虫かごの賢者

 MTS作

 3.妖精の世界と小鳥

ある春の日。
妖精の王様…オペロンは、ラウミィと話をしていた。
オペロンは悲しそうに。ラウミィは楽しそうな顔をしている。
「多分、次の春を見る事は無いんじゃないかと思います。
 だけど、冬を見る事は出来ると思います」
寂しげに、オペロンは言う。
「そう、それなら、私は一足先に、光に帰らせてもらうわね」
一方、ラウミィは嬉しそうに言った。
「ラウミィさん、本当は、まだまだ寿命は先だったと思うんですけど…
 やっぱり、一度死んだからでしょうね…」
オペロンは、とても寂しそうにしていた。光で出来た羽根もしおれている。
「そうね。
 こればっかりは、あの虫けらに感謝しないとね。
 …ねぇ、そんなに悲しそうな顔をしないでよ。幸せな事なんだから」
ラウミィは、やはり機嫌が良いようだ。
彼女は今、来年の春までは生きられないと宣告されたばかりである。
だが、これは普通の人間ならショックな事だが、妖精にとっては、悲しい事ではない。
寿命を迎えて死ぬ事…彼女達の言葉で、光に帰る事は幸せな事だった。
光から生まれて、遊ぶだけ遊んだら、やがて光に帰る事が、妖精にとって幸せな事なのだ。
「そんな事言っても…」
オペロンは、珍しくラウミィに逆らう。
寿命を迎えて光に帰る事が本人にとっては幸せな事である。
だが、周囲の者にとっては、仲間が一人、居なくなる事である。オペロンには寂しい事だった。
「何なら、お前も踏み潰されてからフレッドに生き返らせてもらう?
 その気があるなら、私が踏み潰してあげるわよ?」
悪戯っぽく言って、ラウミィはオペロンの長い耳を撫でた。
彼女にとっては、妖精王は可愛い弟のようなものである。何を言われても、まともに取り合う事は少ない。
「ラウミィさん、相変わらずですね…」
オペロンは妖精のお姉さんにからかわれながら、ため息をつくしかなかった。
「ラウミィさん…やっぱり、もう一回、玩具の世界へ行ってくればどうですか?
 リーズやフレッドさん達は知らないんでしょ?
 ラウミィさんが、もうすぐ光に帰っちゃう事を…」
少し悔しいので、オペロンはラウミィに言い返す。
すると、そのまま摘まれていた耳をつねられた。
「…行かない」
口を尖らせて、ラウミィは一言だけ呟いた。
機嫌が悪くなったり、都合が悪くなったりすると、途端に口数が少なくなる娘である。
やれやれ。と、オペロンは、ため息をついた。
いっその事…
こっそり、僕がフレッド達の所へ行っちゃおうかな?
1000年位前に、少しの間だけ、玩具の世界には行った事がある。
あの頃の友達は、もう誰も居ないけれど、ちょっとだけ懐かしい気もする。
ともかく、オペロンは、もう一度だけでも、ラウミィとフレッドを会わせてあげたいな。と、思っていた。
ラウミィは、不機嫌そうにそっぽを向いていた。
遊ぶ事だけを考えている妖精達の日々は、そんな風に静かに流れていった。
また、別の春の日
オペロンは、仲間の妖精と話していた。
今日は、基本的には何も考えていない妖精にしては、あまり元気が無い様子で、オペロンの羽根がしおれていた。まあ、オペロンに限っては、元気が無い事が多い気もするが…
「ごめんなさい…
 やっぱり、無理です」
オペロンは、申し訳無さそうにうなだれていた。
「そう…」
相手の妖精の娘も、浮かない顔だ。
ラウミィは、オペロンが持っている、ぼろぼろになった布を眺めている。
それから、責めるような目でオペロンの方を見た。
「ねえ…ロミーヌは光に帰れるのかしら?」
淡々とだが、怒りがこもった目で、彼女はオペロンの方を見た。
どうにも元気が無い妖精王よりは、ラウミィの方がよっぽど偉そうにしている。
「ごめんなさい、わかんないです…」
オペロンは泣きそうな顔で首を振った。
鳥に食べられた妖精が、寿命を迎えた妖精と同様に光に返れるのか?
それは妖精王にも、わからない事だった。
そして、この世界から居なくなった妖精を、もう一度この世界に呼び戻す事も妖精王には出来なかった。
「なんだよ…
 妖精は神様じゃなかったのかよ…」
ぼろぼろになった布の影で、小さな声がした。
見れば、妖精達の指先程の大きさの小人が居る。
随分と小さな人影は、妖精達と同様に元気が無い。
「そうね。
 妖精は神様じゃないわね」
ラウミィは、あまり興味が無さそうに小人に答える。
あまり小人には興味が無いのか、小人の方を見向きもしなかった。
ただ、その声は、とても冷たくて悲しそうだった。
「ごめん…」
言い過ぎたと思ったグリフィーは、ラウミィに謝った。
ロミーヌという若い妖精の遺品…着ていた布の一部を見つめながら、妖精達と小人の表情は暗かった。
鳥のエサになってしまった妖精は、ちゃんと光に帰れるんだろうか?
今まで妖精達は、そんな事を考えた事がなかった。鳥のエサになる妖精なんて、居なかったからだ。
黒い鳥が、沢山やってきた事。
それは、最初、ラウミィや古い妖精達にとっては、新しい玩具を見つけただけの話だった。
空が見えなくなるような黒い鳥の群れと言っても、古い妖精達にとっては手のひらサイズよりちょっと大きな玩具である。
数が居れば数が居ただけ、玩具にして遊ぶだけの事だった。
ラウミィも、久しぶりに無力な小動物を虐殺して回る快感に酔っていた。
妖精の世界の大地が、黒い鳥と、その血で赤黒く染まっていくのをラウミィは心地良く思う。
ここは、そういう遊びを楽しむ妖精達が集まった世界だ。 
…まあ、小人遊び程じゃないけど楽しいわね。
久しぶりにラウミィは笑った。
ここ数百年程は欲求不満気味だった他の妖精達も、楽しそうである。
ふわふわと、光で出来た羽根を羽ばたかせながら、一人の妖精がラウミィの所に飛んできた。
「ねーねー、この子達、次元カラスだよね?
 うふふ、面白かったね」
彼女も、黒い鳥の死骸で赤黒く染まった地面を満足そうに眺めながら言った。
「そうね…
 私、見たのは初めて。玩具としては手頃みたいね」
ラウミィは頷く。
「私は、人間の世界に居た頃に見た事あるよ?
 んー…でも、見たのは随分久しぶりだね」
妖精は首を傾げながら答える。
「ふーん。やっぱり、こっちの世界にこいつらが来たのは初めてなのよね」
ラウミィは古い妖精の言葉に頷く。
「うんうん。初めてだね!」
ラウミィと話している妖精は、古い妖精の中でも特に古い妖精のようで、ここの妖精達が人間の世界で暮らしていた時から生きているようだ。
いくら長生きの妖精達といっても、彼女のように人間の世界を知っている妖精の数は、もう大分少なくなっている。
「どうせだったら、もっと遊びに来てくれたら楽しいわよね」
「そうだよね。10年に1回位来てくれたらいいね」
ラウミィと古い妖精は、クスクスと笑いながらフェアリートークを続けていた。
次元を越えて、ある日突然襲来する黒い鳥の群れ。
カラスに似た風貌から、次元カラスと呼ばれる黒い鳥の群れは、古い妖精達でも噂程度でしか聞いた事が無い、一種の都市伝説のようなものだったが、実在したのだ。
…あれ?
だが、ラウミィは急に顔を強張らせる。
彼女は気づいたのだ。
次元を越えてやってくる黒い鳥の群れが来る可能性があるのは、この世界だけでは無い事に。
「私、ちょっと若い子達の様子を見てくるわね」
不安が混じった低い声で言うと、ラウミィは異世界…若い妖精達が住んでいる新しい玩具の世界へと行く事にした。
「あ、そ、そっか。若い子達は弱いから、危ないかもね」
ラウミィの言っている事に気づいた古い妖精も、新しい玩具の世界へと行く事にした。
若い妖精達を心配して…もしくは、新しい玩具を求めて、古い妖精達は、ぱらぱらと若い妖精達の世界へと向かった。
ラウミィも仲良くしている若い妖精が気になったので、彼女の所へ向かって、ふわふわと飛んでいく。
ロミーヌという若い妖精は、小さい頃から玩具の小人と一緒に育っていて、とても優しい子だったのだが、それだけにラウミィは心配だった。
新しい玩具の世界についたラウミィが遠い空を眺めて見ると、地面に近い所に黒い雲のようなものがかかっているのが見えた。
あの辺りは、ロミーヌがよく遊んでいる小人の村ではなかったかしら?
ラウミィは嫌な感じがした。
優しい子は、強い子である事が多い事をラウミィは知っている。
彼女の友達で、小人が大好きな妖精の娘達は、強い子が多かった。
ただ、その強さはケンカの強さとは比例するとは限らないのだ。
ロミーヌは、友達の小人が虐められたら、素直に一緒に泣けるような強い子だった。
素直に泣いたり笑ったりするのが苦手なラウミィは、ロミーヌのことが羨ましかった。
だけど、そんなロミーヌの強さが、次元を渡ってエサを求める鳥の群れに通じるとは思えなかった。
ラウミィは、ロミーヌが心配だった。
ラウミィは、ロミーヌを探した。
ロミーヌが、よく遊んでいた小人の村で彼女の姿を探した。
黒い鳥の群れが、村に群がっていた。
虫けらのように逃げ惑う小人が、容赦なく鳥のエサになっているのが見えたが、それはラウミィには関係無い。
ラウミィが気にしたのは、地面に横たわっている妖精に群がっている鳥達だった。
戦う事を知らない妖精は、鳥達にとってはご馳走だったようだ。
鳥のエサになった妖精というのを、ラウミィは初めて見た。
だから、久しぶりに、ラウミィは怒った。
元々、争い事が得意な、妖精の娘である。
…何よ。たかが虫けらの分際で。
気がつけば、冷たい人形の少女のような瞳が、彼女の足元に小さく広がる黒い雲を見下ろしていた。
何百羽もの鳥の群れよりも、彼女の手のひらの方が大きかった。
小さな玩具の世界の中では元々巨人のような大きさの妖精達。
だが、今のラウミィは本当の巨人だった。
久しぶりに、巨大化の魔法を使ってみた。こんな事の為に覚えた魔法では無かったのに。
その人形の少女のような容姿はそのままに、ラウミィは元の30倍程の大きさに大きくなった。
小人達をついばむ巨大な鳥の群れも、彼女にとっては虫以下の大きさになった。
小人達の村は、彼女の靴の下に普通に収まる程度の広さだ。
ラウミィは、ゆっくりと足を上げる。
黒い鳥の群れが小人達を食べ漁っている村の上空が、彼女の靴の影で覆われた。
鳥も、鳥のエサになった小人達も、ラウミィにとっては同じだった。
どっちも虫けら。どっちも玩具。
どちらかと言うと、妖精をエサにした鳥の方には憎しみを覚えたが、踏み潰しても心が痛まないという点では、一緒である。
ずしん!
表情を変える事無く、ラウミィは小人の村の上に足を降ろした。
小さな世界全体が震えるような振動と足音が、響き渡った。
彼女の足の形に地面がへこみ、彼女が足を上げると、土砂崩れのように、彼女の足跡へと大量の土砂が流れ込む。
全てが、一瞬でラウミィの靴の下に押し潰された。鳥も、鳥のエサとなって逃げ回っていた小人達も、小人達の崩れた家も、例外は無かった。
もう一度…
ラウミィは足を上げて、生きている者が居なくなった村の上に足を下ろした。
それからは、八つ当たりである。
ラウミィは体重をかけて、しばらく小人の村の残骸を踏みにじった。
この世界の人間たちの3000倍ほどの大きさ。
数百メートルに渡って広がっている、巨大な妖精の靴である。
それが体重をかけて踏みにじったのだから、村があった場所はすぐに跡形も無く、土砂に紛れて消えてしまった。
小人の村があって、小人達が鳥のエサになっていたという形跡は、彼女の足の下には何も残っていない。
鳥のエサになってしまった妖精が着ていた布の欠片、それから妖精が大事に守った一人の小人だけが、ロミーヌと彼女が育った村の形見となった。
ラウミィは布の欠片とグリフィーを、大切に胸元にしまった。
それから、他の妖精達と一緒に他の場所も調べてみると、ロミーヌは、特に運が悪かった事がわかった。
他の場所にも黒い鳥の群れは居たが、鳥のエサになってしまったのはロミーヌだけだったのだ。
…何で、一番優しかったロミーヌが、こんな目に合うのかしら?
怒りを向けるにも怒りを向ける場所がわからない。
すでに、ロミーヌをエサにした鳥たちは、ラウミィの靴の下で肉片になって、地面へと刷り込まれてしまった。
ただ、もしかしたら…
ロミーヌを生き返らせる事は出来るかもしれない。
治癒の力に長けた妖精王なら、何とか出来るかもしれない。
もう一人、実際に妖精を生き返らせた実績がある虫けらも居るのだが、フレッドが今、何処に居るのかわからないので、彼を探す時間は無い。
そう思ったので、ラウミィはロミーヌの着ていた布の欠片を握り締めて、妖精王の所へと飛んできたのだ。
オペロンは、ラウミィが帰ってきた時の事をよく覚えている。
いつも怖いけれど、こんなに怖いラウミィを見た事は無かったのだ。
だが、それでもオペロンは首を振った。
鳥のエサにされてしまった妖精を、形見の布片と僅かな血肉から生き返らせる事は、妖精王にも出来ない事だった。
「ごめんなさい…」
オペロンは何度も謝って、うなだれるしか出来なかった。
今、妖精王の住処には、オペロンとラウミィ、それにロミーヌの体の下に隠れていたグリフィーが居た。
みんな元気が無く、言葉も少なかった。
「グリフィー君、当分、ここに居ますか?
 あっちの世界に戻るのも、危なそうですしね…」
オペロンが言って、グリフィーは元気なく頷く。
随分とかわいそうな目にあってしまったものだと、オペロンはグリフィーには同情していた。
ここの妖精達が血と虐殺を好むと言っても、良識が無いわけではない。生き物を虐殺するのは悪い事だという意識もあるから、わざわざ自分達用の玩具の世界を作って、楽しみに興じているのだ。
さすがに、可愛そうな目にあったグリフィーを虐めたりはしないだろう。
住処、家族、妖精の友達…
全てを失ったグリフィーは、まだ呆然としていた。
「あの鳥達…どこから来たのかしらね…」
独り言のように呟くラウミィ。
どこを見るわけでも放たれた言葉だが、オペロンは、その言葉が自分に向けられている事に気づいたので、あわてて答える。
「人間の世界には、普通に住んでるって聞いた事がありますけど…」
妖精王にも、詳しい事はわからなかった。
ただ、それが確かに人間の世界には生息している事は、古い妖精達の話で聞いた事がある。
「そうよね…」
ラウミィは小さく呟いて、考え込む。
まだ、ラウミィは放心状態に近い。
だけど、落ち着いたら、段々と腹が立ってくるだろうとは自分でも感じていた。恐らく、他の妖精達も似たようなものだろう。
だが、その怒りを何処に向ければ良いのだろう?
「じゃあ、私…ちょっと人間の世界に行ってくるわね」
静かにラウミィは言った。
他に手がかりがないなら、人間の世界へ行くしかない。行った事は無いけれど、仕方が無い。
オペロンはラウミィの言葉を聞いて迷った。
いくら弱気な妖精王といっても、彼も妖精王だ。
仲間の妖精が殺されて、何も思わないわけではなかった。
「あの…僕も…」
オペロンは途切れがちな声で言おうとした。
「だめよ」
ラウミィは、オペロンに最後まで喋らせず、彼の耳を摘んで制した。
「王様は、群れを離れちゃだめ。
 もし来るなら…それは、みんなで行く時よ?」
ラウミィは、妖精の約束を守るようにと言った。
妖精の男性は、とても貴重である。危険な事をして死ぬ事は、絶対に許されないのだ。
「とりあえず、私が行ってくるから、お前は、おとなしくしてなさい。
 これは命令よ?」
有無を言わさず、ラウミィは言った。
それから、少し優しい口調で続けた。
「いきなりみんなで行っても、何処へ行って良いかわからないでしょ?
 もし、鳥の巣でも見つけたら…
 その時は、みんなで行って潰しちゃえば良いでしょ?」
「確かに、そうですけど…」
ラウミィさんの言う事には、一応、ある程度の筋が通っている。
だけど、ラウミィさんの考えてることは少し足りない部分がある。
言いたい事があったが、オペロンは何も言えなかった。
彼女の言葉自体は、間違っていないけど、やっぱりおかしい。
淡々と準備を整えて、妖精王の住処を去っていくラウミィを、オペロンは黙って見送った。
後には、オペロンとグリフィーが残された。
さっきから、ずっと黙っていたグリフィーが口を開いた。
涙を浮かべながら、ロミーヌの形見の布に包まれている。
「ねえ、妖精王さん」
木のテーブルの上で、無気力にうなだれていた小人の小さな声に、オペロンは耳を澄ませた。
「ラウミィ…一人で行く気なのかな?」
グリフィーのラウミィに対する印象は、幼い頃に見た印象と大分変わっていた。
ラウミィも、ロミーヌと同じ妖精なんだという事に、接してみて気づいた。
「うん…
 一人で行かなくてもいいのにね」
オペロンはため息をついた。
何で、ラウミィは一人で行こうとするんだろう?
妖精達が全員で、わけもわからず人間の世界に押しかけても仕方ない。混乱が大きくなるだけだ。
だけど、だからと言って、一人で行く理由も無いんじゃないだろうか?
オペロンは、もうすぐ寿命を迎えようとしている妖精のお姉さんを、ため息をつきながら見送るしかなかった。

4.妖精と古い玩具の世界

細身の剣を一振りと、小さなペンダントだけを持って、ラウミィは旅立とうとしていた。
小さなペンダントは、世界を渡る際の道しるべのようなものである。知らない世界に行くには、道しるべか案内が必要だ。
そうでなければ、次元の狭間で永久にさ迷ってしまう事になるだろう。
…それにしても、あの黒い鳥達は、どうやって世界を渡っているのかしら?
ラウミィは不思議に思う。
次元の狭間を越えて世界を渡るのは、妖精達にとっても結構な仕事である。
あんな虫けら達が、どうやって世界を渡って来るのだろう?
突然、異世界からやってきた黒い鳥達の事を考えるだけで、腹が立つ。
…あれ?
ふと、ラウミィは気づいた。
黒い鳥は、妖精の世界にも、新しい玩具の世界にもやってきた。
ラウミィが知っている世界…行った事がある世界は、もう一つある。
妖精達の20分の1サイズの小人達が住んでいる、古い玩具の世界だ。
何故だか、ラウミィは胸が締め付けられるような気がした。
別に…虫けら達がどうなろうと、知った事じゃないわよね。
と、頭の中で否定しようとしても、嫌な思いが頭から離れない。
…あの男は、あんな虫けらが来てもエサになるはずが無いわ。
そもそも、あの男が、こんな鳥ごときに負けるはずが無い。
嫌な事というのは、考え出すときりが無い。
例え、あの鳥が何百匹居ても、フレッドが負けるとは思えない。
…でも、何千匹も居たら、負けちゃうかもしれないわね。
ラウミィは顔を真っ赤にして、地面を蹴っ飛ばした。
フレッドの事を考え出すと止まらない自分に腹が立った。
「…知らない。
 あんな虫けら、勝手に鳥のエサになればいいわ」
声に出して、ラウミィは言った。
腹が立って仕方が無かった。
それから、ため息を一つだけつくと、彼女の姿は薄い光に包まれた。
彼女は、異世界へと旅立ったのだ。
結局、彼女は古い玩具の世界…リーズやフレッド達が居る世界へと、彼女は旅立った。
…でも、何処へ行けば良いのかしら?
ラウミィは、よくわからない。
フレッドが、この世界の何処にいるかなんて、わからなかった。
いくら小さな世界といっても、あても無く探すには時間がかかる。
とりあえず、ラウミィは、少しでも馴染みがある場所へと向かう事にした。
…確か、昔、玩具にして遊んだ街、今でもあるのよね?
ベヌールという虫けらの街に、昔はフレッドという小人がよく居た事を覚えている。1000年程前には、玩具にして遊んだ事もある街だ。
ラウミィは、全速力で飛んだ。
とても悔しい。
このまま消えてしまいたい位に恥ずかしい。
それでも、ラウミィは一匹の虫けらの事を思って、頭がいっぱいな事を認めるしかなかった。
もしも…
フレッドがロミーヌのように鳥のエサになっていたら?
他の妖精の仲間には絶対に言えないが、多分、ロミーヌが殺された時よりも怒るだろう。
そんな自分が、また腹立たしい。
ラウミィは小さな世界の空を翔けた。
しばらく飛ぶと、ベヌールの街が見えてきた。
その上空が、やはり黒い雲のように覆われているのが見えた。
似たような光景を、つい最近見たばかりだ。
…何これ?
だが、それよりもラウミィが気になったのは、地面の方だ。
真っ黒だった。
鳥達の死体の山で、地面の色が変わっていた。
もう、大半の黒い鳥が死骸となっていた。
…馬鹿みたいね。
ラウミィは、おかしくて笑ってしまった。
それは何千…いや、何万羽も居るかもしれない。鳥の死骸が、地面に転がっていた。
何でだろう?
何で、あの虫けらが、鳥の虫けらのエサになるなんて思ったのだろうか?
遠いから、点のようにしか見えない。
だけど、赤いローブを纏った小人の姿がラウミィには、よく見えた。
ラウミィは馬鹿らしくなって、口元が歪んでしまう。
そんな風に笑みを浮かべて、空から近づいてくる巨人の少女の姿が、地上に居る者達からはよく見えた。
赤い布で胸と腰の部分を軽く覆っただけの巨人の姿。
悠然と空を舞ってくる巨大な姿は、戦いに疲れた騎士達の戦意を奪うのに充分だった。
「な、なんですか、あれ…」
フレッドの傍らに居た騎士の一人が、優雅に空を舞って来る巨人の少女を見上げている。
彼女の指先ですら、彼の胴周りと同じ位の太さのはずなのに、均整のとれた妖精の体は、とても細く見えてしまった。
あんな巨人なのに、普通に美しく見えてしまうことが怖かった。
「…なんだろうな?」
あいつ、何しに来たんだ?
嬉しいとか悲しいとか考える以前に、フレッドは首を傾げてしまった。
ラウミィが何をしにきたのか、フレッドは、よくわからなかった。
すぐに、巨大な姿は目の前で近づいてきて、ラウミィは地上に降り立った。
その足が地面に着いた時の風圧と轟音で、騎士達は目の前に降り立った妖精の少女が巨人である事を、改めて確認する。
ラウミィは何も言わず、にやにやと小人達を見下ろす。
何とも気分が良い。
このまま、片っ端から虫けら共を踏み潰して周りたい位だ。
「お前…何しに来たんだ?」
フレッドは、何やら楽しそうにしている巨人を見上げていった。
右手を腰に当てて小人達を見下ろしている妖精の顔には、相変わらず歪んだ笑みが浮かんでいた。
今更、また何か悪さをしに来たとも思えないのだが…それにしてもタイミング良くやってきたものだ。
「…別に?」
機嫌よく、ラウミィはフレッドに答える。
…ふーん、大分疲れてるみたい。今だったら、簡単に踏み潰せたりするかしら?
疲れた様子のフレッドを見下ろして、ラウミィは良い気分だ。
「お前、もう来ないって言ってなかったっか?」
フレッドは、とぼける妖精に質問を続ける。
まともな答えが返ってくる気があまりしないが、返ってきたらラッキーというものである。
「そういえば約束したわね。それが、どうかしたの?」
ラウミィは、少し不思議そうな顔をして答えた。
約束をしたから、どうだというのだろうか。この虫けらは、何をつまらない事を聞くんだろう?
「いや…まあ…」
平然と開き直られたので、フレッドは言葉に詰まった。
そういえば、約束なんて守らない奴だったと思い出した。
空を見上げると、黒い鳥の群れは、まだまだ飛んでいた。新しい大きな獲物を見つけた鳥たちは、降りて来ようとしている所である。
…とにかく、あの鳥は嫌いね。
ラウミィは黒い鳥の群れを見上げると、不機嫌そうな顔になる。
「あれ…目障りよね。気持ち悪い」
言いながら、細身の剣を抜いた。巨人が手にした細身の剣が風を切る音が、鈍く辺りに響く。
巨大な円柱のような細身の剣と、それを振るう妖精の姿を、騎士達は呆然として見上げていた。
細身の剣が、明らかに細くない。
文字通りに、規格が違う。大きさが違う。スケールが違う。
30メートル程の体躯を持つ少女が剣を抜く姿は、それだけで騎士達を圧倒されてしまった。
「それは同感だな。あれは、目障りだな」
フレッドだけは、大して気にせずにラウミィに答えた。
珍しくラウミィと意見があった事が、複雑な気分だ。
「うふふ、それにしても馬鹿みたいね。
 虫けらの鳥が、虫けらをエサにして…
 そうね…虫けらは虫けららしく、地面を這いずっている事ね」
ラウミィは淡々と言うと、そのまま空へと舞った。
光で出来た羽根が、優雅に彼女の身長ほども広がっている。
…何だか気分がいいわね。
きっと、虫けら達が怯えた様子で自分の方を見ているから、気分が良くなったのね。
ラウミィは、そう思う事にした。フレッドと同じ事を考えたのは、別に関係が無いはずだ。
それから、虐殺が始まった。
ラウミィは細身の剣を振るい、魔法の炎で焼き鳥を作成する作業を続けた。
小人を虫けらのようにエサにしていた鳥が、今度は虫けらのように逃げ惑う番だった。
あれは、戦の女神なのか?
楽しそうな様子で空を舞い、巨大な鳥をまるで虫けらのように処分していく妖精の姿に、騎士達は見惚れてしまう。
それは、とても人間の手が及ぶ存在には見えなかった。
少し前までは、彼らも、ちょっとした英雄気分だった。
圧倒的な敵に立ち向かって死んでいく事…勇者として、賢者として名前が知れたフレッドと一緒に戦える事に誇りを感じていた。その盾となって死ぬ事に恐怖を感じつつも、英雄的な気分を覚えていたのだ。
だが、自分達にとって圧倒的な敵だと思っていた相手が、ただの小鳥だった事を、彼らはラウミィの姿を見ていて教えられてしまった。
巨大な細身の剣が、全長5メートル程の鳥を難なく切り裂いていく姿は、騎士達の誇りと戦意を挫くのに充分だった。
自分達など、彼女の言葉通り、虫けらに過ぎないのだ。
…自分達のしてきた事はなんだったのだろう?
命がけで戦ってきた事が、馬鹿らしくなってしまった。
戦う事も忘れてラウミィの姿に見惚れていた騎士達は、ラウミィの剣さばきを見ていて、ある事に気づいた。
「何だか、フレッドさんの所の流派に似てませんか?」
若い騎士の一人が、思わず口走った。
そう、確かに似ているのだ。フレッドの剣さばきに。
その事は、もちろんフレッドも気づいている。
「うちのご先祖様が教えたんだろ、きっと…」
フレッドは憮然として答えるだけだった。
やがて、空は晴れた。
もう、空には生きている黒い鳥は飛んでいなかった。
最後に空に残っていた妖精は、ゆっくりと地面に降りてくる。
地面に足をつき、悠然と足元の自分達を見下ろしている妖精の姿に、騎士達は見惚れたままだ。
ラウミィは虐殺した鳥達の返り血を浴びて、ますます嬉しそうだった。
何も言わずに、足元の小人達の様子を見渡す。
…ああ、物足りないわね。
このまま、片っ端から踏み潰したい気分だ。
良い気分で、頭がどこか遠くへ行ってしまったみたいである。
「それで…」
フレッドが口を開いた。
その言葉で、ラウミィは現実に引き戻される。
「お前、何しに来たんだ??」
話を、元に戻した。
沈黙。
ラウミィは、また不機嫌そうな顔になる。
何しに来たと言われても…
言いたくない。
不機嫌さを隠そうともしないまま、ゆっくりと屈みこむ。
それから、手のひらを広き、荒っぽく土ぼこりをあげながら、フレッドの前へと差し出した。
「…お前、乗りなさい」
ぐいっと、不機嫌そうな顔を地面に近づけて、フレッドに言った。
「な、なんなんだ、一体」
わなわなと、怒りに震えている巨人の手のひらに乗れと言われても、さすがに戸惑ってしまう。
「それとも、鷲掴みにして摘み上げられる方がいい?」
ラウミィは淡々と言った。
「だから、なんなんだ、お前は一体…」
よくわからないラウミィの威圧感に戸惑うフレッドは、素直に彼女の手のひらへ乗ることにした。
指の厚みでも膝よりはよっぽど高いから、乗るのも一苦労だ。
ラウミィはフレッドを手のひらに乗せると、少しだけ満足そうな笑みを浮かべて立ち上がった。
足元で彼女を見上げている騎士達には、なんの興味も無い。
手のひらに乗せた小人の手触りだけが、ラウミィの興味の対象だ。
足元の騎士達には目もくれず、ラウミィは再び空へと舞った。
後には、呆然とした騎士達と、鳥の死骸が残された。
「なあ…?」
騎士達が、呆けた様にしゃべっている。
「あの娘、助けに来てくれたんだよな?」
「…だよな?」
ひそひそと話す騎士達
彼らには、そうとしか思えなかった。
どんなに優れた人間も妖精も、決して万能ではない。
賢者…フレッドにわからない真実に、一人の騎士が辿り着く事だってあるのだ。

(続く)