1/10000パニック!
MTS作

1.床の上

自習。
自ら習うという意味である。
…だったら自習の時こそ、積極的に動かないといけないよな。
単なるこじつけ、言い訳だという事を、ケイは自分でも理解している。
でも、今日も彼は自習の時間、教室を後にした。
彼が目指すのは上級生の教室。一学年上の、彼女の教室だ。
もちろん、彼女の教室は授業中なのだが、ケイは気にせずにドアを通った。
「ユイさん! 今日も遊びに来たぜ!」
ケイは授業中の教室で、構わずに声を上げた。
声を上げて、堂々とユイ…彼女の机へと歩き始めた。
授業中の教室に声を上げて乱入する、明らかに非常識なケイの行動だが、誰も彼を注意しようとはしない。
いや、誰も彼が入ってきた事にすら気づかなかった。
クラスの生徒達や先生が気づくには、ケイの声は小さすぎる。足音が小さすぎたのだ。
教室の床をよく見ると、二本足で歩く小虫が居る事に、あるいは気づくかもしれないが、授業中に意味も無く床を見つめている者など、そうは居ないだろう。
ケイ…身長2センチ弱の小人が、教室の床を歩いていた。
…ふふ、今日も良い眺めだ。
何故、こんな風に小人になれるのか、ケイは自分でもわからない。わからないが、小人になれるのだから、仕方が無い。
小人になると、教室の机や椅子は、巨大な建造物のようだ。
その根元には、上履きを履いた巨人達の足が、蠢いているわけである。
ケイは男子だから、女子には興味がある。
ビルのように並ぶ椅子の根元に並んでいる、上履きを履いた巨大な女子の足には、思わず見とれてしまう。
…でも、やっぱりユイさんが一番だな。
他の女生徒達も捨てがたいが、それでも、ケイはユイの足元へと歩いた。
巨大な上履きと、それを履いている巨人の彼女の足は、何度見ても飽きない。
と、ユイの足が急に空へと登った。
深い意味は無い。ただ、足の位置を少し変えようとしただけだ。
でも、女子が足の位置を少し変えるだけでも、足元に居る虫…小人にとっては一大事だ。
もしも、自分の数十倍もある巨大な上履きが自分の頭上に来たら?
運が悪い事に、ユイが足の位置を変えようとしたのは、ケイの頭上だった。
大した音も無く、巨大な上履きがケイの頭上へと落ちてきた。
ケイは、あわえて逃げようとしたが、巨人の足から逃げるには体が小さ過ぎた。
ぷちっ。
ケイにとっては、圧倒的な重さに踏み潰される衝撃だったが、ユイは彼氏を踏み潰した事にすら気づかなかった。
100倍のサイズ差とは、そういう事だ。
…い、生きてるよな? 俺。
ケイは巨人の彼女の足の下で、まだ自分に意識がある事を確認した。
いつも、こうなのだ。
何故、小人になれるかわからないのと同様、何故、死なないのか、わからない。
それでも、確実に死んだとしか思えない状況になっても、小人になっている間は死なないのだ。
虫のように踏み潰されながら、ケイはユイの足が移動するのを待ち、体のほこりを払って立ち上がった。
多分、死なない。
小人になっている間は不死身。
今までの経験上ではわかっているが、それでも、何かの保障があるわけじゃない。
ある日、突然、小人になる能力に目覚めたように、ある日、突然、不死身じゃなくなるかもしれない。女子の何気ない足に本当に踏み潰されるかもしれない。
その恐怖が消える事は無い。
…でも、やめられないんだよな。
ケイは器用に机の脚を登りながら、自嘲気味にため息をついた。
何かの病気なのかもしれないと、自分でも思う。
いつか、踏み潰されて死んでしまう恐怖よりも、巨人のように大きく見える彼女を眺めていたい欲求の方が強いのだ…

2.机の上

結構な時間をかけて机を登ると、平らな地面が広がっていた。
巨人の女生徒…ユイの上半身が、ケイの居る大地を見下ろすようにしている。
随分と高い所までケイは登ったつもりなのだが、ユイの体は、さらにその上にそびえているのだ。
真面目な顔で授業を受けるユイの様子を、ケイは満足気に見上げる。
そうして、机の片隅に身を隠して巨人のようなユイを見物して楽しむのが、ケイの日課になりつつあった。
今日のケイは、筆箱の陰に隠れて光景を眺めている。
机の上ではノートが広げられ、ユイの指がシャーペンを操って弄んでいた。
ノートに文字を書く為の、ごく普通のシャーペンも巨大な槍のようだ。とても、ケイが持ち上げる事が出来る大きさではないが、ユイは指先だけで操っているのだ。
そんな、一つ一つのユイの所作、100倍サイズの巨人に見える彼女の動きを、ケイは飽きる事無く眺めていた。
…大きくて可愛いな。
ケイは、ユイの瞳を見上げてうっとりと考えていたが…
彼の身長ほどもある彼女の黒い瞳が、自分の方に向けられている事に気づいた。
不思議そうな顔で、少し首を傾げるのが見えた。
見ている…巨人の目が、こっちを見ている…
…やばい!
巨人のユイに踏み潰されても死なない体である。
でも、もしも彼女に見つかったら…
こんな風に、覗きみたいな事をしている事がバレたら…
頭上が暗くなる事に、ケイは気づいた。
ユイの指が、こちらに向かって伸びてくる。
…隠れなきゃ!
そう思った時、ケイの周囲の景色が揺らいだ。
ほんの少しの時間の後…
筆箱…らしき入れ物が空に浮いているのが見えた。
だが、その大きさが今までに比べても大きすぎた。
…な、なんだこれ?
先ほどまでの世界…100分の1の世界と違う光景にケイは驚いた。
ユイの目を逃れる為、ケイはさらに小さくなろうとした。
さらに100分の1。10000分の1サイズまで、ケイは小さくなった。
今までの100倍遠く、100倍高く…
雲よりも高い所に、ユイの瞳が見える気がした。
身長2センチ弱の世界に慣れたケイから見ても、今のユイの大きさは異常だった。
今のケイの大きさは、0.2ミリ弱。
…ユイさんの体、15000メートル位あるのと同じじゃないか!?
机の上から見上げる彼女の上半身だけで、地球のどんな建物、山よりも大きく見える。
…ユイさん、何て大きいんだ…
大巨人となった彼女の姿に圧倒されて、ケイは見上げたまま後ずさるが…
ガリガリ!
地面が恐ろしい音を立てて揺れるので、ケイは倒れてしまった。
音がした方を見ると、巨大なビルのようなものが、机に押し付けられていた。
それは、さらに巨大な柱に支えられ、少し斜めに立ったまま、机を削っているようだった。
…あのビル…シャーペンか??
大きすぎて、よくわからなかったが、全長数百メートルにも達するように思える柱は、シャーペンの形をしていた。
それを支える、さらに巨大な数本の柱は、ユイの指なのだ。
…あ、あんな大きな物が動くのか?
あんなに大きな物が地面を削れば、大地震が起きるに決まっている。
ユイがノートを取っている間は、ケイは彼女の指先が起こす大地震に耐えるしかなかった。
「…ふぅ」
何気なくつかれた、ユイの吐息。
穏やかな生温かい風。それは、ホコリよりも小さなケイは吹き飛ばされてしまった。
圧倒的な大きさと、力。
ユイの何気無い所作の一つが、ケイにとって大災害だった。
今のケイにとって、ユイは神…女神とも呼べる力を振るっていた。

3.女神の掃除

次の休み時間。
ミミは、友達のユイの所へ遊びに行った。
…あの子、今日も来てるかな?
ミミの目的は、ユイだけではない。
いつもユイを見物している小人…ケイを見物する事が、ミミのもう一つの目的でもあった。
…えへへ、ケイちゃん、ミミが見てる事にいつになったら気づくのかな?
ユイの机の上で、ケイを探す事が、彼女の密かな遊びになっていた。
目が良いというのも、困ったものである。
初めは驚いたが、どうやら小人の姿になったケイは何をしても死なないらしい。
それに気づいてからは、ケイは彼女の玩具だった。
…今日は、何して遊んじゃおうかな?
ミミは、今日も来ているであろう小人で何をしようかと考えた。
「ミミさん、聞いてくれる?
 何か、机の上に人みたいな形をした虫が居た気がしたの…」
ミミが聞くよりも早く、ユイが口を開いた。
「そ、そんな虫居るわけないよ。
 ユイユイの勘違いだよ」
…そっか、やっぱりあの子、来てるんだ。
と思いつつ、ミミはケイに答える。
「じゃ、気持ち悪いし、机の上を掃除しちゃおうよ。
 ミミがやってあげるね」
ミミは、にっこりと微笑んだ。
その手が机に伸び始めた。
…そ、掃除?
女神達の会話を、ケイは机の大地で聞いていた。
何とか机の端まで行こうと先ほどから走っていたが、どこまで走っても机の端が見えない。
ガタガタ…
また、大地が揺れ始めた。
女神の手のひら…全長数キロに及ぶようなミミの手が、机の上をなで始めた。
ケイの体よりも大きな消しゴムのカスが薙ぎ払われ、巨大なゴミが、文字通りにゴミとして処理されていった。
「ゴミは、みんなミミの手が片付けてあげる。
 虫なんか居たって、全部潰しちゃうもん」
遥か頭上のミミが、おどけて言うのが見えた。
あんな巨大な手に…指に巻き込まれたら…
本当に死んでしまうかもしれない。微生物以下に粉砕されてしまうかもしれない。
恐ろしくなったケイは必死に逃げたが、0.2ミリの体では、どんなに走っても逃げた事にならなかった。
やがて…
山よりも大きな女神の手が、ケイを吹き飛ばした。

4.女神の上履き

ミミの手に薙ぎ払われ、机の上から落下するケイ。
生きていた。この大きさでも、まだ、不死身だった。
風に揺られて、ユイの足に沿って降りていった。
…どこまで続くんだ?
どこまでも落ちていく。どこまでも、ユイの綺麗な足が、柱のように伸びていた。
やがて、その根元…彼女の上履きの所まで、ケイは落下する。
巨大な靴は、0.2ミリの小人には大きな隙間が開いていたので、踵の辺りから、彼はユイの靴へと入ってしまう。
黒いソックスを履いた彼女の足…
狭い靴の中では、空気が流れないから、彼女の足の匂いと熱気が篭っていた。
ケイにとっては、数百メートルの高さの壁で覆われた空間に、ユイの足の匂いが篭っているのと同じなのだが、それを楽しみに思う余裕も不快に思う暇も無かった。
靴の中…
巨人の足と靴の間で、0.2ミリの小人は余りにも小さすぎた。
ユイの匂いと温もりの中で、ケイは足と靴に挟まれ、何度もすり潰された。
足の下に入ってしまった時は、彼女の体重を浴びて念入りにすり潰された。
無限に続く地獄…あるいは天国の中で、ケイは10000分の1サイズの世界を味わい続けた。
その後…
ケイは、体育の時間でユイが上履きを脱いで居なくなった隙に、元の大きさに戻って脱出した。
何度踏み潰され、すり潰されたのかは、わからない。
学校の帰り道…
「大分疲れてるみたい。どうしたの?」
ユイに尋ねられても、ケイは何とも言えなかった。