先考えずに3度も大きな魔法を使ったので、立っている事が出来なくなって倒れてしまった。
 赤いローブを着た魔法使いは、両膝を地面につく。
 ただ一人、何も言えず、何も出来ずに居たファフニーだけが無力に立ち尽くしていた。 
 …分が悪い。逃げなきゃ。
 ラウミィは自分が不利な事を理解した。
 リーズに纏わりつかれたら、フレッドに似た虫けら踏み潰す事が出来ない。
 今から大きな力を使うには、ダメージを受けすぎた。
 今度、魔法を受けたらさすがに… 
 「…お前たち、もう許さない。
  皆殺しよ…」
 せいぜい、憎しみを込めていう事しか出来なかった。
 「…もう遠慮しないからね。
  油断さえしなければ、誰も…リーズだって私を止められないもの」
 笑いながら、ふらふらと立ち上がった。
 実際、本当の力を出せば、彼女は負ける気は全くしなかった。
 小さくて無力な人間が何百人束になってかかってきても、リーズが一緒になって反抗したとしても、まとめて踏み潰してしまう自信が、彼女にはあった。
 ただ、さすがに今回は油断しすぎた。何の準備もしていない所にフレッドの…いや、フレッドに似た虫けらの魔法を2度も受けたのは不味かった。
 もし、リーズが庇ってくれなくて、3度とも受けていたら…
 「リーズも…覚えてなさい?
  これ以上邪魔したら…あんたでも踏み潰すわよ」
 もはや、妖精の仲間でも容赦する気は無かった。
 人間の世界に来た、当初の目的すら忘れつつある。
 「うふふ…人間を踏み潰すのは、やめてあげようかしら。
  …全部、食べる事にしようかしらね。
  …あはは、優しく指で潰しすのもいいわね」
 立ち上がったラウミィは、光で出来た羽を広げた。
 「待って!ラウミィちゃん!」
 リーズの声は届かない。
 「そうね、仲良しの人間だったら…一人づつ潰したら可愛そうね。
  何十人か椅子の上にでも並べて、まとめてお尻に敷いてしまうのが優しくて良いかしらね。
  …他にも、面白い遊び方…考えなきゃ。
  何万匹も居るんだもんね…
  楽しい事しないと…途中で飽きちゃうもんね…」
 弱々しくだが、ラウミィの体が浮き始めた。
 「うふふ…人間も…人間に味方する奴も、全員殺してやるわ…
  あはは、あはははは!」
 ラウミィの哄笑が響く。
 「フレッド…お前だけは、いっぱい…いっぱい…いっぱい…いっぱい…遊んであげるからね…」
 目が虚ろだ。
 どうやって人間を潰して回るかで、頭がいっぱいだ。
 そんな狂気を目に浮かべながら、ラウミィは飛び立っていった。
 このまま彼女を行かせてはだめだ。
 今の彼女は、本当に、ただの巨大な化け物である。
 そうは思っても、リーズもフレッドも、弱々しく逃げる彼女すら止める力が残っていなかった。
 「く…人間から逃げるんですか?
  ゴミくずに背中を向けて逃げ出すんですか!」
 ファフニーが、剣を構えて叫んだ。
 自分の体の何十倍もある、人間を殺したくてたまらない少女を挑発する。
 …きっと、今度こそ踏み潰されるかな。
 それでも、彼女をこの場に引き止めなくてはならないと思った。
 「もう!ファフニーは、黙ってて!
  小さくて、何の役にも立たないんだから!」
 間髪入れず、リーズが怒鳴った。 
 ファフニーの考えている事などお見通しだ。
 彼を虫けらのように踏み潰させるわけには、いかない…
 「ふん…茶番も見飽きたわ」
 ラウミィは逃げながら、鼻で笑った。
 「お前みたいな虫けら…眼中に無いわ。
  何を言われても、怒る気にもならない」
 ファフニーの言葉に、耳を貸さなかった。
 「僕は…僕は虫けらじゃない!
  小さくて…何の役にも立たないかもしれないけど…人間だ!」
 リーズに、小さくて何の役にも立たないと言われた。
 ラウミィに、虫けらと言われた。
 小さくて無力な自分の事を相手にもしない妖精達に、叫ばずにはいられなかった。
 ここ一週間ほど、ラウミィに身も心も玩具にされて、何も逆らえなかった事を思い出す。
 確かに、自分が彼女達に比べて小さすぎて無力なのは、よくわかっているけれど…
 …僕は、人間なんだ。玩具の人形や虫けらじゃないんだ。
 目に涙が浮かんだ。
 そのまま、ラウミィの影は空へと消えていった。
 結局、ファフニーは何も出来なかった。
 「ごめんね…ファフニー…」
 心身共に傷ついているファフニーに言い過ぎた気がして、リーズは謝った。
 謝ったが、やはり彼が小さすぎて、自分達の争いに介入できる存在でない事は確かだとも思った。
 「いえ…ごめんなさい、小さくて…無力で」
 せめて、フレッドのように魔法でも使えたらと、ファフニーは悔しかった。
 ラウミィが完全に見えなくなった頃、リーズは小さな姿に戻った。
 同時に地面に倒れこんだ。
 立っている事など、不可能だった。
 ファフニーが駆け寄って、彼女上半身を膝に乗せて抱きかかえた。
 「でもね…いいよ…?
  ファフニーは小さくても…無力でも…
  …えへへ、その方が玩具にして遊びやすいもんね?」
 苦しそうな顔で、リーズは微笑んだ。
 …ずるいよ、リーズは。
 ファフニーは、ため息をつく。
 大きい時は馬鹿みたいな力だから、僕が逆らう事なんて出来ない。
 小さくても、こうやって可愛く微笑むから、結局、僕は逆らえない。
 …でも、それでいいのかな。
 先ほどまでは高い所から自分を見下ろしていた少女は、今は無力に自分に体を預けて膝の上で休んでいる。
 癒されているのは自分の方かも知れないと思った。
 フレッドも、ゆっくりとリーズとファフニーの所に近づいてきた。
 「あの化け物、これからは容赦無いだろうな」
 フレッドの怒りは、まだ収まらない。
 ラウミィは人間を殺しつくすまで止まらないのではないかと、重々しく言った。
 それはその通りだと、ファフニーもリーズも思った。
 「フレッド、君、結構強いからびっくりしたけど…やり過ぎだよ」
 リーズは、ため息をつきながらフレッドに言った。
 「ラウミィちゃん、一応ファフニーは返してくれたし、君の事も殺そうとはしなかったでしょ?
  …あたした居たからだと思うけど。
  殺そうとするのは…やり過ぎだよ」
 彼の事を責める気持ちが、少しだけあった。
 フレッドは大好きだ。
 でも、ラウミィも、今は揉めているけど、何だかんだ言っても妖精の仲間だ。
 「リーズ…済まないが、俺は謝る事は出来ない」
 まだ怒りが収まらない様子で、フレッドは言った。
 「あの女は、人間を蹂躙する巨大な化け物だ。
  何百人…神話の時代から数えれば、きっと何千人も人間を玩具にして殺してきたんだぞ?
  …許す事は出来ない」
 そう言って、リーズを見つめた。
 リーズも古代妖精である。
 彼の古代妖精に対する憎しみが、リーズは怖いと思った。
 「でも…」
 リーズは言い返そうとする、言いたい事が言葉にならない。
 「ふ…俺が気に入らないなら、大きくなって、リーズの好きにすればいいだろう」
 フレッドは苦笑いしながらリーズに言う。
 「そのローブを着ている限り…俺も、どんな魔法使いも、お前に傷一つ付ける事さえ出来ない。
  お前がその気になれば、人間を何百人か殺す事だって簡単な事じゃないか」
 まるでラウミィに向かって言葉をかけるように、目の前の黒ローブの女の子に言った。
 リーズのローブ…マリクがくれたローブ…は、ラウミィにダメージを与える魔法でさえ無効化していた。
 確かにこのローブさえ着ていれば、リーズは人間に対しては圧倒的な力を振るえるが…
 「そんな…そんな事…言わないでよ…」
 リーズの目に涙が浮かぶ。
 「なんで、フレッドも…ラウミィちゃんも…」
 声を上げて泣きそうになる。
 …あたしが悪いの?
 少しだけ体を起こして、ファフニーの胸に顔をうずめた。
 結局、困っときにはファフニーが一番だ。
 小さくなったリーズがこうして体を寄せてくるのは初めてだったが、ファフニーは、それが当然の事であるように彼女を抱きとめながら、服の袖で彼女の目を拭いてあげた。
 リーズは静かに泣き続けた。
 「フレッド…気持ちはわかりますが、リーズを虐めるのはやめてくれませんか
 静かに微笑んだ。
 リーズが自分のそばに居ると、とても気が落ち着いて優しくなれた。
 「リーズが、どんな気持ちで、あなたの魔法からラウミィを庇っていたのか…
  ラウミィがあなたを踏み潰そうとするのを止めていたのか、わかって頂けませんか?」
 ファフニーはフレッドの方を見ず、リーズの髪を撫でた。
 彼もまた、人間と妖精の間に立っている存在だった。
 「い、いや、リーズを虐めるなんて…」
 あわててフレッドは首を振った。
 俺は、何をしているんだ?
 ファフニーに言われて、頭が冷えた。
 「いや、だが…そうだな。
  やはり、謝っておこう。
  俺にとっては人間を弄ぶ化け物でも…リーズにとっては友達なのだな。
  それと…すまない、リーズ。
  俺は…あなたを化け物のように言ってしまった」
 リーズを泣かせて、どうするというのだ?
 フレッドは首を振った。
 …やっぱり、俺はご先祖様には遠く及ばない。
 情けなくて、悔しかった。
 「でも、間違ってはいなかったと…僕も思います。
  リーズがラウミィを説得出来るようにも見えなかったし。
  もし、フレッドが何もしなかったら、どうなってたか…」
 手詰まりの状況だったのは確かだ。
 あのままリーズが時間切れで、妖精の大きさで居る事が出来なくなっていたら、3人共、ラウミィの手のひらの上で思い通りの玩具になるしかなかった事は確かだ。
 リーズの見てる前で、ファフニーやフレッドが殺される可能性は低かったし、リーズも妖精の国に強制的に連れ帰られるだけなら、それ程の大問題では無いかもしれないが、気まぐれなラウミィが何をしたかは、結局、想像出来ない。
 その事は、リーズにもわかる。
 「それは…そうだよね…」
 ファフニーの声にリーズは沈んだ声で答えた。
 「…結構辛いね」
 リーズは、まだ涙声だ。
 「大丈夫ですか?」
 「んーん、体じゃないの。
  …体も辛いけど」
 リーズがため息をついた。
 「マリクに…昔言われたの」
 昔の友達の事を思い出す。
 「『人間と妖精の架け橋になるには、リーズは弱すぎる。友達同士が殺しあう場面に耐えられるの?』てね
  …これ、辛いよ。思ってたより、ずっと辛い…」
 少なくとも、あの頃の自分じゃ、絶対耐えられなかった。
 「そうか…
  俺もラウミィも…もちろんファフニーも…みんな、リーズにとっては…」
 フレッドはリーズの立場を理解した。
 みんな、リーズにとっては友達。大切な相手。
 それでもフレッドはラウミィの事を許す気にはなれなかったが、リーズの気持ちも考えなくてはならない。
 「…本当に、すまないな。辛い事を言って」
 もう一度、フレッドは謝った。
 「いいよ…フレッド。
  さっきも…言ったでしょ?
  昔のフレッドも、最初はダメダメ君だったんだよ?
  ラウミィちゃんの事は、また今度、何とかしようよ…」
 リーズは言った。
 フレッドは、やはりフレッドだと思った。怖いけど、優しい人だ。
 「とりあえず、村に帰ろうよ?
  ファフニーも無事だったし。
  あたし、嬉しいよ…」
 こうしてファフニーとフレッドが無事なのを見ると、嬉しい。
 ひとまず村に帰るというのには、二人の人間も賛成だった。というより、他にどうしようもない。
 …人間って、面白いな。
 リーズは、ファフニーとフレッドを見ると、そう思う。
 何だかんだ言っても、人間なんて小さくて無力なものだと思っていた。
 ファフニーは妖精の女の子の圧倒的な大きさと力の前には、成す術が無い。
 フレッドは強かったけど、100年もしたら、勝手に年を取って死んでしまった。
 マリクですら、自分に食べられて居なくなってしまった。
 人間なんて、そんなもんだと思っていた。
 小さくて弱いから、大事にしててもすぐに居なくなってしまう、可愛い生き物だと。
 でも
 「ファフニーも帰ってきたし、フレッドにもまた会えたし…
  マリクも、どこかに居るんだよね?ファフニーとお話したんだもん」
 リーズは嬉しかった。
 みんな、居なくなったと思ったけど、居なくなっていなかった。
 ファフニーは帰ってきた。
 フレッドの心と力は1000年経っても残っている。
 マリクに至っては、今でもどこかで自分達を見ているようだ。
 「ねえ…お腹すいたよ。
  帰ったら、ご飯食べたいな」
 リーズは言った。
 大事な人間達が、昔も今も自分の所に居てくれる事を理解したリーズは、お腹がすいてきた。
 「人間以外なら…いや、例え人間でも、用意しよう」
 フレッドが言った。
 「い、いや、人間は食べない…」
 この人、本気で人間でも用意しそうだ。
 リーズの方が怖くなってしまった。
 「じゃあ…行きましょうか」
 ファフニーは、膝に乗せていたリーズを、そのまま抱きかかえた。
 お姫様を抱くように、背中と膝の裏辺りを持って大事に抱きかかえる。
 リーズに、自分で歩く力は残っていない。
 「うわ!」
 カワイイ人間に、お姫様のように抱きかかえられる。
 こういうのは初めてだ。リーズは、ドキドキした。
 何歩か進んだ。
 「すいません、思ってたより辛いです。
  …おんぶに変えていいですか?」
 「あはは、いいよ。無理しなくて。小さいんだもん」
 …やっぱり、カワイイな。ファフニーは。
 それから、3人は村へと歩いた。
 リーズは、暇だから、ファフニーの頬を人差し指でつついた。
 「あーあ…残念だな。今日、もう大きくなれないや。
  ファフニーで…いっぱい遊ぼうと思ったのに」
 仕方ないから、ぐりぐりとファフニーの頬を突く。
 「…助けてもらいましたしね。
  まあ…何してもいいですよ?」
 リーズの機嫌をとる事も大事だ。ファフニーは、ため息をついた。かなり助けてもらったのも確かだ。
 「…何してもいいのね?本当ね?」
 ぱーっと、リーズの顔色が明るくなるのがわかる。おんぶしているから見えないけど、ファフニーにはわかった。寂しかった。
 何…されるのかな?
 リーズの大きな姿…自分の顔と同じ位の大きさの瞳で、遊び方を考えて微笑む彼女を想像すると、ため息は出てしまう。
 「…ま、君が逆らっても無駄だけどね。
  えへへ、このローブさえ着てれば、人間が何しても無駄だもん」
 すごいでしょ?この、魔法が効かないローブ。
 リーズはローブので、ファフニーに目隠しをした。
 「わ、やめてください。僕もいっぱいいっぱいなんですから…」
 「そ、そうだったよね」
 そういえば、ファフニーもラウミィに虐められて弱っているんだった。すっかり忘れていた。
 「…ありがとうね」
 ファフニーにおんぶされながら、リーズは彼に体を預けた。
 …まるで、幼い恋人同士だ。
 見ているフレッドの方が、恥ずかしくなってきた。
 そうして、ファフニーはリーズの元に帰ってきた。
 でも、まだ、何も解決していない。
 それは、3人ともわかっている。
 ラウミィは、ますます怒り狂っている。もう、リーズの声も届かないかもしれない。最初からあまり届いていなかったけども。
 もう…明日、考えればいいや。
 ファフニーは疲れていた。リーズを背負って歩く。
 今日はリーズと一緒に帰って、休みたかった。彼に背負われているリーズも似たようなものだった。
 3人は村へと足を進めた。
 それから、体が治ったラウミィが、本気で無差別な虐殺を始めたのは、その数日後だった…