僕らの夏

MTS


 1.730(登校編)

 僕達の高校は、7月の下旬から8月いっぱいまでが夏休みだ。
 長い長い、夏休み。
 そのうち、何日か登校日がある。今日は730日。その登校日のうちの一日だ。
 休むわけにもいかないから、僕は学校に行ってみた。
 僕達の学校は、入り口の扉を抜けると狭い部屋になっている。校庭よりも何よりも、まずは、この部屋がある。
 この部屋を抜けないと、学校の敷地へ入れないから、狭くて混んでいても、仕方ないからこの部屋を通る。
 そうすると、やっと学校の敷地だ。
 学校の敷地に入ると、いつも、とても広く感じる。
 見渡すと、何百人もの生徒が校門から校舎の方へ歩いている。
 いや、千人以上居るかもしれない。
 各クラスの生徒数は、男女合わせて200人ずつ。それが3学年で7クラスづつあるから、全生徒は4200人居るわけだ。
 なかなか生徒数の多い学校である。
 だけど、僕達の学校が特殊なのは、生徒数は多いけれど、学校の広さ自体は普通の学校と変わらないという事だった。
 普通の広さの学校に、普通じゃない人数を収容するには、どうすれば良いだろうか?
 答えは…
 「こら!
  そこの男子!
  もう、始業の時間なんだから、さっさと校舎へ行きなさい!」
 遥か頭上から落ちてくる、女性徒の声だ。
 まるで、ビルの屋上か何かから大声で叫んでいるみたいだ。
 彼女は、学校の構内を歩いている他の生徒たちより、少し背が高く見えた。
 歩く度に、セーラー服が風を起こしている気がする。
 僕達から見ると、彼女の身長は150メートル程に見える。
 丁度、100倍程のサイズになる。
 彼女の足の指と、僕達の身長が同じ位なのだ。
 正確に言うと、彼女が僕達の100倍も大きい巨人の女子高生なわけじゃない。
 僕達が小さいのだ。
 4200人もの生徒を収容する為に考え出された方法が、これだった。
 生徒を100分の1サイズに縮小すれば、100倍の人数を収容できる。
 その為の設備が、校門と構内を結ぶ部屋に設置されていたのだ。
 確かに、人間が100分の1サイズなら100倍の人数を収容できるけど…
 僕は、ため息をつきながら、構内のいつもの光景を眺めた。
 「始業の時間に遅れたら、どうなるかわかってるでしょうね?」
 先ほどの女の子が、言いながら大股で校庭に歩く。
 校庭で朝練をしていた運動部の男子生徒たちが目標だろう。
 ずしーん。
 ずしーん。
 低い音が地面を伝わってきた。
 その重量感が、女の子の足音とは思えない。
 何かの重機が作業をしているような音だ。
 地面を整地するのに、大型の杭を打ちつけるような機械で地面を叩いているかのようだ。
 この足音の下敷きになったらどうなるか、嫌でも想像してしまう。
 低くて重い音を響かせながら、彼女は、ほんの数歩で校庭についた。
 校門から校舎に向かうスペースは、基本的に僕達のサイズに合わせるように作られているから、彼女にとっては、まるで玩具の世界だ。
 僕達にとって縦200メートル、横100メートルはあるような校庭も、身長150メートルの彼女にとっては、横になって眠るベッドに丁度良い大きさである。
 いくら運動部の男子生徒でも、そんな大きな女生徒の言う事には従うしかない。彼らの腕よりも、彼女の指の方が何倍も太いのだ。
 構内を見ると、彼女のように100倍サイズのセーラー服姿の女生徒が、他にも数人程居た。
 制服のマークを見ると、みんな1年生のように見える。
 みんな、無表情に仁王立ちをしながら、まるで学校内を監視するかのように足元の生徒を見渡している。
 彼女達の大きさなら、立ったまま目を動かすだけで、校門から校舎までの生徒の流れが全て見る事が出来る。
 アリの巣を出入りするアリ達を上から眺めるようなものだ。
 足の踏み場を間違えれば、アリ…生徒達を踏み潰してしまうのは間違いない。
 そうやって、身長が150mもある女生徒が数人で見守っていれば、男子生徒でも悪い事など出来はしない。
 この学校には、そうした特別な女生徒が、クラスの数と同じ人数、21人存在した。
 『学級委員』
 彼女達は、そういう称号を背負っている。
 一般生徒が1/100サイズに収縮されて学校生活を送る中、彼女達だけが通常サイズで生活する事を許されている生徒だった。
 生徒を縮小すれば、1クラスに200人の生徒を詰め込む事が出来るが、それは、すでに1人の教師が管理できる人数ではない。
 そこで、対策として、各クラスから1人、『学級委員』と呼ばれる、特権を持った女生徒が選出されるのだ。
 教師の補助として、通常の人間サイズで校内に存在する事を許された彼女達は、その体の大きさに見合った権力と義務を与えられている。
 巨大な姿で一般生徒を見下ろす事が出来るのは彼女達の権利の一つ。
 毎日交代で、一般生徒の登下校の様子を監視するのも彼女達の義務の一つであった。
 今日の登下校監視当番は、数人の1年生の学級委員というわけだ。
 さすがに、僕にもプライドがあるから、下級生に見下ろされて登下校というのは、あんまり気分が良くない…
 だが、我慢するしかない。
 始業時間が近くなった時間帯で校庭やその他の場所をうろうろしていると、『学級委員』達に目をつけられる。
 万が一、始業の時間に遅れようものなら、学級委員たちに、よってたかって指導を受けてしまう。各『学級委員』の性格次第なのだが、基本的には指導を受けたいと思う生徒など居ない。
 多分、彼女達がその気になると、彼女が所属するクラスの生徒200人を、部屋ごと片手で持ち上げる事も出来るだろう。
 そんな巨人に、誰も逆らおうなんて思わない…
 …が、今日、それでも僕は、『学級委員』たちに見つかるリスクを犯す必要があった。
 約束があったからだ。
 だから、僕は、校舎に向かう生徒の列を離れて、校門の側の壁際まで行く。
 壁に沿うようにして1人で居ると、上から見てもなかなか見えないものだ。
 通学用のカバンを両手で抱えるようにして、壁際を走った。
 壁沿いに走った校舎の裏側で、約束をしていた。
 校舎の裏側は、『学級委員』達の区域だ。彼女達の大きさに合わせて、全てが作られている。つまり、普通の人間が学校生活を送る為のスペースだ。
 本来、一般生徒が進入してはいけないスペースだが、約束があるから仕方が無い。
 まあ、ちゃんとした理由もあることだし、下級生の『学級委員』に見つかっても、何とかなるだろう。
 そう、たかをくくっていた。
 壁際を、こそこそと走り続けた僕は、校舎の裏側に差し掛かった。
 その時は、まだ、僕を上から見ている影には気づかなかった。
 ずしーん。
 ずしーん。
 たまに、『学級委員』達が歩く足音が聞こえる。
 彼女達も、ずっと仁王立ちしているのも暇だから、適当に歩き回ったりするのだ。
 だから、最初は気づかなかった。
 その足音が徐々に大きくなる事に。
 気づいた時には、100メートル程向こうに『学級委員』のセーラー服姿が見えた。
 ずしーん。
 一段と大きくなる足音。
 その瞳は怒りに震える様子で、僕の事を見下ろしていた。
 そして、1人の『学級委員』の足が振り下ろされた。
 ずしーーん。
 視界が遮られた。
 目の前に現れた、黒くて細長い壁。
 女の子が履くパンプスが、壁のように立ちはだかっていた。
 「ちょっと、何やってるの!
  あんた、何年生?
  一般生徒が、こっちに来ちゃいけないって知ってるでしょ?」
 両手を腰に当てた仁王立ちの巨人が、僕を見下ろしていた。言うまでも無く『学級委員』だ。
 僕の事を厳しい口調で問い詰める。
 「い、いや、僕は…」
 事情を説明しようとした。
 だが、仁王立ちで僕の事を見下ろしていた顔が、一気に空から近づいてきた。
 地面にしゃがみ込み、僕を観察しようというのだろう。
 「えー、あんた、3年生?
  先輩なの?」
 僕の制服を確認した『学級委員』が驚いたような声を上げた。
 「い、いや、だから…」
 説明しようとする、僕。
 『学級委員』は、僕を問い詰めるのに、僕の話など聞いていなかった。
 「3年生にもなって、ルールを守れないんじゃ生きてても仕方ないですね、先輩は」
 顔色一つ変えずに言った。
 いや、何で、生きてても仕方ないとまで言われなくちゃならないんだろう…?
 それには、さすがに反論したかった。
 「先輩みたいな社会のクズ候補は、下級生の靴の下で潰されるのがお似合いみたいですね」
 当然のように、言ってのける。
 「ですから、先輩は踏み潰す事に決めました」
 言いながら『学級委員』は立ち上がった。
 多分、この子は本気だろう。
 一般常識で考えれば、同じ学校の生徒を踏み潰すなど、確かにありえない話だ。
 だが、この学校の『学級委員』は、それだけの権限を与えられている。
 そうでもしなくては、200人もの生徒が居るクラスをまとめる事が出来ないからだ。
 『学級委員たるものルール違反を犯すものには、その圧倒的な力を振るう事をためらってはいけない。』
 それが『学級委員』に与えられた使命であり、義務でもあった。
 特に今年の1年生は威勢が良い様で、もう、何十人かの生徒が彼女達の判断で踏み潰されているという噂もある。
 確かにルール違反を犯す者に罪が与えられるのは当然だが…
 「ぼ、僕は約束が!」
 あわてて弁解しようとする。
 いきなり踏み潰されるほどの悪い事をしたつもりは無い。
 怖かった。
 いくら可愛い下級生の子にでも、踏み潰されるのは嫌だ…
 でも、下級生の『学級委員』は何も聞いてくれなかった。
 顔色一つ変えずに足を上げた。
 多分、彼女には、僕は学校の先輩ではなく、ルールを守らない踏み潰されて当然の虫けらに見えているんだろう。
 もう…だめだ。
 だが、
 「弘美さん。
  何を踏み潰そうとしてるんですか?」
 別の女生徒の、穏やかだが厳しい声が響いた。
 声は上から聞こえる。彼女も『学級委員』な事は間違いない。この声にも聞き覚えがあった。
 ずしーん。
 ずしーん。
 校舎の反対側から、低い音が響き始めた。
 下級生の『学級委員』の足音より、少し大きい。新しく現れた『学級委員』が、下級生の『学級委員』よりも体が大きいことを現している。
 セーラー服を着た影が近づいてくる。
 整った身だしなみをしている。
 しわの一つも付いていないようなセーラー服が、彼女の几帳面さを現しているようだった。
 身長は160センチ程…僕から見れば160メートル程…に見えた。
 眼鏡の下で光る、きりっとした目が印象的な女生徒だ。
 「い、委員長!」
 下級生の『学級委員』の声が裏返っている。
 各学年、7クラスで3学年。
 21人いる学級委員の中から選ばれる存在。
 『委員長』とは、特権中の特権を与えられた生徒である。『学級委員』の上に居る唯一の生徒にして、学校の中で最大の権力を持つ生徒という事だ。
 「弘美さん。
  一般生徒を踏み潰す事は、別に禁止されてる事ではないから、硬くならくてもいいわよ。
  …ただ、事情を説明しなさいと言ってるの」
 委員長の声が怒りに満ちているように、僕は聞こえた。
 『学級委員』同士のやり取りを、僕は見上げている。
 僕の命が、かかっている…

 (後編に続く)